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2012年 02月 05日

日々雑纂

・朝の冷え込みは和らぐも、陽射しはやや弱々しい気配で、東の空には雲も広がっている。天気は下り坂なのか、「今日の午後
から雲が広がり、明日の夕刻からは雨」との予報。

・「教行信証総説」(参照)を読んで、改めて思うことは「思想の形骸化」ということ。思想そのものの持つ限界(主体的担い手の
観察対象の限界、観察者の限界、定式化に伴う限界等)のみならず、一般に時空を超えた絶対的真理がありうるかどうか。
・「思想」は、思想として定式化された瞬間から、「形骸化」が始まるということ。【空想から科学へ】でエンゲルスは、社会主義
思想はマルクスによって初めて「空想」から「科学」になったということを書いているが、この場合、エンゲルスは「科学」という言葉
をどいう意味で使っているのか?厳密には、一度も反省したことはなかったけれど検討する必要があるかも。僕自身は「科学」も
客観的世界の認識手段の「一つ」には違いないが、「唯一の」とはみなしていない。
親鸞の悟りを、「弾圧をする側の仏教から弾圧をされる側の仏教へ移ったという事実は、決して単に移行していったということじゃ
なくて、弾圧をする側の仏教と訣別をしたわけです。完全に訣別をしたわけです
」(参照)と位置づけている。「単純なものの言い方
をすれば、弾圧をする仏教が人間を救うということはありえないということです。弾圧をしていくその仏教が、全ての人々を平等に
救うということはありえないという単純で素朴な事実です。そのことへのうなずきが、全ての人々を平等に救うということができない
ならば、大乗の仏教と名告ることは許されない
」(同前)
「万民救済」という思想を根底に持っていながら、なぜ「弾圧する仏教」という反対物に変わってしまうのかという問題として定式化
すれば、【啓蒙の弁証法】のテーマ;「なぜに人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに、一種の新しい野蛮状態に
落ち込んでいくのか」(参照)と共通する問題をはらんでいる。
・近代になって、「万民救済」の看板の代わりにマルクス主義は「特定の階級」(プロレタリアート)の解放を掲げ、ナチズムは「特定
の民族」(アーリア人)の支配を掲げたけれど、結果は過去の経験と同様、反対物へと(国家権力を総動員し、科学的で・周到な
体制のもとに、最も醜悪な悪魔的性格を曝け出す様な方法で)転化してしまった。もはやこれは「思想の形骸化」というには留まら
ない「対立物への転化」をはらんでいる、としか考えようがない(問題は、「どこまで一般化出来るか」ということ)。もし仮に、これを
最初から「悪」という捉え方をすると(或いは、結果の見えている立場から一面的に捉えると)、本来、そこに見るべきものを見失って
しまう。
吉川英治の「親鸞」と【白い道】との比較;【総説】の中で、この比較をやっているわけではないけれど、【白い道】を読んでからは、
吉川英治の捉え方は「愛欲」の問題に矮小化しすぎている、親鸞の精神的葛藤の意味合いを歴史的背景の中で捉え切れない
のではないか(また「妻帯」に関しても、親鸞が決定的な第一歩を踏み出したわけではないことが、【白い道】を読むと分かる)。
「愛欲とか、名利とか、その他の諸々の人間関心が比叡山にいる間にも、親鸞聖人の中に起こってきて、それとの葛藤があったと
いたしましても、それは比叡山を降りる第一義的な意味ではないというふうに、私はどうしても考えざるを得ないのです。
」(参照
・親鸞の信仰もまた、それが教団として成立し、一定の社会的勢力に発展していくと共に、やがて反対物へと転化していく。この
辺りの問題を、非常に言い難そうに、奥歯にものの挟まったような言い方で書いている。
「これはやっぱり、覚如上人ほどの頭脳明晰なお方が、こういうふうにまでして位置づけて書いているのですから、それはやはり、
そういうふうに覚如上人が書かなくてはならなかったわけです。そういう前後の文章をもって、後序の文を二つに分けて、しかもそれ
を逆転させてまで位置づけていかなくてはならない理由があったといわなくてはならないのだと思います。それはいったい何かと
いいますと、一言で申しますと、弾圧下の宗教、したがって限り無く弾圧をされていく宗教というものが、少なくとも、その時代その
時代の世俗の状況と手を結ぶことができるには、手を結ぶことのできる決定的な要素がいるのですよ。それがなければ手を結ぶ
ことはできないのです。」
参照
「教団」として成立させ、世俗権力と妥協した瞬間に、法然なり親鸞なりの思想の本質的な要素を欠落させてしまう。
そのあたりを明確に云わないで、「教団」の成立を合理化していくあたりの歯切れの悪さは、30年代のスターリン体制下の「反体
制派」に対する裁判でのオールド・ボリシェヴィキの弁解に類似のものを感じさせる。
参照

糖尿病と血管内皮機能「FMD」情報ファイル参照)&「FMD検査.jp」(参照






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2011年2月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-02-05 04:25 | 日々雑纂


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