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2011年 01月 06日

「加工ジャガイモのつくり方」を読んで/7

・「加工用」(この場合、主にポテトチップスを対象にしているが)と特化された意味での「加工ジャガイモのつくり方」で強調されている
ことは「加工適性」に沿った栽培技術ということで、それには加工業者と生産者との協同、更には品種開発研究と現場との協同が
不可欠の要素になる。しかしこの本は、ある意味では「それ以前のこと」、言い換えれば「加工場が農村と共存共栄するためには、
生産者が高品質のものを安定供給することが大前提で」という基本の技術を詳述している。
・序で、「加工用ジャガイモの栽培は、生食用やでん粉原料用の慣行栽培技術では不十分である」と書いておられるが、加工用
ジャガイモの生産には「生食用」栽培より高い技術が必要だと強調しているように見えるが、むしろ「慣行栽培技術では不十分
ある」という点を強調しているように思われる。
・1995年に、著者と初めてお会いしたときに、「これからはジャガイモ栽培ほど面白いものはない」と話しておられた。例えば、稲作の
栽培技術は、長い伝統が積み重ねられ、国の栽培奨励政策もあって全国的に普及し、平準化して、気象条件や品種間格差を除けば
それほど大差はないけれど、ジャガイモの栽培技術は、極端に言えばプロの農家でさえ「特別な栽培技術」が必要かと思ってる場合
があり、「植さえすれば芽が出る」と勘違いしている。だから栽培技術で品質や収量にケタ違いの差があり、収益に何倍もの差が出る、
と話しておられた。また「僕は、毎年、栽培技術の普及会のような講演に呼ばれて北海道各地を廻っているけれど、大体は、その場
限りで、全体を正確に実践している例は「ほんの一握り」だとも。
・僕自身は、全体を正確に実践しているつもりではあるけれど、また加工用と生食用、早生系と晩生系との違いはあるにしても、収量
の点では未だに目標に遠く及ばない。主観的には、決してその積りはないけれど「10年以上の経験があれば自分の技術に過信して、
新しい技術の導入に保守的である。常に積極的な挑戦心を持ち、正しい技術を確立すべきである」に、思わず姿勢を改めた。特に
「一生を通じてもイモづくりを30回出来るかどうかなのだから」には堪えた。僕はあと10回から15回!
・あとは「ジャガイモ百科」や「バレイショ増収1000問答」と重複する点が多いので、こちらから僕の琴線に触れる点を摘記しておく。

