2012年 02月 24日

この国の”行く末”/その2

・時々、コラム「溜池通信」を読んでいる。特に、この通信のアメリカ大統領選挙の観察が鋭い。今日の「かんべえの不規則発言」(2/22)に
こんな言葉が載っている。産経新聞の第12回正論新風賞の授賞式での井上寿一教授の挨拶の引用だそうだ。
歴史観には大きく2つの流れがある。ひとつは戦後を肯定して戦前を否定するもの。もうひとつは戦前を肯定して戦後を否定するもの。私は
少数派かもしれないが、戦前も戦後も肯定したい

自分の考えを書いておけば、歴史は「否定も肯定もしない。ただ坦々と、淡々と観察するのみ」、翻って当事者としての立場に自らおいて
考えると、どうか?天気と同様、与えられた諸条件のもとでの選択肢は限られている。問題は自分一己の思いを「空」にできるかにある。


《12/01/08》から
ねばねば天下り利権付消費増税
・今日のBLOGOSの植草一秀氏のコラム(参照)に、二年半前の「衆議院本会議での野田佳彦氏の発言抄録」が載っている。
・該当部分を、衆議院本会議「議事録」(参照、第171国会・常会・第46号)から引用しておくと、
私どもの調査によって、ことしの五月に、平成十九年度のお金の使い方でわかったことがあります。二万五千人の国家公務員OBが四千五百の
法人に天下りをし、その四千五百法人に十二兆一千億円の血税が流れていることがわかりました。その前の年には、十二兆六千億円の血税が
流れていることがわかりました。消費税五%分のお金です。さきの首都決戦の東京都政の予算は、一般会計、特別会計合わせて十二兆八千億
円でございました。
  これだけの税金に、一言で言えば、シロアリが群がっている構図があるんです。そのシロアリを退治して、働きアリの政治を実現しなければなら
ないのです。残念ながら、自民党・公明党政権には、この意欲が全くないと言わざるを得ないわけであります。
 わたりも同様であります。年金が消えたり消されたりする組織の社会保険庁の長官、トップは、やめれば多額の退職金をもらいます。六千万、
七千万かもしれません。その後にはまた、特殊法人やあるいは独立行政法人が用意されて、天下りすることができる。そこでまた高い給料、高い
退職金がもらえる。また一定期間行けば、また高い給料、高い退職金がもらえる。またその後も高い給料、高い退職金がもらえる。六回渡り歩いて、
退職金だけで三億円を超えた人もおりました。
 まさに、天下りをなくし、わたりをなくしていくという国民の声に全くこたえない麻生政権は、不信任に値します。
」云々(下線は引用者)
・植草氏は「これを、繰り返し野田佳彦氏に突き付けることが不可欠だ」と書いている。かつて麻生内閣に突きつけた不信任案の刃は、自分に跳ね
返って来る。
自民党が「与党」なら、やはり財政再建のためには消費税引き上げは避けて通れない。その意味では、民主党の引き上げ案を公約違反として
追求するのは、単なる形式的議論で話にならない。問題の根本にあるのは、まず「身を切る覚悟」、特殊法人やあるいは独立行政法人のみならず
肥大化した政府組織そのもの&立法組織を簡素化し、財政の圧縮と透明化を図り、その上で過去の借金削減計画を提案するのが、話の本筋だ
ということ。民間・個人を問わず、破産した会計又は家計の再建計画とは、すべてそれが常識だ。

ミラボーの至言;桁が全然違うけれど、最左翼のジャコバン党から総裁政府の警察長官に就任したフーシェを称して「大臣となったジャコバン党は
もはやジャコバン党の大臣ではない」という言葉は記憶に値する(ツヴァイク【フーシェ】130p)

《12/01/07》から
小さな政府、大きな政府
・昨日書き忘れたことを足しておく。野田総理の「不退転の決意」で、即座に頭に浮かんだのはライオン宰相と呼ばれた濱口雄幸だ。
方法は間違ったけれど、実行力も決断力もあった。小手先の駆け引きに終始する「料亭政治」を拒絶し、国民に直接訴える術を心得ていた。
日本の首相で初めて当時最新のメディアであったラジオを通じて国民に直接自身の政策を訴えた首相」(Wiki「濱口雄幸」参照)になりえた
所以だ。
・野田首相は、高校の同期会で「四方八方から弾が飛んでくる。最近は背後からも飛んできた」と語ったそうだ。こんな状況で正面突破する
には「国民に直接訴え、国民を動員する」しかない。6日の日経「大機小機」に「国民が固唾を飲んで議論に注目し、一喜一憂し、笑いさざめ
きながら落ち着くところに落ち着かせるようにすべきだ
」とある、同感だ。
・それには、増税の不可避を訴えるなら、自ら身を切る覚悟を示さなければならない。例えば、在任中、自ら給与を五割返上する、高級公務
員は二割返上するが、率先して二割五分返上、一般公務員は一割返上。五年で省庁再編を進め、公務員の二割削減する。地方公務員も
これに準ずる措置を自主的に実行する。国会議員定数は三分の二に削減する等々を実現の上、消費税引き上げと低所得者対策・社会保障
政策・医療保険の一体的改革を提案する。一方、デフレを考慮し、震災復興と今後の大震災に備えた大都市再編計画に国内外を問わず
資本参加を呼びかける。そのため大胆に規制を緩和し、道州制の導入と共に地方に大幅に権限を委譲する。それでこそ「国民が固唾を飲ん
で議論に注目」する。この程度の提案が出来てこそ「不退転」も実態を備えるが、現状は単なる空文句にすぎない。
・二年半ほど前、民主党政権はある種の「国民総動員」を求める必要がある、と書いた。
・民主党は、自民党の「負の遺産」を背負い込むことになる。民主党の特徴を、一言で言えばポピュリズムということになるか。
・そのほかの具体的政策ではバラバラで一体性がない。要するに明確な綱領を持たない寄り合い世帯。
ポピュリズムの最初の試練は「財源」だが、いまや借金財政の重みが、すべて民主党政権に被さってくる。
・この苦難を乗り切る唯一の方策は、ある種の「国民総動員」、国が国民のために何が出来るかではなく、国民が「国」のために
何が出来るかが問われているという明確なメッセージを打ち出せるリーダーが必要だが、鳩山にはその資質はない。
(09/07/19、参照
下線は今回改めて付けた。)
・鳩山も菅も、正反対の無能をさらけ出した。さて、野田総理はどう出る??
・ついでに云えば、こうした提案が出来れば、それは「小さな政府」への第一歩になる。極論すれば、これからは国(ないし中央政府)は金融
と外交と軍事及び各地方間の整合性を図る調整機能だけに権限を特化し、他の権限はすべて地方に移譲するが良い。

