農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

sanissi.exblog.jp
ブログトップ
2011年 02月 03日

日々雑纂

一時代の終わり、小沢一郎議員の起訴をめぐる事件の詳細を僕は知らない、興味もわかない。ざっと見たところ、争われている内容は形式的な
もので(というと、多少語弊があるが)、政治報告に関わる「虚偽記載」。もち論、「虚偽」記載の背後には、表に出ては困る巨大な影の部分がある
のだろうけれど、「影」はあくまでも影であって、その実態を白日の下に晒すことはできないし、晒してしまえば「影」は蜃気楼のごとく消えてしまう。
とはいえ、裁判と政治は別ものであり、これから裁判の経過がどう転ぼうと(無罪になろうと、有罪になろうと)、それは小沢議員の一個人の問題
であって、政治的には一時代の終わりを告げる弔鐘のように僕には聞こえる。鐘の大きさに応じて、それなりに余韻は響くし、民主党議員の約半
数は余韻の呪縛に縛られているし、それ故に単なる「コップの中の争い」を国家的一大事かに錯覚している民主党総裁菅直人氏も、この呪縛から
自由ではない。
・WSJ日本版に「鳩山由紀夫前首相は菅首相について官僚の代弁者になっているとの認識を示唆。さらに、現在の日本には強力な指導力のある
政治家が必要であるとして、政治資金問題で去就が注目される小沢一郎元代表の復権を期待感を滲ませている」(参照)という記事が載っている。
・未だに冷戦時代の対立軸を引きずったまま捻れた政党関係を再編するには、確かに「強力な指導力」が必要だが、それは小沢氏が自民党以来
つちかってきた業界団体を利権によって統合し派閥集団を形成していくような類の「指導力」ではない。自分自身も金の力によって「民主党」という
単なる野合集団を立ち上げ、ひとたび「権力と金力」という二つの力を経験したゆえに、その幻想から醒めていないようだ。
・ジャパンナレッジの東洋文庫『神国日本 解明への一試論』(ラフカディオ・ハーン著)の紹介記事(参照)に、
前々から不思議に思っているのだが、ニッポンの政治家はなぜか、何かと「明治維新」を持ち出してくる。例えば、菅直人首相。
〈今回の政権交代の目的は、明治維新のときと同じ、まさに旧体制の権力構造を徹底的に壊すことなのである。そうしなければ新しいシステムは
つくれない〉
それどころか、明治維新を第一、敗戦後を第二、そして現在を「第三の開国」とまで言い出した。
あなた方、本当に今という時代を、国家存亡の最大の危機と思っていますか? これが私の率直な感想。だって1868年は国が二分され、1945年
は焼け野原となった。2011年、いったい何があるというのでしょう? 維新や開国になぞらえるような、国家的危機ならば、それこそこの国は一大事
なのではないか?

と書いている。
・こうして冷静に考えてみると、自らの政治的能力と照らしてみると、菅直人首相の「危機意識」は、いかにも軽い空疎な言葉遊びに響くに過ぎない。
・とはいえ、現在が「危機の時代」を迎えているのは事実だと思う。今朝読み終わったラデュりの『新しい歴史』の最終章は、「危機と歴史家」という
ものだ。その最終節「1720年から1973年に至る期間の様々な危機」と題している。僕自身は、明治維新は享保年間に始まる(18世紀前半)約一
世紀に及ぶ危機の時代の「締めくくり」
とみなしているので、ラデュりの認識には、かなりの共感を覚える。
[PR]

by agsanissi | 2011-02-03 18:19 | 日々雑纂


<< 日々雑纂      血糖値の目標値 >>