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農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2012年 01月 21日

日々雑纂

・暗い、7時ころまでは雨は降っていなかったが、再び降り始める。特に厚い雨雲ではないが、列島全域が雲に覆われている。
午後になって、やや雨脚は強まる。
・昨夜読み始めた【老嬢】は一気に読了。「解説」にあるように「その筋だけを取り出してみると、俗悪なメロドラマに過ぎなくなってしまう」
の通りだが、筋なんかはどうでも良い。ともかく面白い。楽想はロクでもないが、奏でる音が惹きつけずにはおかないシンフォニーのような
もんだ。
・ちょっとした片言隻語のなかに、革命の動乱からナポレオンの帝政を経て王政復古に至る1820-30年代のフランスの紆余曲折の様
が映し出されている。
・「コルモン家はデュ・ブスキエの巧妙な指導のもとに、あの、真に自由主義的でもなければ、はっきりとした王党派でもないという始末の
悪い見解を代表することになった。極めて尊厳で、極めて偉大で、唯一の真の権力すなわち王権と、およそまやかしで、甚だ変わりやすく、
極めて圧制的な権力、すなわち選挙による議会が行使する、いわゆる議会勢力との間の闘争が明確な形を取った暁に、「221人議員」を
生み出した政治的見解である

・「共和主義思想というのは、最初の若気の過ちなのです。若い時は自由を求めながら、見出すのは最も恐るべき独裁政治、つまり無能
な衆愚の独裁政治なのです

・【断腸亭日乗】には、毎日のように銀座や玉の井に通う話が出てくる。今の銀座は知らないけれど、50-60年前の銀座なら(兄が一時
銀座付近に住んでいた関係で)、多少は知っている。が、「玉の井」となると荷風の日記から大体の見当はつくがイメージがわかない。
・今和次郎の【新版大東京案内】(昭和四年に中央公論社から出版された本の復刻版、批評社刊)に「私娼街」として亀戸、玉の井が
紹介されている。「玉の井は、浅草駅から二つ目の停車場玉ノ井から北ニ三丁の一円を占めている。亀戸も玉の井も、暗黒街の名に恥じ
ず、まるでトンネルを潜るような暗いジメジメした通りから成り立っている。広くて九尺、多くは六尺幅の道、甚だしいのはやっと人が歩ける
三四尺幅の道の両側に、その暗い家がズラリと並んでいるのだ。その露地、小路の多いこと、一度迷い込んだら、明るい娑婆には出られ
そうもない感じ....、そういう中に二千人の私娼が、その青白い笑いを売っているのだ
」239p
・昭和四年というと、関東大震災から6年、昭和の金融恐慌から2年、昭和三年には関東軍の画策した張作霖爆殺事件が起こり、議会では
「満州某重大事件」として政府の責任が追求され、責任を負った田中内閣は総辞職、代わった濱口内閣は年来の金解禁に備えた厳しい
緊縮財政に踏み切るなど年表からは、暗い・沈んだイメージの東京が想像される。一方、今の「大東京案内」からは、猥雑で・混沌とした・
活気に満ちた伸び行く東京の実相が浮かび上がってくる。ここには、いわゆる「昭和史」などからは窺い知れない姿が垣間見える。
・といって、もち論、苦悶の姿がないわけではない。「恐慌時代」として、こんな指摘もある。
なぜ花柳界が苦悶をする。それは言うまでもない日を追って発展するカフェーやバーの圧迫、取り分け激しかった昭和四年の夏枯れに
加えて、濱口内閣の高圧的緊縮政策という風で、まるで花柳界は三方から詰め腹でも切らされそうになったことである。
...云々」

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2011年1月は何をやってた??

by agsanissi | 2012-01-21 10:21 | 日々雑纂


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