2006年 01月 24日

視点を変える


国会図書館のビジョンに「真理がわれらを自由にするという確信に立って」と書いてある。
尤も、真理は宙に浮いたものではなく、人の心を介して働くものだから、認識されない真理は目前に
あってもなきがごとし。

見える見えないは、視力の問題もあるし、視点の問題もあるし、知識の問題もある。

視力や視点は、物理的・社会的環境や知識によっても制約を受ける。
微生物世界は、目前にあっても見えないが、それは視力と知識の問題。肉眼に見えないのは幸いだが、
一知半解の知識が災いして抗菌抗菌と騒ぐのも可笑し。

重力や空気は、それのない世界にいかなければ、たちどころには理解できないけれど、少なくとも
知識的には感じられるが、その感じ方は知識の幅と深さに制約される。

「人の心は金で買える」と豪語する人には、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末
に困るものなり」という人の心は、深みの見えぬ不思議の世界だろう。これは視力や知識の問題という
より、社会的経験と視点の問題。例えば、自然と独りで向き合うほどの真摯な経験をしてみれば、金
という社会的物神崇拝をあるがままの身の丈にまで縮小して見ることが出来たはずだ。

歴史的事象や社会的事象の多く・またはほとんど全部は、概念的・知識的なものだから、見えるはず
のものが見えなかったり、見えないはずのものが見えてしまったり、これはこれで中々厄介だ。
幻覚と言う心象風景は知的創造力の悪戯か?

目に薮睨みがあるように、視点を変えるのは良いが、視点が外れるのは考えもの。
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by agsanissi | 2006-01-24 14:44 | ミミズの寝言


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