農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2011年 03月 28日

お礼申し上げます!

本日、固定電話及びネットが18日ぶりに復旧しました。
この間、ご心配頂いた皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。

私、個人的にはネットがないと、ほとんどつんぼ桟敷の状態。この間に、三陸沿岸一帯で、実際には何が
起きていたのか、これから何日か、あるいは何ヶ月かをかけて検証していかなければと思っているところで、
やや途方にくれております

この数日、国道45号線を通って隣の野田村、田野畑村に行ってきましたが、東京大空襲後の焼け野原の
写真を目の当たりにする状況は、そこでの生活の光景を直接に見ているだけに、まさに言語に絶する有様、
としか言えません。

一方、個人的には、地震当日、14時46分、丁度、ハウスのビニールの補強テープを張り終わったところ、
その数秒前に、上空をカラスが異常に騒がしく飛び交っていました。「何かな?」と訝しく思うまもなく、ゆっくり
とした振幅の長い揺れが続きました。それでも震度2か3程度の揺れで、大した地震とも思いませんでした。

自宅に戻ったところ停電、携帯ラジオもなく、ネットも使えず、電話も不通。夕刻、早めに食事を摂って寝て
しまいました。夕食の時、前々日9日の地震に対して「意外と、これが宮城県沖地震の本番だったりして..」
などと、なかば冗談のつもりで妻と話し、その時には地震の規模も、被災の広がりも、全く想像外でした。

翌朝、7時ころだったか、地元消防団が「安否確認」に来た際に、「停電は黒崎地区だけですか」などと寝ぼ
けた質問をする始末。「青森、岩手、宮城」と聞いて、初めて事態の深刻さを知った次第です。

私の住む黒崎地区は、海岸から数百メートルの地点ですが、自宅も畑も200-250メートルの高台の岩盤
の上にあり、地震も津波も直接には、なんの影響も感じないような安全な地点。
普代村全体が、海岸に拓けた場所は二箇所しかなく、この不便さが今回の津波では幸いしました。そこは
厚さ50-60センチ、高さ13メートルの鋼板の開閉式の防波堤に守られています。今回の津波は、この防波堤を
超えて民家に迫りましたが、その一歩手前で引き潮に変わり村内には倒壊した家屋は一軒も有りませんでした。
被災者も、津波のさなかに浜を見に行った数名の人にとどまり、岩手県沿岸部でも例外的に被害の少ない
状況でした。とはいえ、これは家屋及び人災だけの話。
海岸部の漁業施設は、船を含めて、ほぼ壊滅。村の産業の八割は漁業がしめていただけに事態は深刻です。
普代村のみならず、三陸沿岸の漁業全体が壊滅的状況に陥りました。
これだけ大きな被害の規模と広がりは、金額だけで見ればバブル崩壊には及ばぬかも知れませんが、心に
与えた傷の深さは、(災害の多い東北人にとっても)まさに66年前の国力の総力をかけた戦争による被災以外
には比較を絶しています。
それだけに戦後復興の時期を、文字通り再現する(国民の7-8割にとっては未経験の)歴史を歩む覚悟が
不可欠です。(実際には、関東大震災に比較するほうが、より適切だろうが、個人的には余りにも遠過ぎる
「歴史的事件」のために、具体的に想起することが中々難しい。)
歴史を、百年~二百年のスパンで顧みれば、我々はこのような苦難をなんども乗り越えてきました。
余りにも目の前の現実が悲惨で、絶望的であるがゆえに、歴史を振り返り、遠くを見据えて進む以外に
道は有りません!
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by agsanissi | 2011-03-28 22:26 | 日々雑纂


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