農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

sanissi.exblog.jp
ブログトップ
2012年 01月 11日

日々雑纂

・図書館から予約していた本が届くとの連絡を受ける。散歩を兼ねて図書館から旧市役所跡を廻り、裏通りを選びながら城址公園まで歩く。
借りてきた本がずっしりと重く肩に食い込む。ベンチで一休みしながらパラパラとめくってみる。多くは【日記に読む...】に触発されて読みたく
なったものだ。
濱口雄幸日記、これはまあ、歴史研究者でない僕には、サッと目を通しておけば良いかな。⇒日本の政治家の「日記」は概ね大した
もんじゃない。記録としてはともかく、独立した読み物として、読むに値するのは、僕の知る限り「原敬日記」「「西園寺公と政局」(日記とは、
やや性格が異なるが)「芦田均日記」くらいなもの。濱口日記も、それ自体としては大したもんじゃない。
矢部貞治日記(銀杏の巻)、「昭和研究会」や近衛の大政翼賛運動との関係で部分的には読んだことがあるが、「日記」そのものは初めて。
近衛の「新体制運動」の政治的ブレーンという程度の認識で、僕は近衛という政治家そのものを余り評価していない。徳川慶喜・近衛文麿・
細川護煕と三人並べて”お公家さん”(センスは中々良いけれど、それを実行するだけの胆力に欠け、形勢不利と見れば平然と部下を見捨
てる)と見ていた。最近、ニ三の近衛関係の本を読んで、ちょっと見なおす必要があるかなと思う矢先に、【日記に読む...】で、矢部日記を
再認識した。高木惣吉の場合を含めて、このような合理的精神が中枢部にありながら、それが圧し潰されていったのはなぜかという視点で
捉え直す必要を感じる。
高見順全集第7巻(激流)、「昭和という時代を誠実に生きようとする一人のインテリゲンチャの魂の記録」云々。荷風の【断腸亭日乗】と
同時代の傍観者的生き方とは対蹠的な生き方の記録か。⇒「激流」そのものを描ききったと言うより、激流に浮かぶ泡沫を描いた感じ。
エラスムスの勝利と悲劇(ツヴァイク)、ツヴァイクの伝記物の中で唯一未読のもの。「フーシェ」を読みなおしてみると、伝記作家としての
ツヴァイクの才能はミケランジェロの彫刻におけるが如し。

考え方はいまだ”高度成長時代”?
・10日付の日経コラム「鈴木幸一氏の経営者ブログ」で【生活様式はいまだ高度成長時代】ト題して、こんなことを書いておられる(参照)。
・「時間に対する感覚、生活様式、国に対する受益者としての要望、企業活動他、あらゆることの前提にあった経済の右肩上がりの終焉
という厳しい現実
を認識していかないと、思いもかけなかった崩壊を招きかねないと思うのだが。もちろん、グローバルベースで、新しい
技術や産業を切り拓き、そのけん引者として日本が再生していく道をさぐり続けていくことがもっとも重要なことは言うまでもない。「失われ
た20年」といったぼんやりしたとらえ方ではなく、「製造業による右肩上がりの経済」という時代が終わったのだという明確な認識を持つ
ことから始めない限り、未来は見えてこないだろう
」(下線は引用者)
・昨日、パラダイムシフトの兆候と書いた。「兆候」の段階は過ぎているのかも知れない。「製造業による右肩上がりの経済」という時代が
終わった
という認識は、それを示している。しかし転換期には、逸早く、その転換を捉え今までの考え方をきっぱりと捨てて、新たな潮流の
動向を嗅ぎとり、流れを泳ぎ切っていくものと、従来の考え方にいつまでもしがみつき、浮きつ沈みつしながら、やがて時流に押し流され、
沈んでいくものとに別れていく。何もこれは、経済・経営という分野には限らない。社会・文化・思想・生活様式・そして政治システムをも
巻き込んだ大きな歴史的転換へとつながっていく。それでこそ、まさにパラダイム転換というにふさわしい。
・自分の議員生活の去就にとらわれ、右往左往の離合集散を重ね、日替わりメニューのごとくに総理総裁の首の挿げ替えに憂き身を
やつす(これこそ今までの行動様式の延長では対応できなくなった証左かな)政治家こそが、最も時流に遅れているのかも知れない。
小日本主義と大日本主義
・たとえその転換が世界的なものではなくとも、一国的な環境の激変であっても、必要に応じて考え方・生き方を質的に転換することもまた
ある種のパラダイム転換に相当するだろうか。内村鑑三の紹介するデンマークの工兵士官ダルガスの発想は、戦いに敗れ、領土を失い、
荒れ果てた国土を肥沃な大地に変えた彼の発想は、その見事な実証に当たるか。
・明治の開国以来、欧米諸国に門戸を開き、欧米諸国に見習いつつその過密な人口を養うには広大な領土と豊富な資源が不可欠である
として帝国主義的・大国主義的政策を掲げ、やがて英米と決定的に対立するに至った立場に対して、産業主義・自由主義・個人主義を3つ
の柱とする「小日本主義」を主唱した石橋湛山らの「満州放棄論」「移民不要論」は、まさに戦前の日本にパラダイムの転換を求める思潮で
はなかっただろうか(参照)。

低炭水化物食への一つの懸念ないしは忠告
・【Cardio Diabetic Frontier】の2-2.「食後高血糖・脂質異常称と動脈硬化」に、行き過ぎた高脂肪食(低炭水化物食)に対する忠告
が載っている。
・「非肥満糖尿病モデルであるGKラット(参照)に一日二回の高脂肪食(低炭水化物食)あるいは低脂肪食を与えて食後高トリグリセリド
群(TG群)と食後高血糖軍を作り、動脈硬化に与える影響を検討した結果、食後高血糖群では一日二回の食後高血糖をと高インスリン
血症を認めた。一方、食後高TG血症群では一日二回の高TG血症のみを認めた。HbA1cや体重に両群間の差はなかった。しかし内皮
細胞への単球接着は動脈硬化を促進させる血糖変動群よりも食後高TG群でより多く増加した。....食後高血糖のみを危惧する余り
炭水化物食を奨励することで食後高TG血症を引き起すことが
、実際には動脈硬化をより促進させてしまう可能性がある
」(同じ教授の同
趣旨の論文が、このサイトで見られる)
一般論としては、リスク管理は総合的なリスクを極小化する必要があって、一面的なリスク評価は他のリスクを高めて、却って総合的
リスクを高める可能性があるということ。しかしこの場合、「高脂肪食」とは飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸との区別、或いは獣脂と植物油
あるいは魚脂との区別、更にはω3とω6との区別ないし比率を考慮し、比較検討しないのは、本質的欠陥には当たらないか。

----------------------------------------------------

2011年1月は何をやってた??
[PR]

by agsanissi | 2012-01-11 08:30 | 日々雑纂


<< 日々雑纂      日々雑纂 >>