2012年 03月 05日

日々雑纂

・昨日の15時過ぎから小雪舞う。今朝4時56分に風雪・波浪注意報が出される。その後、大雪・着雪注意報も、
15時現在20ミリ程度か、霙風に変わり、レーダー上の雪雲は消える。後雨、やや強めの雨。
・予報では、15時頃から雨に変わり、その後霙に変わり、明日昼前後まで続き、後曇に。
・終日在宅、書籍、溜まったFiles、書類など全面的に整理。

・Amzonの検索で「類義語辞典」を探していて【日本語大シソーラス】が大修館から発行されている(03年/09)
のを知って、早速注文した。
・Amazonの内容紹介に「言葉探しのための最強・最大のデータベース誕生!
19世紀半ばに刊行された英語の類語検索辞典『ロジェのシソーラス』は、英文を書くためのツールとして広く
長く愛用され、今日に至っています。同じ発想に基づく「日本語シソーラス」は、日本でも各界から要望されて
いました。しかし編纂の困難さから今まで作られたことはありませんでした。今回じつに二十数年の歳月を
かけ、初めて『日本語大シソーラス』が誕生したのです
」とある。
・約1500頁の内、実に三分の一は索引に充てられている。ある意味、これだけでも画期的な試みだ。
・普段は、30年余前に角川から出された【角川類語新辞典】を使っているけれど、今ひとつ物足らない。中途
半端に意味や例文を載せているため収録語彙数が制限され、”ちょっと違うんだな”との感が否めない。
・この点、【大シソーラス】は、どうか。まだ昨日、手に入れたばかり。試しに「海」を引いてみる。角川の索引で
は、「海」の他に海の付く言葉に海亀、海千山千、海鳴り、海開き、海坊主が載っている。大シソーラスには
海、海が湧く、海千山千、海鳥、海鳴り、海の藻屑、海の物とも山の物とも、海開き、海辺、海寄り、海を渡る、
とあって、その下に小分類が幾つかある。例えば「海千山千」の小分類は世馴れる、世故に長ける、浮世の
習い、狡賢い、鉄面皮、これ見よがし、とある。角川の方は「人事」の大分類に関わる「人物」、「性向」の中分
類の中の二箇所を指示している。
・さて、本体の「海」。角川は43の関連語を載せている。大シソーラスの方は、海の関連語に16の関連語を
載せ、その関連語の内の一つ海の「固有名詞」だけでも70~80個を収録している。
・とことん「言葉」に拘り、関連付け・分類し、言葉の星々が織り成す小宇宙を垣間見せてくれる感を抱かせる。
Amazonのレビューの中に「これは類語の語彙だけが羅列されている辞書だ」と不満を書いている方がいる
が、ただの羅列ではない。
・編者の山口氏が「跋語」で書いて居られる通り、「これは一つの世界観だ。分類するとはひとつの世界観の
表明だ
」「妙な発見。ただの分類作業と思っていたが、どうしてどうして。言葉の背景となっている文化への
確固たる判断を要求される

・僕は、直ちにヨハネ伝の冒頭の句を思い出した。When all things began,the WORD already was.
・試しに、一昨日、僕が書いた「いまさら何で漢文だ」等と嘯いての「嘯く」を索引で引いてみた。載ってない。
「日本国語大辞典」を引くと、7つの意味が載っている。最初の意味は「口をすぼめて息を強く吐き、また、音を
立てる」とあり、日本書紀からの用例が載っている。更に詩歌などを吟詠する、感嘆の余りため息をつく、虎が
吠える、照れ隠しにそらとぼける、強がりを言う、などと変わってきたことが分かる。「字通」には、口をすぼめ
て声を出す、長く声を引いてなく、口笛を吹く、などとある。「大言海」には「虚空に向かって息を吹き出す」との
意味が載せてあって、その中の一例として「空嘯くというは、人言を斥けて、聞き入れぬ意」と解説している。
・試しに「大シソーラス」で「歌う」を引いてみると、歌謡の中に「朗詠、吟誦、長吟、吟嘯、誦す」と吟嘯が載って
いる。但し索引には「吟嘯」も載ってない。
・このような作業も、CD-ROM化されれば、「嘯」で検索すれば、直ちに関連語がヒットされるから一瞬のうちに
一覧表ができて索引も、さらに充実されるだろうが(CD-ROMも販売されているが、これはまだ買ってない)、
過去30年以上にわたってノートとカードで営々積み重ねてこられた努力は只々驚嘆の他ない。
・収録語数は異なり語で20万、延べ数32万という。毎日、100語引き続けても僕は75歳を越えてしまう。数
だけ誇っても仕方ないとは云うものの、類義語は多いに越したことはない。編者は、「序」で「本書をまとめる
にあたり、ことに索引の段階で、最も困難を極めた元凶は表記の乱れであった」と書いておられる。先の嘯く
が載っていない一因も、ここに起因するかも知れない。しかしこの「乱れ」は、同時に日本語の多様性・自在性
でもある。「跋語」に「日本語とは如何に乱れた言語か!」作業しながら何度も何度も前に遡って確かめなくて
はならなかった腹立たしさがまだ燻っていた。
と書いて居られる。
・と同時に、基本作業の終わった段階での感慨として、「日本語とは如何に美しい言葉か!」やがて体の底
から熱い感慨が沸き上がってきた。「人は、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは国語だ。
それ以外の何ものでもない。
」とシオランからの引用を交えて書いて居られる。
・このニ様の相反する感慨は、多少でも外国語と日本語に真剣に立ち向かった経験のある方には共通する
思いではないかと想像する。僕も、若い頃、英語・ロシア語・フランス語・イタリア語などをかじり始めた時に
「日本語の乱れ」というか、非論理性に苛立ちを覚えたことがある。しかし今は、他の言語の方は忘れ始めた
けれど、逆に日本語(漢字文化を自国の文化に取り込み自在に活用する様も含めて)の変幻自在・融通無碍
の姿に、躊躇なく感動を覚えると断言して憚らない。
・尤も、この言葉を無惨にも改変して極端にまで短縮・省略して恥じない若者文化には「植民地根性」の卑しさ
を覚えるのは、僕が歳をとりすぎた証だろうか。

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2011年3月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-03-05 18:08 | 考える&学ぶ


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