2012年 01月 12日

日々雑纂

c0048643_14593064.jpg狂信との戦い
・「彼は地上のただ一つのものを、理性の仇敵として心から憎んでいた-狂信である。
みずからすべての人間の中で最も非狂信的であり、おそらく最高位とは云えないと
しても最も広い知識を持つ精神であり、文字通り人を酔わせる慈善ではないにしても
誠実な善意の心情であったエラスムスは、あらゆる形式の不寛容な志向のうちに、
我々の世界の禍根を見ていた。」.....
・「彼は宗教的、国家的、世界観的分野の別なく、およそ狂信と名のつくものに対して
は、これをあらゆる和解の不倶戴天の破壊者と見なして戦ったのである。....どの階級
にせよどの人種にせよ、馬車馬的偏見の思想家たち、狂信者たちのすべてを憎んで
いた。この連中はどこでもかまわず、自分の意見に対しては絶対服従を要求し、あら
ゆる別なものの見方を、異端とか破廉恥とかと軽蔑して呼ぶのである」8-9.p
・「エラスムスの個人的な悲劇は、ほかならぬ彼、あらゆる人間の中で最も非狂信的
な彼が、しかもほかならぬ超国民的な理念が初めてヨーロッパを勝利の光で覆った
瞬間に、国民宗教的な大衆情熱の、史上で最も凶暴な噴出の一つによって引き落と
されたことにある」15.p
・「時に、数世紀を通じて極めて稀ではあるが、世界全体がまるで布のように真っ二つ
に引き裂かれるほど、風力の強い対立的緊張の生じることがある。しかもこの裂け目
はどの国、どの街、どの家、どの家庭、どの心をも縦断する。そんな時四方八方から
怖ろしい圧力と共に、大衆の優勢が個人を掴み、個人は集団的妄想から自己を防ぐ
ことも、救うこともできない。このような狂奔する波涛の激突は、およそいかなる安全
な局外の立場をも許さない
」16.p(下線は引用者)【エラスムスの勝利と悲劇】から
1日に触れた「1930年代」は、まさに数世紀を通じて極めてまれな「世界全体が
まるで布のように真っ二つに引き裂かれ」た対立的緊張の時代、「大衆の優勢が個人
を掴み、個人は集団的妄想から自己を防ぐことも、救うこともできない」、そんな時代
として理解することで、幾分かでも、その真相に近づきうるのだろうか。

・この本は、ヒトラーが政権についた翌年(1934年)に出版された。この年、ツヴァイクは
オーストリアから英国に亡命した。
容赦なき戦争
・世界が真っ二つに引き裂かれ、互いに国家の総力を挙げて戦い、どちらか一方がもはや立ち上がれないまでに疲弊し、殺戮の限りが尽くされた
戦争が、どちらか一方が正義に立ち、他方が人道に対する罪を問われるなどということはありえない。そのような茶番は、勝者の敗者に対する
醜悪な復讐劇を「人道」の名のもとに飾り立てる二重の欺瞞でしかない。このような欺瞞の根底には、明らかに「欧米型人道主義」という偏狭な
正義感があったと僕は見なしている。現在でも、それが脈々と息づいていることはイラク戦争を「悪」に対する「正義の戦争」と位置づけたことに
も現れている。
・J・ダワーの【容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー) 】のAmazon.co.jpの紹介文から。
「ユダヤ人の大量虐殺を別とすれば、人種主義は、第2次世界大戦を語る場合に主題として取り上げられることはほとんどない」。しかし、ドイツと
日本の残虐行為を見る連合国の目は人種的に両者を差別していた。ドイツの残虐行為は「ナチスの犯罪」であり、ドイツ文化や国民性に根ざすも
のではなかった。これに対して、アジアの戦場における日本の残虐行為は「単に『日本人』の行為として伝えられていた」。
ジョン・ダワーは、大平洋戦争当時のアメリカの政府高官や軍指導部の発言、新聞・雑誌の論調、さらには映画、ポップカルチャー、時事マンガ
にいたる膨大な資料を渉猟し、そこに通底する「赤裸々な人種主義的本質」を摘出した。「日本人は人間ではない。残虐なサルだ。だから1匹残さ
ず殺せ
」という意識が、戦争遂行機関、マスメディア、戦場の兵士を貫いていたという。
このような殲滅思想は、異端に対する宗教戦争で、十字軍戦争、宗教改革、宗教戦争で繰り返し、繰り返し現れている。それ故、
僕は、単に「人種主義的本質」に根ざすのみならず、時に活火山のように噴出する一神教的正義感に基づく「狂信」が根底にある
ト見なしている。

たとえば、ルーズベルト大統領主席補佐官のウィリアム・レーヒにとって「日本はわれわれのカルタゴ」だった。彼はローマ帝国がカルタゴの消滅
を戦争目的とした史実に、アメリカの対日戦争目的をなぞらえていたのである。「コリアーズ」誌は、レーヒの考えをもとに「日本を破壊すべし」と
いう論説を掲載した。この表題はローマの大カトーが元老院で演説した「カルタゴを破壊すべし」からの転用だった。
アメリカの戦争目的が「野蛮なサルを絶滅させる」ことである以上、大平洋戦争が徹底殺戮の「容赦なき戦争」になったのも当然である。しかし、
「世界の大部分を巻き込み、5000万人以上の人命を奪った前例のない破壊的戦争において、どうして一方の敵対者だけの野蛮性など語ること
ができようか」。残虐行為のジェネレーターはステレオタイプの人種観であると、ダワーは言うのである。
(伊藤延司)
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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-12 15:59 | ミミズの寝言


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