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【日々雑纂】
・ブログは流れていく。留めておきたいもの、後の参照用にまとめておきたいものを置くには不便。HPが良いが、あまりに長く放置
したのでID、PWなど忘れてしまった。どうする?既存のものを使う、改めて開設する??
・「僕の農閑期」に、「農業を始めてからあちこちに書き散らしたものを、ちょとまとめて再編成しようか」と書いたけれど、取り敢えず
書き直しもできない、どうする?
・「世界経済の成長史/1820~1992」を通読する。一読惹き込まれる素晴らしい本だ。是非、手元に置いておきたいと思って、
Maddisonで検索。大体、こういう本は日本語版では原書に比べて、硬表紙で倍くらいの値段になってるから原書で探してみるが、
生憎入手不可。仕方ない、日本語版を探したら、現在出版されておらず、なんと中古は17000円。重複する内容だろうと推測して
「The World Economy:A Millennial Perspective/ Historical Statistics (Development Centre Studies)」を注文。
・こういう俯瞰的な見方をするだけで、いろいろなことが想像される。1820年から1992年までの約170年間に、世界全体の一人当たり
GDPは約9倍になった。この間の日本のそれは約28倍で、ダントツの世界記録だ。米国を基準に「一人当たりGDPの乖離率または
接近率を、年平均複利成長率で比較すると、日本は1913~50年間は-0.67%と、年々引き離されていたが、1950~1992年は
3.7%と、世界全体の中でも際立った割合で(韓国、台湾だけが凌駕、又は匹敵する)追いついている。これだけ急速に拡大すれば
(「食の歴史」で「別の国と云っても良い」と書いている)、もち論、いろいろなアンバランスあるいは「国内的・対外的」な不均衡や摩擦
が現れて当然だ。人間の生活の基本は衣食住だが、そのどれも量的のみならず質的に、すっかり変わってしまう。米国を100とする
「実質所得と生産性水準に影響を及ぼす諸要因の比較」が載っているが(17.p)、一人当たりGDPは90、一人当たり労働投入量は
131、就業者一人当たり国土面積は8、就業者一人当たり輸出量は123など。他の先進諸国に比べて国土面積が極端に狭く、
労働投入量はかなり多く、にもかかわらず輸出量は相対的に少ない。
国土面積が、これだけ狭いのはオランダくらいだが、オランダは
これをダントツに多い商品輸出(563)でまかなっている。国際的に見た、食料自給率の異常な低さは、狭い国土で人口を急増させ、
所得を飛躍的に向上させてきた結果で、一面では日本人の猛烈な勤勉さを反映している。
・「食の歴史と日本人」の著者は、耕作可能地を最大限に有効活用しても現在の食生活水準で扶養できる人口は6820万人で、日本
は定員オーバーだ、と書いている。要するに食料自給率は最大に見積もっても五割が限界だ。おまけに農業労働力は老朽化し、若者
は忌避しているから、自給率はもっと下がって当然。
・このような俯瞰的見方をすれば、「水田経営安定化対策」のような小手先の政策で、食料自給率の向上が図れるのか、総合的な安全
保障政策の一環として食料の安全保障問題(どの程度の自給率の確立が必要かつ可能なのか)を立国方針を基礎に考えなくて良い
のか、という思いが浮かんでくる。
・まして高度成長時代、このようなに本質的に極小な農耕地を国民的見地から保全するという意識はまるでなくて、個人的資産として
投機対象になるに任せ、筋違いな方法で農民所得の向上が図られてきたのだから、そして未だにその後遺症を引きずったままの政策
の延長上にあるのだから、小手先以外のどんな政策を期待できるだろうか??
・「徳富蘇峰終戦後日記」を読む。徳富の思想には共鳴できないが「近世日本国民史」全百巻は、高校生の頃からの愛読書の一つだ。
戦前の言論界の重鎮の思想は、その時代精神の一つの象徴であり、理解できるできぬは別にして傾聴するに値する。
・「皇室、国家、国民の三者を切り離して考えることは」根本的な間違いである。皇室を離れて、日本国の存在もなければ、日本国民の
存在もない。同時に日本国家、日本国民を離れて皇室のみが存在することもありえない。従って「皇室さえ存続すれば日本は(国家
及び国民は)どうなっても差し支えないなどという議論は、日本国民として、苟も我が国体の真相を知る者は、断じて口にすべきこと
ではない」
・こういう三位一体論は、到底、僕の理解の及ぶところではないが、少なくとも論理的には一貫している。これが凡百の言論人と徳富を
隔てるところだ。
・朝と昼、一週ぶりに食後ニ時間の血糖値を計る。朝は128mg/dlだったが、昼は155あった。130-140程度を想定したので
予想外の高さにビックリする。昼飯は、山かけソバで、ソバ50、山芋30、卵1個、鶏肉20、他に五目煮豆80、すき昆布煮物少々。
更に食後30分後、図書館まで一時間歩いてきた。それで130前後と推定したので(予想とおりなら、当分測定は不要と考えた)、
ちょっと動揺した。歩いていて、空気が冷たく、かなりゆっくり歩いたつもりだけれど心拍数は平均91/最高119で、スピードに
比較してやや高め。この冷たい空気に当てられたストレスで血糖値が上がったのか?空腹時血糖値も、ヘモグロビンA1cも、普段は
ほぼ健常者並み。ところが、こんなところでやはり「糖尿病者だ」と思い知らされる。
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by agsanissi | 2011-01-06 09:33 | ジャガイモ


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