2011年 04月 22日

フラッシュ・バック/23

・明け方から霧雨、アメダスにはでないが、地面も屋根もしっとり濡れている。
・週末から来週後半まで次々と低気圧が通過し、次の高気圧は29日頃まで見込みなし。

【今日の空模様】
特徴:高気圧の縁辺にあって、天気図の上からは必ずしも雨の予想はできないが、午後から霧雨。
何故か沿岸部の電話が突然不通になり、9~15時のアメダスデータは欠測になる。レーダーアメダスに
も雨は反映されないが、気象衛星で見れば厚い雲に覆われている。
最低・最高気温: 3.5/9.5度 、日照:ゼロ 時間、14時以降一貫して降り続くが累積雨量はゼロとは??
⇒22日午前9時50分ごろ、岩手県釜石市や宮古市など沿岸部の10市町村で、NTT東日本の約8万9000回線が
不通となり通話やインターネット接続ができなくなった。東北電力の協力業者が釜石市両石町で電柱を立てる工事を
した際、地下1.2メートルの光ケーブルを誤って切断したのが原因」とのこと。(毎日から、4/22)⇒当初は、津波・
震災の影響でシステム自体が脆弱化しているのかしらと勘ぐりましたね!


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【日々雑纂】
後藤新平の震災復興の4ヶ月、「日経ビジネス」Onlineで山岡淳一郎氏の連載が始まった。後藤の復興構想の歴史的
経緯は調べたいと思うものの手元に史料がない。山岡氏の連載から摘記を(評価抜きに)作成しておく。(参照
・1923年9月1日、東京、横浜を中心とする関東一円が大激震に見舞われると、後藤は、それまでの「政治対立」を捨てて
組閣に手間取っていた海軍出身の山本権兵衛(1852~1933)を訪ね、内務大臣への就任要請を受け入れた。山本首相
―後藤内相の「震災内閣」を立ち上げると、自ら日銀総裁だった井上準之助(1869~1932)をかき口説き、大蔵大臣に
すえる。行きがかりをなげうって、意見を異にする閣僚とも組んだ。オトナの対応をしたのである。(
・後藤は、いち早く、復興方針を掲げ、帝都復興院に手足として動くプロフェッショナルを集めた。
・不思議なことに大災害は、政治が「空白」に近い状況のときに起きている。...関東大震災が発生したときも、政治は空転
状態だった。震災の1週間ほど前、首相の加藤友三郎が病没した。後継者が定まらず、政党と藩閥の間で猛烈な綱引きが
演じられていた。後藤は、政党から距離を置き、岩手水沢の出身ゆえに長州、薩摩の藩閥からも遠かった。元老は海軍出身
の山本権兵衛に首相内示を与えていた。その山本から内相として台閣に列するよう非公式に誘われたが、政治姿勢が相容
れず、対立していた。
・(震災発生と同時に)後藤新平は、決然と断を下した。
「もはやすべての行きがかりをなげうって、入閣するほかない」
翌2日、後藤はまだ朝日も昇らぬうちに山本権兵衛のもとへ駆けつけて内務大臣を引き受けると伝え、一刻も早く組閣にとり
かかろうと促した。
・山本との面談を終えた後藤は、さっそく奔りだした。「財政だ。すべては財政にかかっている。この難局には、あの男しか
いない」。(と、日銀総裁の井上に大蔵大臣就任を要請した)
・親任式を終えて麻布の自邸に戻った後藤は、母屋の二階奥の和室に籠もると巻紙と筆を手にして、墨痕鮮やかに「根本策」
を書きつけた。
一、遷都をしてはならない
二、復興費には30億円が必要
三、欧米最新の都市計画を採用して、わが国にふさわしき新都を造営する
四、都市計画を実施するためには地主に対して断固たる態度をとる(過去において東京の地主は、街が改造された際にも
公共の原則が求める犠牲を払わず、不当な利益を得ている)。
*注:震災直前の8/24、加藤友三郎首相が急死、その後を受けて28日に山本権兵衛に大命降下、
山本は挙国一致内閣を標榜して政友会・憲政会総裁、衆議院・貴族院の有力者と会見するが組閣
工作は難航。内閣のメンバーも決まらぬ、いわば「政治空白状態」の最中に大震災に見舞われた。

津波の速さ、岩手県宮古市の重茂半島を襲った津波は、上昇した潮位がいったん下がった後、高い波が時速約115キロ
猛スピードで押し寄せていたことが、連続写真の分析から分かった。地震発生から約23分後の午後3時9分ごろから潮位が
上がり始め、同12分に漁港の防波堤が水没したが、同16分には水位が下がって再び防波堤が姿を見せている。しかし、
地震発生32分後の同18分、約800メートル沖の岬の部分に白波が現れ潮位が再び上昇。津波が猛スピードで岸に到達した。
津波が岬から海岸に達するまで約25秒なので、速度は時速約115キロになる。(主に日経から、4/21)

大手企業の自家発電能力、震災後、東電管内に大規模な自家発電装置を持つ主要企業20社が積み増した発電量を集計
したところ、150万キロワットを超えた。関東地区には約1640万キロワットの自家発電設備があり、昨夏の平均稼働率は
5割強で、計算上は約750万キロワットの余力がある。(日経から、4/22)

電波時計の送信再開、東京電力福島第一原発の事故の影響で、東日本を中心にできなくなっていた電波時計の時刻合わせ
機能が21日、およそ40日ぶりに復活した。電波時計は、国内では福島県と佐賀県にある送信所から送られる「標準電波」を
時計に内蔵したアンテナで受信し、時刻を自動的に補正している。このうち福島の送信所は第一原発から17キロの地点にあり、
職員が政府の避難指示で退避。3月12日夜から電波の送信を停止したいた。...送信所を運営する情報通信研究機構の職員ら
計10人が21日、防護服を着て送信所に入り、機械のスイッチを入れた。その後、再び避難したが、無人のまま運転を続け、
電波の送信状況は通信回線を使って東京都の同機構で監視する。(朝日から、4/21)
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by agsanissi | 2011-04-22 04:05 | 日々雑纂


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