2011年 11月 20日

日々雑纂

・明け方一時小雨、深夜は12度以上あり、その後下がってはきたが、今朝の最低気温は11.2度(4:15)、なんという気まぐれ!!
・Kくん来る。沿岸部の被災者支援事業としてクルミ買取&殻の剥き取り作業の支援をやっているそうで、陸前高田から久慈までの
沿岸部一帯から約15トンの野生クルミが集まったそうだ。その買取・収集の途中に寄ったとのこと。「宮古を境に久慈までの北部で
は真剣で顔つきが違う」との話。クルミを採集してくる人は60代後半から70代までのおばあちゃん達とか。

◆人参掘り
・午前中、ディガーを入れて掘り起こした後、13時~14時に3.5人で抜き終わる。その後、葉っぱの切り落とし&選別・袋詰めまで
含めて15時に全て完了する(480キロ+選外150キロ程度)。人参の作業は、これで完了。
・人参の出来不出来或いは生育状況は、毎年、かなりのバラツキがある。片手間にやっている傾向は否めないが、主要な要因は?

◆景色
・初冬ののどやかな配色と彩り
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埋葬、近所のお婆さんとの対話
婆さん「ヤギはどうしました」
    「老衰で亡くなったので埋葬しました」
婆さん「大変だったべ?!」
    「ユンボで穴を掘って埋めてやりました、5分ですんだかな...」
婆さん「....最初は、こう、盛り上がっているけんど、その内低くなって分かんなくなんダ
    「...........」
いきなり、この反応には驚いた。土葬をやった経験のある人でなければ、しかも何度もやった人でなければ出来ない発想かな。
・18年前、普代村に入植した当時、その時から「10年か、20年前は樽に入れて土葬していた」との話だった。
・40年以上昔のことだが、福島の山奥を訪ねたことがある。偶々、葬式に行き遭って、僕とは縁もゆかりもない人だけれど葬儀に
立ち会ったことがある。裏山に薪を井桁に組んで背丈ほどの高さに積み上げてあった。遺体は、多分その中に安置されていたの
だろう。参列者は、各々竹を持って、その周囲を囲んでいる。やがて火が付けられ盛んに燃え上がってくると、先端を削ったその
竹で炎の中を突っつきながら炎の周囲を巡り始めた。誰かが、僕にも竹を持たせて同じようにしろと云う。断ったところ、「故人への
供養だから...」と勧められて、巡って突っついた覚えがある。思えば都会育ちの僕には貴重な異文化体験だった。
・膨張して”破裂する”のを防ぐ知恵と”供養”という発想の見事な融合!

ベートーヴェンとモーツアルト、【アミエルの日記】(1856/12/17から)「どっちが偉いか、モーツアルトかベートーヴェンか。無益
な問である。一方は完成していて他方は巨大なのである。前者は完全な芸術の平和、直接な美である。後者は崇高、恐怖と憐憫、
立返って味わう美である。後者が望ませるものを前者は与える。モーツアルトは光と青海のクラシカルな純粋さを持ち、ベートーヴェン
は空と海と嵐のロマンチックなな偉大さを持つ。モーツアルトの心はオリンポスのエーテルに浸された頂に住んでいるようで、ベートー
ヴェンの心は疾風の吹きつけるシナイの山腹に震えながら攀じ登ってい
」⇒最後の一節が、特に適切な比喩かな。
バルザックとジョルジュ・サンド、(同前、1861/7/25から)「【ウジェニ・グランデ】(バルザック)を読んだ。第一印象は(ジョルジュ・
サンドを読んだ後では)不愉快である。文体の堕落だ。読者は、音楽及び詩から現実の辛い露骨な散文へ移ったことになる。ジョル
ジュ・サンドが云っている《事物の不滅な調和の神的な感じ》の中に人を保ち若しくは高めるものはバルザックではない

バルザックへの評価は、概ね当たっているが、それゆえに僕はバルザックが好きだ。《事物の不滅な調和の神的な感じ》に浸って
いたい人には耐えられない荒々しい現実

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by agsanissi | 2011-11-20 08:37 | 日々雑纂


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