2006年 01月 09日

分ったようで、分らない

「作物の健康」をキーワードに検索したら、「地球デザインスクール」の「ぐうたら農学校」に行き会った。
その「ぐうたら講義録」の第一回「有機農業をなぜするか」に、土の健康・作物の健康・そして人の健康は
三位一体
という意味のことが書いてある。

この書き振りが気に入ったので、ぐうたら農学校校長・西村さんの「有機農業コツの科学」を読んでみた。
(2005年1月刊、七つ森書館、もと「ぐうたら農法のすすめ」の改訂版)

全体としては、コモンセンスの利いた良い本だ。
しかし「分ったようで分らない」書き振りも、特に一般論の中にある。そのひとつに、
「雑草・病原菌・害虫を差別しないという、有機農業にたいする私の価値観」と書いている。
「差別しない」というのが、除草剤や殺虫剤・殺菌剤などの農薬を使わないという意味ならわかるし、
自然の生態系という視点からは雑草・病原菌・害虫などというものは、本質的に存在しないのだという
意味でもわかる。しかし「作物栽培」という視点を持ち込めば、その対策は別として雑草・病原菌・害虫
という区別は避けられないのではないか(「差別」はしないが、区別はするのか)?

時に、「雑草という草はない」などと云って、何か意味のあることを語っているかに考える人がいるけれど、
問題の本質は作物とその周りの植物との有機的な関係を考えずに、雑草を目の敵にしたり、むやみと
除草剤をかければよいというものではないということではないのか。
「作物」を栽培しながら、「作物と雑草は差別しない」と作物も雑草も一緒くたに収穫する人は、まさか
あるまい。

「差別」しないでどうするのか?西村さんは、こう書いている。
「わたしの考えを申しますと、病原菌をただのカビに、害虫をフツウの虫に、雑草をただの野草にする
ような知恵を、自然界から学べばよいだけのことなのです」
これも分ったようで、分らない。
自然界には、食物連鎖の関係があるだけで、元々の病原菌、害虫、雑草などのようなものはいないという
意味なのか、それとも自然界の植物は生体防御の働きでそういうものには犯されないという意味なのか?

異物排除の考え方というか、除菌だの除草だのといって、むやみと殺菌剤や除草剤を散布して病原菌も
害虫も雑草も撲滅せねば済まないという考え方には組しないけれど、自然界のアナロジーに学べば、すべて
丸く収まるような書き振りには違和感を覚える。

また現代農業と有機農業を二元的対立物であるかに捉えて、こんな風に書いている。
「現代農業が化学肥料と農薬にどっぷりつかって、それでいてハイリスク=ハイリターンのバクチのような
経営を続けている世相では、有機農業は決して目立つ存在ではありません。農薬と化学肥料にどっぷりと
浸っていれば、自分の農地でどのような生物現象が起こっているかなど、見る余裕ないからです。もしそこ
に豊かな生物の世界があることに、少しでも眼を向ける余裕があれば、そして健康な野菜の姿が理解でき
れば、その瞬間から有機農業という素晴らしい世界が現出するのですが」

現実の世界は、果たしてそんなに単純で、鮮やかな二元的対立を現出しているのですかね??
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by agsanissi | 2006-01-09 14:20 | 考える&学ぶ


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