2012年 01月 18日

日々雑纂

・昨日から吉川英治【親鸞】を読み始める。糖尿病および心臓病の研究書を別にすれば、もとよりなにか系統だった読書をしているわけではない。
気の向くまま、興に乗るに任せて乱雑に読み散らしているに過ぎない。突然、親鸞を読み始めたのは、別段、何かの発心あってのことではない。
・【矢部貞治日記】(銀杏の巻)に、昭和15年末から翌年正月にかけて「親鸞」を読んだ記録があり、16/01/01にこんなことが書いてある。
僕は炬燵で「親鸞」を読み耽った。女人との煩悩のくだり心打つものがあり、求道の欣求と、それを黒谷の市井に見出すあたり、学問の道に
志すものにも示唆が深い。特に僕は、自己の地位と、不断に心に蟠る学問の惑いの間に、教示深く読んだ。何かしら、生の人間にとっての仏法
の教えがますます心にかかるのである。人の実相を離れて真理はない

・もう、何十年も前のことだが丹羽文雄の「親鸞」を一部だけ読んで関心を持ったことがあり、いつか読みたいなと思っていた心が
「求道の欣求と、それを黒谷の市井に見出す」云々の一句に、にわかに惹かれて読み始めた。
・日本の仏教は、鎌倉時代になって初めて民衆宗教として花開いたという漠然とした思いがあるだけで、僕は鎌倉仏教については何も知らない。
・親鸞については「妻帯」でつとに知られている。が、その「妻帯」行為が、当時の仏教界にどれほどの衝撃を与えたか、そもそも何故そのような
行為に及んだか、その意味は何か等、考えたことはなかった。この場合、「考える」とは、その時代に・親鸞の置かれた立場・彼が生活した環境
に自らを置いて「考える」ということだ。吉川英治は、これを見事に・活き活きと・活写している。
・青年親鸞が、自らの煩悩に苛まされ、生死の境を彷徨う難行の末、思い余って黒谷の法然を訪ね赤裸な懺悔を吐き出す場面、
法然は終始じいっと眦をふさいで聞いていたが、やがて半眼に開いた眼には同情の光がいっぱいあふれていた。いじらしげに、29歳の青年の
惨たる求法の旅の姿を見るのであった。ひたむきに難行道の険路にかかって、現在の因習仏教の矛盾と戦い、社会と法門の間の混濁を泳ぎ
抜き、さらにその旺な情熱と肉体とは、女性との恋愛問題とぶつかって、死ぬか、生きるかのー肉体的にも精神的にも、まったく、荊棘と暗黒の
なかに立って、どう行くべきか、僧として、人間として、その方向さえ失っているというのである。.....
『わたしは、遂に、だめな人間でしょうか。忌憚なく仰ってください』....
『あなたは、選まれた人だと私は思う。この人間界に・五百年に一度か、千年に一度しか生まれないものの内のお一人だと思う』....
『お寛ぎなさい。もっと楽な気持ちにおなりなさい。....自力難行の従来の道にある人が、一番怠っているその自力を出すことと難行を嫌うことで
した。それへあなたは真向にぶつかっていった。そして当然な矛盾に突き当たったのです。けれど、今のつき当たった境地こそ実に尊いものです』

(全集版233p)
・親鸞から、姫を「妻に頂きたい」との懇望をうけた前関白九条兼実はその議を一族に諮り、当然のように猛反対を受け、思い余った末、やはり
法然を訪ね、愚者も悪者も、聖人も俗人も、一切他力本願、念仏によって救われるとする念仏門への疑念を質す場面。
『.....では何故、僧は妻をもたぬか、肉を忌むかということに考え至るからです』
『いと易いお尋ねじゃ、それらの行はすべて、修行の障りとなるために、自力を頼んで排した難行道の相なのです、他力易行の門には敢てない
ことじゃ、有るがままの相に任せておくのみで、こうあれと強いるとことは既に難行道になろう。
(同、264p、下線は引用者)
・「妻帯」という、いかにも自然の行為が当時の仏教界において、いかに破天荒な革命的行為であったか、それを決断するに至るまでの親鸞の
苦悩がいかに深いものであったか、いってみれば世間の常識という、単なる人間界の便宜的・一時的な約束事(いわゆる科学的認識も、敢て
含めて)を覆すことが、いかに困難な荒業であるかを見事に描き出している。
・昔、吉川英治の【新平家物語】を通じて初めて平家の歴史的役割が肉感を以て理解できたような思いをしたことがあるが、小説【親鸞】を通して
鎌倉仏教の実相にいくらか触れ得たかの印象を持つ。
・「救われる」という思い、その切実さは昨年の三陸大津波のような大災害が日常茶飯の出来事としてあり、人間の生き死に・生き別れ・家族の
生死不明、天変地異などが相次いで生起する世の中(「方丈記」の冒頭を読むと、そんな世の中が想われる)を想像してみれば、多少でもその
実相に迫り得るだろうか。
・同時に、法然・親鸞の行く末を思えば、当時の一般庶民の反応はともあれ、権威社会(比叡山他既存仏教界およびその思想的影響下にあった
上流・貴族社会)が、いかに愚劣な反応しか示しえないか、どんなにそれが道理に反する行為であれ、それが権威社会の”自然の”反応に過ぎ
ないか、数百年・千年たとうがこの反応に、大した変化はなさそうだと見極めがつくと、いくらかでも淡々と生きられるだろうか。

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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-18 18:38 | 日々雑纂


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