農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2009年 05月 24日

変われば、変わる

この二日間は不順な天候で、仕事らしい仕事をしていない。
一昨日は、夕刻から雨の予報だったが、早朝から霧雨になり、終日止んでは降り、降っては止むを繰り返す。
朝方の空気は十分に湿気を帯びているが、土はまだ乾いた状態のうちに、ゴボウを播種した。
手押し車のようなものに、大きな糸巻き状のテープシーダーを付けて押して歩くだけだ。
400メートルを20分ほどで終える。終わった直後に、やや強い雨が降り始める。発芽には好都合。
トレンチャーで1キロ近く掘って、実際に”正常に”播けそうな所はこんなもので、あとはゴロゴロの土で出芽も
おぼつかない。

昨日は薄曇、日照時間はゼロ。絹さやの支柱を立て、ネットを張ったり、ゴマやブロッコリーを播いたり、
ハウス内の草取りをしたり、そんな程度で、あとは専ら「ミシェル-城館の人」を読む。

モンテーニュは、あらゆることにかかわりながら、一定の距離をおき、敬虔なカトリックのように見えながら、
少しもキリスト教徒らしからず、党派的な人々からは傍観者のように見なされ、時に現実逃避の卑怯者
呼ばわりをさえされた。モンテーニュの「エセー」を最初に読んだのは40年ほど前だけれど、決して熱心な
読者ではなかったし、今でもそうだ。
しかし自分が党派的立場を脱して、単なる政治的な傍観者の立場に立ってみると、とりわけ自分の全生涯を
賭けても惜しくはないとまで思いつめていた思想的立場が、いかに危うい現実認識の上に立っていたに過ぎ
なかったかに気づいてみれば、モンテーニュの懐疑主義が如何に真摯な現実認識に立っていたかが、多少
とも理解できる境地に達した(と言っても大言壮語にはならなくなった)とは云えるだろうか?
とはいえ、モンテーニュが後半生を過ごした同時代的な「化物じみた」宗教戦争の残虐きわまる壮絶な戦い
に比べれば(参照)、僕の経験など無に等しい。

僕は、何度も書いたように、政治を天気のようにしか見ない。ただ観察し、対処するだけで、変えようとも、
変えられるとも考えていない。しかしエコノミスト誌が書くように(また、多くの無関心層の人が考えるように)
「変わっても、変わらない」とは考えない。「変えねばならない」とは敢えて力みはしないけれど、明らかに
「変われば、変わる」。

第一に、自民党と高級官僚と業界との間の密接な癒着の構造が変わるし、変わらざるを得ない。一朝一夕に
変わるかどうか、変われるかどうか、それは分からない。しかし一旦はばらばらに分解し、再結合して新たな
構造を作り出すまでは流動化し、不安定にならざるを得ない。どう変わるか分からぬにしても、半世紀以上に
わたって積み重ねられてきた癒着の構造をぶち壊す必要があるし、それには政権交代する他はない。
政権交代なしには、効率的政府も、財政の健全化も、国家公務員制度の抜本的改革も、真剣には何も
始まらない。
第二に、野党が政権をとれば、変わったということを示さなければならない。民意を反映した政府が良い政府
だとは必ずしも考えないけれど、少なくとも民意を真剣に汲み取らなければ、いつ政権の座を失うかという
緊張感を根底にもつ政府を、われわれも一度はもって見なければならない。戦前の二大政党制の経験は
政党政治の腐敗へと堕し、軍事的ヘゲモニーの前に政治的ヘゲモニーが圧せられたけれど、少なくとも
現代は普通選挙権が確立し、統帥権を振りかざし政治に介入する軍部もない。普通選挙権を前提にした二大
政党の競い合いが良い方向に作用する可能性はある。
第三に、万年政権政党が政権を失えば、政党の再編を真剣に考えなければならなくなる。僕は、現在の
二大政党は部分的に五十五年体制の遺産を引きずったままのねじれた関係と見なしている。自民党が
政権を失い、民主党(または民主党主導の党派)が政権をとれば、政権政党に安住してきた連中も真剣に
「政策」を軸にした政治活動を考えざるを得なくなる(「頭の体操」07/11/11、参照
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by agsanissi | 2009-05-24 06:10 | ミミズの寝言


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