《12/01/06》から
小さな政府、大きな政府
・今年は世界各地で重要な選挙がある。一回一回の選挙などは大した意味があるとは思っていないけれど、また所謂”民意”などにも
重きを置かないけれど、数十年~百年というスパンで見れば重要な、時に決定的な意味があると考えている。
・僕の「国家」についての考え方は、マキャベリの「君主論」、ホッブスの「リヴァイアサン」、レーニンの「国家と革命」などが根底にある
から、何よりもまず「権力機構」だと考えている。とりわけ中学2年生の時に読み耽った「国家と革命」の強烈な印象、世界観を根底から
ひっくり返されるような衝撃は今でも忘れない。言葉通りではないが、国家は階級闘争の非和解性の産物であり、社会から生まれ、
社会の上に立ち、披支配階級を支配し、抑圧する道具である。共産主義社会では国家は廃止されるのではない。階級支配は止揚され、
それと共に抑圧機関としての国家は不要となり、国家は廃止されるのではなく、「死滅」するのだ。等々の内容は社会=国家と単純に
思っていた僕にとっては衝撃だった。その後、人間は社会的動物であり、社会なくして「人間」としての存在はありえないけれど、「国家」
、とりわけ近代国家は歴史的産物、すなわち戦争と革命の産物だと知るに及んでレーニンの国家論は最も歴史的現実に沿った国家論
だと考えるようになった。
・もち論、現在ではロシアの10月革命の前夜(8~9月)に書かれたこの本が、単なるユートピアに過ぎなかった、否、それどころかナチス
に並ぶ怪物国家、剥き出しの抑圧機構としての性格をさらけ出す原動力にさえなったと考えているけれど(このような矛盾は、隣人愛を
根底に持つキリスト教が、異端迫害でむき出しにする残虐さ・悲惨さに通じるものがある)、国家の性格の一側面、依然として権力機関・
抑圧機関としての一側面を備えている現代国家を理解する助けにはなると考えている。
・19世紀後半以降、社会主義思想や労働運動の影響もあって、その対抗上、福祉政策や社会保障政策等の社会的な所得再分配が
重要な機能となり、また30年代の世界大恐慌を境にパイの再分配のみならず、パイそのものを拡大する経済政策がますます重要な
意義を持つようになり、経済活動に占める国家の比率は曲折を経ながらも拡張を続けてきた。大局的に云えば、この百数十年、多少の
変動や政策的色合いの違いはあっても「大きな政府」の道を只管歩んできた。その程度に応じて、国家の抑圧的性格は後景に退いた
・いまや潮目は変わったのではないかと感じる。リーマン・ショックを機会に、金融危機の救済のために国家の財政支出は一挙に拡大し、
国家財政そのものが破綻の危機に直面している。各国通貨と国債の信用が問われている。現在はまだ最も弱い鎖が腐り始めているに
過ぎないが、一端が切れれば信用不安の連鎖がどこまで広がるか、グローバル化が進めば進むほど、各国経済の緊密度が深いほど、
その破壊力は肥大化する。一方、国家の裏書してきた約束手形の債務は国債のみならず年金・医療など加速度的に肥大化するのみ。
現在の「税と社会保障の一体改革」など百%実現した所で、将来的に直面する課題に比べれば児戯に等しい。それ故、潮目は変わった
し、変わらざるを得ないと見ている。具体的に、どういう曲折をたどるのか、それは分からない。数十年、百年というスパンで見れば潮目は
変わって、「小さな政府」が大きな潮流になるだろうと見ている。
・”民意”は、当然、「大きな政府」の恩恵に浴しながら、そのための負担には拒絶反応を深めるだろう。そのバランスとアンバランスとの
微妙な兼ね合いで「大きな政府」を目指す党派と「小さな政府」を目指す党派との実際的争いは紆余曲折は免れないとしても、結局は
大きな潮目の変化には逆らえない、というのが僕の見通しだ。尤も、その行方を最終的に見据えられるほど生きてはいないけれど。
・また「大きな政府」を目指す党派と「小さな政府」を目指す党派との対立は、すっきり二分しておらず、民主・自民夫々に内部対立の温床
を残したまま、また過去の対立軸の残滓(外交・軍事・所得政策等で)を引きずりつつ、将来的な政界再編の可能性に向かって(当面は
議員個人の再選可能性が彼らの最大関心事で、長期的展望など考える余裕もない)ジグザグの混乱をたどるだろう。
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by agsanissi | 2012-02-24 04:29 | ミミズの寝言


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