2012年 01月 01日

日々雑纂

・埼玉に戻ってから一週間、初めて薄雲広がる、昼前にかけて雲厚くなり、全天を覆う、やや肌寒い一日。

淡々と、....
・百姓になってからだと思うが、いつの頃からか、淡々と、坦々と、端々と....生きることを信条としてきた。
・外界の諸事すべてに煩わされず、心を惑わされず、感情を波立たせることなく、平静に、ただ淡々と、坦々と、端々と受け止め、受け流す。
・有頂天にならず、絶望に陥らず、厭わず、面倒がらず、丹念に、かつ心の赴くままに、(精神的・肉体的な)すべての作業をこなすよう心掛け
てきた。
・こんなことを書いたのは、今日をなにか「特別な日」に充てる心の残滓か。
・「端々と」という言葉は辞書にはない。「端」は端然、端的、一方、端女などとも使われる。この言葉の有り様が好きだ。
⇒以上を書いた後、ふと去年の日誌を見た。1日にほぼ似たようなことを書いている。去年は「端」の代わりに「耽」を使っている。
これは「耽読」の如く、たのしむ、ふける、あそぶなどの意。これもまた良し。年頭に期せずして同じ事を書くとは、「特別な日」と
思いたる残滓歴々か。笑ってしまう!!

折たく柴の記
・【断腸亭日乗】昭和九年四月十八日に「白石が折焚柴之記に老衰の事を言う。我が戒となすべし」とあり、その一節の引用有り。その最後に
人の年老むるに従いて、よろつの事につきて、若くさかりなりしときよりハ、そのつつしみ猶重かるへき事也。云々
・この年、荷風56歳、僕より一世代若い、我未だ老衰を思わず。
増税問題
・同じく十一月六日の条に「増税問題起こりてより人心恟々、前途暗澹として方針定めがたしと云う。余窃かに思うに、今回の増税は
天保改革の時幕府が蔵宿及び用達の富商に上納金を命じ、また江戸近郊にありし幕府旗本の采地を返上せしめんとしたる政策に似たり。
天保の改革はその半ばにして挫折したり。今回(*)、軍部の為すところ果たして能く成功すべきや否や。
」とある。
・奇しくも今朝の日経に《首相、迫る勝負の時、消費増税へ退路断つ》との記事が載っている。中に「消費増税に挑んだ歴代首相」の一覧表
がある。すなわち79年大平、87年中曽根、88年竹下、94年細川、94年村山、97年橋本と、32年間に6人、このうち能く増税を成し得たの
は盤石の党内基盤を固めた竹下内閣と変則的挙国一致内閣に近い村山内閣のみ。現在の財政状況から見て「何れは増税やむなし」との
国民的合意を得られる一般的可能性はないではないが、その前に「やるべきことに粉骨砕身の努力を重ねた」との身を切る覚悟が見えぬ。
*「この間約九字抹消、また行間補」の注有り。
アーネスト・サトウ
・昭和十年六月十六日の条に「英国外交官アーネスト・サトウの維新外交史は幕末維新のことを知らむとするもの必ず一読せざるべからざる
良書なり。日本人の著述には見ること能わざる秘事多きのみならず、その観察あくまで公平にしてその記事極めて率直なれば、読み行く中
に時代の変遷するさま、さながら大河の騎士に立ちて流れいく水を見るが如き思いをなさしむ.....維新の変革を記述したる邦人の著書には
必ず悲憤慷慨の文字多く挿入せられ、薩長志士の行動を無理無体に称揚し
....云々」(下線は引用者)
⇒「傍観者」としての面目躍如たるもの有り。傍観者とは、すなわち透徹した観察者の意也。我また、傍観者を自認するの所以也。
・岩手を出るときに、たまたま書棚から引っ張り出してきたメレジュコフスキー【神々の復活】の一節に、ダ・ヴィンチの言葉として
もし芸術家になりたいなら、芸術以外一切の悲しみや、煩いを捨てておしまいなさい。芸術家の心はちょうど鏡のように、自分自身はじっと
不動を守って、明らかに輝きながら、一切の事物、一切の運動、一切の色を映さなければならぬ
」。⇒相通じるものを感じる。

1930年代
・G.Hosking【The First Socialist Society】の第七章「Stalin's Terror」を読む。この本はゴルバチョフが書記長に選出された85年に
初版が出された。次いでソ連が解体された翌年、新たに公開された史料をも踏まえて92年拡大改訂版が出された。第七章「Stalin's Terror」
は、いわば周知の事実の要約に過ぎぬ。とはいえ階級支配の廃絶のみならず、支配そのものの揚棄を目指した革命が、かくも醜悪な対極物に
転化してしまった歴史的現実は、いかなる分析を以てしても解き得ぬ「人間性の謎」が中核部分に残るようなもどかしさが僕には感じられる。
・「30年代」というキーワードは、スターリンと並ぶ世界史的怪物ヒトラーを生み出した点で、彼らが活躍する歴史的環境を理解する助けになる
かも知れぬ。この二人に比べれば同じく全体主義の旗手とはいえ、ムッソリーニにはどこかラテン的な陽気さが垣間見える。
・まして日本の30年代となると、確かに日本近代史上稀に見る粗暴な暴力的振る舞いが横行したものの、その多くは荷風の云う”悲憤慷慨”に
類するどこか大人気ない幼稚さを漂わせており、ソ連やドイツの周到・緻密にして組織的な、水も漏らさぬ暴力的支配に比較すべくもない。
・荷風の日記、1931年正月から35年12月まで読了する(1963年版全集第21巻)。「乱世の状況」「思想上の鎖国」「満州戦争起こりてより世
の有様一変し」など、戦争と共に次第に窮屈になる世情を反映する記述や軍部に対する批判的言辞の削除の跡は見られるものの、かかる日記
が公然出版された事実を忘れるべきではない。
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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-01 08:57 | 日々雑纂


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