2009年 08月 29日

「悪しき」伝統

ソ連邦の崩壊やオバマの選出の歴史的に意義に較べると、随分、見劣りするけれど、
それでも、尚、戦後日本の政治史の中では、それなりの歴史的意義のある変化が起きている。
この変化の胎動は、決して今に始まったことではなく、多分、80年代以来のいろいろな変化が
一つの大きな潮流となって、政治的変化へと集約されているし、かつまたこれを契機に本当の
「変革」が始まるのかもしれない。
というわけで、「農のある風景」のテーマに相応しいかどうか分からぬが、僕はそれを必ずしも
「作業日誌」と矮小化して捉えてはいないから(農のある「文化」と捉えている)、この「変革」に
関係の有りそうな主題を、その関係の濃淡に関わらず拾い集めておく。

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かつて中井兆民は「日本には哲学がない」と喝破した。
哲学がなくとも、生きていくには差支えがないことは、ある意味では近代日本の行き方が示している。
「頭脳なき国家」の悲劇などと揶揄されながらも、さしたる不都合も感じずに生きてきた強かさは、
今後とも変わらぬかも知れぬ。
哲学を持つのが良いかどうか、古代哲学の雄たるギリシャと近代哲学の雄たるドイツの運命を眺めてみれば
自ずから明らかだと云えない事もない。
とはいえ哲学を持つかどうかは、一種の民族的性であって、哲学する民に功利的目的があるわけではない。
という意味では、「日本に哲学がない」のも、国民的性であって、必ずしも「悪しき」伝統とはいえぬかも知れぬ。

下手な哲学を持つよりも、功利的に生きたほうが、国民的幸せという意味では、より良いかも知れぬ。
と、考えたわけでもなかろうが、政権選択選挙といいながら、選択すべき政権の戦略的道筋のようなものは
自民党からは勿論、民主党からも見えてこない。

自慢にもならないが、僕は両党のマニフェストは読んでいない。読むだけの価値がないからだ。
マニフェストについて書かれたものは読んでいるけれど、それを見ても読む必要があるとは感じない。

昨日の「大前研一のニュースの視点」(参照)は書いている。
前回、民主党のマニフェストを見ても、そこには「哲学・考え方」 が欠けており、国会議員として基本的に
勉強不足だという点を 指摘しました。
大々的に発表したマニフェストも、いずれ忘れ去られるに違いありません。
では、これに対して自民党のマニフェストはどうなのか? と言うと、残念なことに「どんぐりの背比べ」状態
だと言えます。...
今回の総選挙に当たっては、自民党は民主党を揶揄して、 「責任ある政党としては、経済のパイを大きく
する必要があるが、 民主党にはそれができるのか」という趣旨のことを述べていましたが、聞いていると
呆れてしまいました。
一体、自民党はこの4年間にどれだけ日本経済のパイを大きくしたのでしょうか?日本のGDPを押し上げる
ことができたのでしょうか?


この場合、「哲学」は何か?
パイの分配の仕方、産業を主体にするか、庶民(あるいは消費者)を主体にパイを分配するか、言替えれば
目先の分配率に目を奪われているけれど、パイそのものが小さくなり、また将来的にパイを拡大するグランド
ヴィジョンがないという指摘fだ。

また田原総一郎は「『民主圧勝、自民激減』報道の裏で置き忘れられたもの」(参照)で、
最大の問題は「国のことだから何とかなるさ」と、国を仕切っている政府、官僚が総理大臣も含めて
すべてが、何とかなるさと思っている。
そして今度、新しく政権を取る民主党も、そう思っているのではないか。

と書いている。
これは「パイを実質的に拡大する」方策を持たないにもかかわらず、「見せ掛けのパイ」を借金財政で拡大
してきた「高度経済成長路線」の延長上の路線の破綻をどう立て直していくのかという「哲学」が見えない
との指摘だ。

自民党も民主党も、当面の人気取りに熱中して、より本質的な問題を避けて通っているけれど、
自分たちが直面している本質的問題は何なのかという主体的認識(あるいは課題としての認識)
があるのかどうか、それが問題だ。
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by agsanissi | 2009-08-29 08:23 | ミミズの寝言


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