農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2011年 10月 17日

余談

・午前中は曇り空、風がやや強く、黒崎から和野山への山間の道はやっと紅葉が始まったばかりというに、早くも枯れ葉が舞い散り、
どんよりとした曇り空と相まって、どこか冬枯れを思わせる。
・一週間前から、約一年間自粛していた自転車通勤を再開する。
・自宅から和野山の作業場までの約2.5キロは、高低差がかなりあり、中でも黒崎の人家の外れから山間に入るまでの約400㍍の
急坂は、今となって反省すれば歩いて登るにもややきつい場所で、去年10月13日に自転車に乗って坂を登り切った付近で意識を
失ってしまい、気づいたときには、普段人気のない場所にちょっとした”人垣”ができる始末。第一発見者からは交通事故と間違われ、
救急車と警察が既に手配され、目を開けると取り囲んで僕の顔をのぞき込んでいる。
・救急車は断ったけれど、「折角来たんだから...」とかなんとか、空振りも失礼かと妥協して(連れて行くのは良いが、帰りはどうする
んだと聞いたら、「申し訳ありませんが帰りまでは考えておりません」との丁重な返答も気に入った)県立病院まで行った。いろいろ
検査をしたけれど、「失神」そのものについては、結局、これといった危険因子は見当たらず。しかし医者は、年齢、糖尿病、心筋梗塞
の既往症の三要素から一般的可能性として「心筋梗塞の再発」の危険性を考えたのだろう。「突然死の危険性がある」とまで脅して
「カテーテル検査」をやるべきだと薦める。「検査」の結果、何かが分かったにしても外科的手術はもち論、薬物療法も受けるつもりは
ないよと断った代わりに、以来、心拍計と携帯型血圧計は常に持ち歩いて、色々なタイプの運動や農作業による心拍数と血圧の変化
を観察してきた。
・これなら大丈夫と判断して(残念ながら、医者はこういうきめ細かい指導はできないのか、しないのか、何れないね!)自転車通勤を
再開した。但し、今のところ、去年失神を起こした400㍍の急坂付近だけは歩いて登っている。
・今年はじめて、この坂を速歩で登ったときには心拍数がいきなり145まで上がってしまい、去年失神を起こしたときには、多分、150
を超えていたはずで、坂を登り切った所で急に立ち止まって血液を心臓に送り返す足のポンプ機能が急停止したために脳が一時的な
酸欠状態に陥ったための失神だろうと推定できる。
・その後は、最大心拍数の80~85%を超えない程度に自粛して、乗ったり降りたりしながら凌いでいる。
参考:心拍数と運動強度の目安

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【日々雑纂】
日本政治の「原型」、池田信夫Blog(11/10/17、参照)に丸山真男の「日本文化論」が紹介されている。日本政治の特性を「納得」
するのに格好の片言隻句を幾つか引用。
・日本人の状況に依存した行動様式...その「原型」=「古層」を成り立たせるロジックは、ほとんど山本七平の「空気」を思わせる。
ただ、山本が「アニミズム」という荒っぽいくくり方をしたのに対して、丸山は日本の共同体の構造に起源を求める。
・日本文化の「原型」には一貫した論理が欠けている代わりに、「形」への強いこだわりがある。善悪も絶対的な対立ではなく、「けがれ」を
清めることによって相対化される。
・歴史の中で一貫しているのは、「なりゆき」の連続性を重視し、多くの人の共有する「いきほひ」に同調する行動様式である。そこでは
絶対的な理念や目的の合理性は問われず、「ここまで来たんだからやめられない」という理由で現状が維持され、過去と未来が
ずるずるとつながる。
・こうした伝統は、江戸時代も今もほとんど変わっていない。絶対的な理念や権力が不在の状況では、理念をめぐる争いも起こらず、
権力を倒す変革も起こりえない。
・TPPで「黒船」が来るのを恐れる政治家は、そうとは意識しないで日本人の「原型」を再現しているのだ。
・下線は僕のもの。もちろん、最後の一句は、丸山の「日本文化論」を元にした池田氏の評価。
日本の社会は下から上まで、「仲間」社会の重層構造だというのが僕の意見だが、仲間社会は「村」共同体と言い換えたほうが良いの
かも知れない。しかし村社会に住み始めて17年になるけれど、まだその実態は朧げにしか分からない。尤も、存在するのは事実だけれど
「住んでいる」と言えるかどうかも怪しい。

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by agsanissi | 2011-10-17 05:50 | 糖尿病


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