農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2011年 11月 13日

日々雑纂

◆天気予報
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・昨日の正午の天気図と今朝6時の天気図を比べてみる。北海道付近は複雑な形状をしている。北緯40度付近は、東西の傾斜面が
東北面に傾いたかなという程度で「大差はない」とも見える。
・昨日も今日も予報では終日「曇マーク」になっている。確かに天気図では弱い気圧の谷間とも見え、雲が広がってもおかしくない状況。
・実際には、昨日はほぼ快晴に近い。日照時間も7.9時間、9時から15時台まではすべて60分と一点の陰りもない。ところが夜、俄の雨。
今朝は道路はすっかり濡れて、雨で落とされたのか落ち葉に覆いつくされている。そういえば山々の見通しが明るくなり、空の天井が一段
と高くなったようだ。尤も、アメダスには1ミリの雨も記録されていない。
・今朝9時過ぎには上空、重苦しい雲が広がり、昨日とは大違い。気象画像を見ても今朝は40度付近には朝鮮半島から伸びる長い帯状
の雲がかかっている。微妙に東西に傾斜した等圧線から、この雲を想像できるか?11時前には一時小雨も。

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農業が崩壊すれば国も崩壊する(陸奥新報)、アジアの軍事大国としての「大日本帝國の崩壊」は、新たな日本国の再生のきっかけ
になった。一部の人々には痛恨の極みだろうが、少なくとも戦後世代にとっては痛くも痒くもない。仮に「国が崩壊」したとして、それで日本
国から「農という営み」は消えてなくなるのだろうか。「農業の崩壊」とは、現行の農業システムのいったい何がどのように崩壊するのか。
・一体、TPPの参加交渉自体にそれほどの破壊力ないし影響力があるのか。TPP交渉は「対米従属VS国粋主義」の対立軸に転換する
のではという意見(田中宇、参照)もあるし、「帝国主義的・ブロック化の動き」(原口一博&佐藤優、参照)という指摘もある。
・佐藤優氏は「TPPはよく日本の中では自由経済・農業と工業の問題だと云われていますが、実はそうじゃない。ブロック化なんです」と、
TPP交渉それ自体がブロック化への胎動であり、「1930年代の帝国主義的な体制に戻ろうとしている」(同上)と仰る。確かに世界史は
愚行に満ちてはいるが、単に同じ愚行の繰り返しに過ぎなかっただろうか。

医療の進歩、【バーンスタイン医師の糖尿病の解決】(第三版、48.p)に「わずか80年前、インスリンが臨床の場で入手できる以前、
Ⅰ型糖尿病という診断は死の宣告であった。大部分の人たちは、診断後数ヶ月で死亡した」とある。体内で産生する能力が欠如した
ものを外部的に供給または代替することで本来の機能を回復して健常者と同一の生活が出来るようになれば明らかに「医療の進歩」
の賜物といえる。部分的な臓器移植や特定の臓器の機能を人工的臓器で代替する医療技術、更には再生医療も、この範疇に入る
だろうか。但し、このような医療技術を「購買できる」かどうかは、また別問題である。
・一方、【心臓病は食生活で治す】(11.p)に「アメリカ合衆国は心臓病に年間2500億ドルも費やしているのです。これはアメリカ国家
が費やしたイラクにおける最初の二年半の軍事費とほぼ同額で、防衛と国家安全保障のための研究開発を含む、すべての研究・開発
費の年間割り当て額の二倍に相当します。しかし(まことにショッキングなことに...)心臓病にかかるコストのほぼ全額が、対症療法に
使われているということです。...これらの治療法は、基礎疾患を取り除くためや、将来犠牲者になりそうな人々が発症するのを予防する
ためには、全く何の役にも立たないのです」
・これは、全部とは言わないまでも(部分的には、患者のためというより)医療のための医療、医薬産業のための医療と云えないだろうか。
・昨日の日経メディカルブログ「死を知らない医師」の後編で「死を複雑にする医療」(参照)を書いておられるが、その複雑さの背後に
は、大往生という死に方が稀な例外になったことと裏腹の関係にある。
・寿命とはなんなのか、それを見極めるのは自分か、それとも医療技術だろうか。少なくとも僕は、自分自身でありたいと願っている。

神学論争、シリーズ【池上彰の「学問のススメ」】の第一回で加藤陽子東大文学部教授と対談している。題して《原発も戦争も、「負ける
まで」メディアも庶民も賛成だった?》(日経ビジネス、11/08/09、参照
・加藤氏は《自衛隊と似た構造になっていた原発論争》と題して(この題は、編集部の付けたものだろうが)、次のように述べている。
「55年体制というのは、安定多数を占める自民党と、改憲勢力としては足りないけれども議席の三分の一を占める社会党が手と手をとり
あって、1993年まで、宮沢改造内閣までやってきた安定的な政治構造でした。安保条約の第2条の経済協力条項と、憲法第9条の相互
作用によって、日本は東南アジア諸国を安心させつつ、経済成長をひた走ることができました。政治と経済があまりにも安定的に来てしま
ったので、国民としては、自衛隊とは何か、憲法9条の国内的な意味は何か、真剣に考える必要なくして、ここまで来てしまったという気が
しています。自衛隊は合憲かといった表層的な議論に収斂してしまった。」
「原発問題も、推進か反対かの神学論争になってしまっていましたが、そして今も残念ながらそうですが、たしかに自衛隊問題を含む安全
保障問題も憲法9条問題も、違憲か合憲かの神学論争だけがひたすらクローズアップされて、実際に存在する自衛隊の機能についての
チェックはマスコミも怠っていましたね。」

要するに原理的対立だけがクローズアップされ、現実に目の前にある問題(原発の事故可能性や国の安全保障を軍事力によって担保
するという問題)は、「あり得ないこと」「あってはならないこと」として、実際にはタブー視され議論されず、実質的思考停止状態=戦略不在
に陥る、というわけだ。

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by agsanissi | 2011-11-13 08:38 | 日々雑纂


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