2006年 01月 25日
何かのコラムに「最近の時代劇は酷い、時代考証がまったくなってない」てなことを書いていた。 どんな風に酷いのかまったく知らないが、「最近の」というくらいだから、昔の時代考証はもっと 良かったということだろうか。 それで思い出したが、もともと1933年と1939年に出版された三田村鳶魚の「大衆小説評判 記」と「時代小説評判記」は、当時評判の時代小説、大仏次郎の『赤穂浪士』、白井喬二の『富士 に立つ影』、吉川英治の『宮本武蔵』、『鳴門秘帖』、林不忘の『大岡政談』、中里介山の『大菩 薩峠』、佐々木味津三の『旗本退屈男』、子母沢寛の『国定忠治』、島崎藤村氏の『夜明け前』など、 今に残る「名作」を、時代考証がなってないとして、それこそメタメタになで斬りにしてしまった。 どのくらい凄まじいかというと、お蔭で三田村鳶魚のほうが逆に出版社から干されてしまったとい うくらいに凄かったそうだ。両評判記とも、その後復刻版が出され、中公文庫にも取り入れられたが、 今では古本でしか手に入らない。 分際をわきまえるとか、分相応とか云っても、そもそも「身分」の何たるかが分からなければ分か らないだろうし、70年前にはもっと身に染みて分かったことも、いまではチンプンカンプンだろう。 こうしてみると、時代小説を「時代そのまま」に書けば、それこそほんの一握りの好事家にしか分 からないだろうし、余りにいまの時代に擦り寄って「時代離れ」に書けば、好事家に叩かれる。 いつの時代になっても、この「そのまま」と「離れ」の微妙なバランス感覚のうえに時代小説・歴史 小説は成り立っているのだろうし、「いまどきの」という批判は古典ギリシャ・ローマの時代の 昔から老人派の繰り言だった。 尤も、僕自身は半世紀ほど前に、当時のオールキャスト・総天然色の忠臣蔵を見て以来、時代劇 映画の余りの時代離れにがっくりしてしまって、以来、見る気が失せてしまった。 コモンセンスと言い換えても、大方は良いが、いまの世の中、バランス感覚が失われているかな?!
by agsanissi
| 2006-01-25 19:13
| ミミズの寝言
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