農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2011年 04月 15日

フラッシュ・バック/16

◆引き続きジャガイモ畑準備
・朝から無風状態、ドンヨリとした曇り空で蒸し暑い。朝は3.9度まで下がるが、9時にはすでに18度台。その後は
下がり気味。
・西7に引き続きロータリー、A-2(1.6キロ)で一度と、A-4(2.0キロ)&B-2(3.2キロ)の二度がけと、どっちが良いか?
仕上がり状態から見れば、明らかに二度がけが良い。特に雑草や作物残渣が多い場合は二度がけは不可欠。
・二度がけの場合、B-2&A-4の順とA-4&B-2の順では、どっちが良いか?仕上がり状態に差があるようには見えない
けれど、ロータリーに対する負荷は後者のほうが少ないだろうか?
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【日々雑纂】
無常観、昨日のchigsasさんのコメントを読みながら、日本人は昔、無常観を心の根底に持っていたが、最近、
ともするとそれを忘れていたのではないかと、(今度の震災で改めて、それを思い起こしたのではないかと)考えた。
「最近」と云っても、それが「戦後」(昭和20年以降)のことなのか、明治維新以降のことなのか、あるいは江戸時代
250年の支配を通して変化したのかどうなのか、思想史の問題として、詰めて考えてみたわけではない。
・Wikiで「無常」をみると、日本人と「無常」の項で《「祇園精舎の鐘の声」で始まる軍記物語『平家物語』、吉田兼好の
随筆『徒然草』、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」で始まる鴨長明の『方丈記』など、仏教的
無常観を抜きに日本の中世文学を語ることはできない。単に「花」と言えばサクラのことであり、今なお日本人が桜を
愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち無常を感じるからとされる。「永遠なるもの」を追求し、そこに美を
感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っているとされる。

と書いてある。
・中世の末法思想と不可分に結びついているのは分かるが、単にそれだけだろうか。自然環境そのものと不可分に
結びついた、もっと根源的な”思い”、或いは「日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向」という美意識に
無常観を結びつけるのは矮小化ではないのか。
・仮に、無常観を根底において、現代を生きるとなると果たしてどういう生き方があるのだろうか?
洪水神話、《創世記》の洪水神話は、神の教えを守らぬ人間の悪徳に対する一種の報復説話の形式(石原都知事が
どういう意図かは知らぬが「天罰だ」と発言して顰蹙を買ったが、まさにその意味での「報復」だ。仮に「天罰」とすると、
何故その対象が東北なのだ??)をとっている。一方、《ギルガメッシュの冒険》に語られる洪水神話は「永遠の生命」
を求めるギルガメッシュに対して「永遠のものなど、この地上には何一つない」と教え諭す説話として大洪水が語られる。
形式的中身は類似してはいるものの、後者は「無常観」を根底においているのに対して、前者は神の掟を守らぬ人間の
悪徳に対する「懲らしめ」(あるいは「報復」)であり、両者は似て非なる思想を根底においている。
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by agsanissi | 2011-04-15 06:29 | ジャガイモ


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