農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2011年 12月 31日

日々雑纂

寝る
・一昨日の夕方、喉に痛みを覚えて、疑いつつも風邪かと用心して、早めに夕食を食べて20時前に寝てしまった。大概の病気は寝れば
(或いはぐっすり寝られれば)治ると思っているから、尤も、この何十年というもの眠い時にしか寝ないし、いったん床に入っても眠れなけ
れば「しめた!」と思って起き直して、本を読むような生活を(百姓になってからも)続けているから、眠い時に寝て目覚めたときに起きるに
任せている。だから寝ようと思って寝られるものではないが、体調不良の時に限って不思議と寝られる。
・妻は「寝るにも体力を必要とする」と云っているが、全くその通りで、年齢を重ねると若い時のように休みだからといって8~10時まで暁も
知らずに寝過ごすなどということは皆無となり、冬でも4~5時、夏ともなれば2~3時には目覚めてしまう。この意味では体調不良で寝られ
るのは自力回復の力がある証拠だと云っても良いかも知れない。或いは自力回復の力を養うために、他の機能を休養させて専ら回復力に
身体の機能を集中しているのかも知れない。
・その証拠となるかどうか分からないし、生命の危険を伴う面があるから他人には勧めないけれど、四年前の10月末の早朝、かなり寒い
朝、一人で(まだ当時は、妻は一緒ではなかった)カボチャを収穫している最中、突然、強い胸痛を覚えて半時間ほど寝ていたことがある。
・胸痛は15分ほどで収まったけれど、その後も左胸から左肩にかけて重い鈍痛のような痛みが残り、当時は狭心症の可能性などつゆ思
わず、肋間神経痛だろうかなどと見当違いなことを考えながらも、三日間、時折目覚める以外、殆ど何も食べずに、ひたすら眠っていた。
四日目の朝、猛烈な空腹感を覚えて通常通りの食事をした後は、何事もなかったように今まで通り仕事をし、今まで通りの生活を続けて、
敢て医者にも行かなかった。
・その後、三年前の9月、特定健診を初めて受けた際に、心電図の異常と空腹時血糖値の結果で糖尿病&心筋梗塞の既往症を指摘され
て初めて医者に行った。当時のことは08/12/04に書いた(参照)。糖尿病担当の内科医はヤブと判断して、食事と運動療法だけで自分で
治すことにして、二回行っただけで止めた。心臓の方は、当時、まだ心臓病についての知識がなかったから二年間は三ヶ月に一度の定期
健診を受けていた。最初の検診で心電図、ホルター心電図(携帯型心電図をつけて24時間の心電図を追跡する検査)、心エコー検査を
受けたが、過去の心血管の壊死の痕跡は残っているが、当面の異常は見つからなかった。ただ自分では、未だに疑問を感じているのは
心筋梗塞を起こして寝ているだけで回復することがあるのかどうか、実際には”梗塞”までいたらない狭心症か、または梗塞との境界域の
病状ではなかったかと判断しているが、心エコー検査にも心電図にもはっきり痕跡が残っているというから仕方ない。尤も、最近の知見では
糖尿病の場合、実際に糖尿病を発病する10年以上まえから大動脈の損傷が始まるというから、この点からは仮に心筋梗塞を起こしたとし
ても不思議はない。
・糖尿病+心筋梗塞などというと、えらく重病人のように誤解されてしまうけれど、現在は血糖値は健常者なみだし年齢相応の負荷には易々
耐えられるし、農作業では昔ほどの頑張りは利かなくなったけれどかなりの重労働もOKだ。血圧も110前後で安定している。
・話を元に戻して、翌朝ぐっすり眠って起きたときには、喉のいがらっぽさは多少残っていたが、鼻づまりも発熱もない。思い当たることは国道
17号沿いの排気ガスの充満した道路を長時間歩いたこと。普段は和野山の、いわば無菌状態の空気を吸っていたのが、突然、排気ガスの
充満した空気の洗礼を受けて撹乱したのが原因か。

荷風の日記、【断腸亭日乗】
・荷風の個人的生活はもちろん、作品にも全く関心はないけれど、【断腸亭日乗】だけは、以前、岩波文庫の摘録で読んで面白かった。
何が面白いのか?【日記に見る近代日本】の紹介に「荷風は、世間と隔絶していても時代や社会に対し全く無関心なのではなく、社会と
一定距離を保つ傍観者であった
」(第四巻134.p)とある。この距離の置き方に僕と共通する所があって、日記の中に時折、垣間見せる
時代や社会の観察が興味深いのだと気づいた。尤も、僕は都会人から百姓に転身したというと云うと、時折、自給自足の生活に憧れて
百姓の道を選んだかに誤解されるが、世間とやや隔絶した環境にいるものの世間と隔絶しているわけではない。一方、荷風は都心の
ど真ん中で、毎夜のごとく銀座辺を徘徊しながら、しかも世間と隔絶していた。これは多分、心の置き所と有り様の違いに拠るか。
・昨日落手して、早速、第21巻「昭和六年正月」から読み始める。日記は大正時代から始まっているが、一番関心があるのは、いわゆる、
「十五年戦争」の時代と総括されている1931~45年を同時代人の荷風がどのように見ていたかという点。この日記は、【日記に見る】に
荷風個人の日常記録という叙述形式を採りながら、作品であることを意識し、遠くない将来に不特定多数の読者を獲得する商品となる
ことを想定して書かれていた
」と指摘されている点を割引しなければならないが、それでも世間をはばかって書かれないことはあっても世間
に媚びるような態度は見当たらない。
・昭和八年十月十八日に「震災後二三年間は世の中の景気も随分よかりし故、私窩子の値段も一夜二三十円なりしが追々下落して唯今
は十五円位がまづ高い方にて、並は六七円より十円なり。但しこれはお客様の払う金高にて女の手に入るはその半額なり
」とある。
震災とは、関東大震災のことだろうが、直後の景気はむしろ良くて、次第に下り坂に入ったとの記述に、やや意外の感を受ける。遊興窟
の特殊事例なのか、復興景気の波及効果の減退のせいなのか?いずれにせよ、通常の歴史書にはこういう記述は到底見られない。


内閣支持率
・今朝の日経に《「蜜月百日」ジンクス続く 世論調査うらおもて》の記事が載っている。「内閣支持率が10ポイント以上落ちた例」として
古い方から、安倍(07/05)支持率41、下落幅12;福田(07/12)以下同じく43、12;麻生(08/11)31、17;麻生(08/12)21、10;鳩山
(09/12)50、18;鳩山(10/04)2、12;菅(10/06)50、18;菅(10/10)40、31;野田(11/12)36、15、この数字はこれだけで特筆に
値する。55年体制と云われた自民党の一党支配の時代が終わって、それに代わる新たな政治支配体制の「模索」の時代、要するに過渡
期暫定政権の時代と総括される。個々の政治家の右往左往は、次の総選挙を意識した単なる自己の就職活動に過ぎない場合もあれば、
政治理念をめぐる駆け引きの場合もあろうが、政党間の離合集散や小政党の乱立は、今後も続く「過渡期暫定」時代の象徴だ。やがて機が
熟する時季を待つほかはない。



2010年12月は何をやってた??
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by agsanissi | 2011-12-31 08:45 | 日々雑纂


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