2011年 11月 07日

日々雑纂

・一時は、この作業日誌の表題写真にもなっていた(今でも「ネームカード」をクリックすると鮭の皮を咥えた姿が登場するヤギが、
一昨日、その生涯を終えた。大往生かどうかは分からないが、最近は陽だまりの中でウトウトしたまま反応もせずにジットとしている
機会が多くなって、そろそろ老衰期かなと思っていた矢先、半日ほど横になったまま、最期に小刻みの痙攣を残して逝った。ヤギの
ように淡々と・坦々と生きるというのが、僕の後半生の生き方の一つの模範だと考えないこともないではない。
・「最近の日本人は死生観を失ってしまった」とは、僕の持論の一つだが、生き方とは死に方だと、常々、考えている。その意味では、
見事な死であり、この点でも確かに模範の一つには違いない。
・他人の生き方に兎や角口を挟む気持ちは微塵もないけれど、生きることその事自体・長生きすること自体に意味があるかような
最近の風潮には、僕自身は反発を覚える。塩野七生さんが【ローマ人の物語】で、何度か触れているが「体力・知力・精神力ともに
衰えた後のボケ状態で命を保つことを極度に嫌ったローマの指導者層に属す人々には、食を断って自ら死を迎える例は珍しくない」
という一節を、ヤギの死に顔を見ながらふと思い浮かべた。と同時に、【カラマーゾフの兄弟】のゾシマ長老の死に様。

・最近になって書棚の本を、次々と整理している。18年程まえに後半生を百姓として生きようと決めたときに、それまで持っていた
大半の本を処分してしまったけれど、またまた溜まり始めて「あと何年、何冊の本を読めるか?」と考えた時、「どうしても熟読して
おきたい本、サッと通読すれば良い本、拾い読みすれば良い本、繰り返し味読したい本」など、ある程度、分けて考えておく必要が
あるなと思いながら整理している。文字通り「読破」と云って良い。破り捨てて燃やしている。書棚が空いていく一方、新たな本が
埋まったりして、イタチごっこが続いている。
・この数日、破っているのはアナトール・フランスの【シルベストル・ボナールの罪】。岩波文庫の表紙の紹介に「セーヌ河畔に愛書に
囲まれてひっそりと暮す老学士院会員をめぐるエピソードが、静かなしみじみとした口調で語り続けられる。古書に囲まれて育ち、
多くの書物から深い知識を得た後、その虚しさを知った懐疑派アナトール・フランスの世界がここにある」とある章句に、心惹かれる。
・アナトール・フランスというと、なぜか半世紀以上前に初めて読んだ芥川の【或阿呆の一生】の一節、「彼は薔薇の葉の匂いの
する懐疑主義を枕にしながら、アナトオル・フランスの本を読んでいた。が、いつかその枕の中にも半身半馬神のいることには
気付かなかった」という曖昧模糊とした一節を思い浮かべる。
・他にはフランス革命後の恐怖政治の時代を描いた【神々は渇く】しか読んだことはないけれど、この作品の意図を「私の主人公
ガムランは、ほとんど化物のような人物だ。しかし人間は徳の名において正義を行使するには余りにも不完全な者であること、されば
人生の掟は寛容と仁慈でなければならないことを、私は示したかったのだ」と、彼自身は解説している。
・この言葉が、染み染みと身にしみて理解できるようになったのは、僕がある種の政治的理想主義を捨てた後でしかなかった。
・理想主義と懐疑主義は対局にあるだろうか?とはいえ、懐疑派というのは良いとして、懐疑主義というのはいただけない気がする。
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by agsanissi | 2011-11-07 22:04 | 日々雑纂


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