農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2011年 03月 29日

フラッシュ・バック

25日夜から雪になり26日は予報では終日雪。実際には、昼頃には小止みとなり、時々陽射しもでる。
10-15センチの降雪。一時乾いていた畑も、一面の銀世界にかわる。
22日から27日にかけて、午前中は晴れて、午後になって雲が広がり、時々雪のふる不安定な天気が続く。
28日以降は、天気はやや安定気味に、また週末にかけて気温は上昇気味に変わるだろうか。

28日朝には、まだ真っ白だった畑も、この日の日中の気温の上昇で、15時過ぎにはほとんど消える。
3/10までには、約3トンの種イモの展開を終えて、第二弾の展開は一週間程度間を開けた後と予定して、
この間にジャガイモ畑の準備をする予定だったが、地震と停電と道路閉鎖とで身動きが取れず、
更に、一時は燃料入手の見通し立たず、畑の準備作業は停滞。16日以降はくり返し降雪。腹を据える。

13日午前中、太田名部漁港の脇で船舶の修理工場を営む友人を見舞う。
右側が海で、正面に見える鉄筋の建物が漁港施設の一部。外形は残っているが、内部は完全に破壊。
津波はまっすぐ海から押し寄せ、左側写真の正面に塀の様に見える壁にぶつかって、その返す波で
左側建物(これが工場)を襲った。この付近で浪高は3m程度あった模様。
漁港正面に波消しブロックと防波堤が築かれ、これが津波の衝撃波を、相当程度和らげたようだ。
この写真に見える一帯には民家は一軒もなく、全て漁業関係の施設とその関連施設のみ。
民家は、正面に見える二つの山の内側に広がる谷間に密集し、海に面した入り口は開閉式の防波堤が
築かれている。その意味で、民家は二重の防波堤、港の防波堤と谷間正面の防波堤に守られている。
地震当時、ほぼ同時に大津波警報が出され、即座に防波堤内に逃げこみ難を逃れたそうだ。
13日には、直後の後片付けに追われていたが、昨日、再度見舞いに行ったときには、早くも新しい事務所が
設置され、工場内の電気設備の復旧工事に忙しく立ち働いていた。


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【日々雑纂】
関東大震災(1923/09/01、35.1度N、139.5度E、M7.9)、死者・行方不明14.2万人、家屋倒壊
25.4万軒、焼失44.7万件。関東沿岸に津波が押し寄せ、波高は熱海で12メートル、相浜で9.3メートル。
三陸地震津波(1933/03/03、39.2度N、144.5度E、M8.1)、死者・行方不明3064、家屋倒壊・流出
5851、浸水4018、波高は綾里湾28.7メートル、
明治三陸地震津波(1896/06/15、39.5度N、144度E、M8.5)、死者・行方不明2.2万人、家屋流出
全壊1万以上、船の被害7千以上、波高は吉浜で24.4、綾里38.2、田老14.6メートル。
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by agsanissi | 2011-03-29 06:26 | 日々雑纂


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