2009年 08月 23日

遅れてきた春?

戦後政治の総括のための覚書
昨日のexciteニュース(参照)によると
民主党は、衆議院で単独過半数に達し、場合によっては三分の二以上の可能性もあるとのこと。
・主要4紙が第45回衆院選を前に行った世論調査が2009年8月22日、出そろった。毎日新聞、読売新聞、
日本経済新聞は450議席のうち民主党が300議席を超す勢いだと報じた。朝日新聞は300議席台を
うかがう勢い、とした。一方、自民党は前議席の300議席の半分も厳しいとみられている。
・毎日新聞は8月22日、民主党が小選挙区、比例あわせて320議席を超す勢いだと報じた。8月19日から
21日にかけておこなった世論調査などから推計した。


現行憲法のもとで、戦後初めて(日本の歴史上初めて)国会の指名を受けて組閣した最初の内閣は、実は
(瓢箪から駒のような奇遇だが)社会党首班の片山内閣だった。
・直前の1947/04/20の第1回参議院選挙、及び4/25の第23回衆議院選挙で比較第一党になった。
当時の獲得議席は、参議院(社会47、自由39、民主29、国民協同10、共産4、諸派13、無所属108)、
衆議院(社会143、自由131、民主124、国民協同31)で、この結果は、戦前の政治体制からの解放気分
が横溢し、いまだ戦後の米ソ対決を主軸にした国際的な政治システムの中での日本の(進路の)方向付け
が不明確な流動的な状態を反映していた。
・朝鮮戦争、サンフランシスコ条約、日米安保条約の締結を通して、明確に(後に「核の傘」といわれる)
米国の傘下に入った。この路線を主導した吉田内閣は、軍事的な独立を捨てて、米国の従属下に入ること
で、経済成長を主軸に置いた国作りの基本的方向を確立した。
・この基本的方向をめぐる対立が、いわゆる「55年体制」の基礎になった。
・90年代に入り、米ソ対決の国際的政治システムは崩壊した。これと共に日本の戦後政治の対決軸の
土台は融解してしまった。奇しくも89年にバブル崩壊とともに「高度成長路線」は終焉したが、これは多分
偶然の一致ではない。
・米ソ対決を主軸にした国際的政治システムの崩壊にともなう経済的変化が、バブル崩壊・高度経済成長
路線の終焉とすれば、自民党単独政権の「安定」支配の終わりが政治的葬送の儀に当たるか。
・1983年の衆議院選挙での自民党の敗北は、自民党自身の内部分裂による「敗北」で、その政治的意味
合い自体は独自に分析する必要があるが、いわゆる「55年体制の崩壊」の大きな流れの中で位置づける
必要がある。
・ここまでの戦後政治の過程を極めて大雑把に時期区分すると、
1.1945-55、戦後揺籃期(戦前の政治支配への反動と新たな再編への模索期間)
2.1955-93、自民党の一人勝ちの時代
3.1993-09、自民党の「安定」支配の内部崩壊期(自己融解現象の極限化と政治的再編の準備期間)

今度の選挙で、民主党政権が誕生(単独であれ、連立であれ)すれば、それは戦後初めての総選挙で
社会党政権が誕生して以来の政治的快挙だと、僕は思う。村山政権は自民党政権の単なるエピゴーネン
で、社会党の葬送の歌になったに過ぎない。1993年の細川政権は「挫折した春」に終わってしまった。
その意味で、今度の民主党政権は「遅れてきた春」にあたるかもしれない。
とはいえ、僕自身は、今度の自民党の敗北は自民党・民主党を含む新たな政治的再編の本当の始まり
なるのではないか、その意味での「春」に過ぎないと観察している。
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by agsanissi | 2009-08-23 06:03 | ミミズの寝言


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