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2006年 02月 09日

「ふたりの証拠」


アゴタ・クリストフの「悪童日記」を読んだのは、5-6年前だ。なにがきっかけでこの小説
を知ったのか、今では忘れてしまった。
乾いた文体で、すべての虚飾を削ぎ落とし淡々と事実を積み重ねて描き出される世界。
事実の持つ重みだけがズシリと訴えかけてくる内容だという印象だけが強烈に残っている。

日本では1991年に翻訳出版され、一時は、ベルリンの壁の崩壊や塩野七生さんの「読後
感は震駭の一語に尽きる」という絶賛ともあいまって人気を博したようだ。
その後、「ふたりの証拠」「第三の嘘」と続く三部作に発展したとは聞いてはいたが、読む
機会がないままに忘れていた。

ふとしたきっかけで、最近、「きみはソーカル事件を知っているか?」を読んだところ、
一時、持て囃されていたポスト・モダニズムやラカンの思想になにか胡散臭いものを感じて
僕自身は全く触手を動かされなかったのだが、物理学教授のソーカルがラカンの知的ペテン
を徹底的に暴き出していると知って、わが意を得たりという気分になった。
と同時に、この記事の筆者の堀茂樹さんの訳したアゴタ・クリストフを思い出した。

アマゾン・コムで検索したところ、なんと50円、1円という破格の値段(値段といえるの
か?!)で売っているではないか。「森鴎外全集が千円で」に匹敵する、と云ったら大袈裟
か!! 最初の出版から15年、もう今の日本ではアゴタのすべての贅肉を削ぎ落とした
簡潔な、乾いた文体は読むに耐え切れないのか?

「ふたりの証拠」を読んだ。「悪童日記」とあわせ読むと、最後の章になって突然、この題名
の意味が鮮明に浮かび上がってくる。依然として、ほとんどなんの説明もなしに、感情を
交えず、淡々と事実だけが積み重ねられる。
日本では、自ら進んで国家に反逆するのではない限り、せいぜい税金の取立てと、政財官の
癒着が取りざたされるときと、庇護や賠償を期待するときに思い出される「国家」だけが、
我々の身近に知る国家なのかも知れない。それ以外の国家の、実在の姿を我々は知らない。
国家が直接に個人の生活に介入し、個人の運命を翻弄する酷薄な時代の経験を、我々は
すでに半世紀以上も前に忘れてしまった(よその「国家」に拉致され、それを見てみぬ振り
をされた酷薄な経験をされた方々はいるが....)。

アゴタの作品は、ソシアリズム・コミュニズムという、元来は国家の暴力的支配を廃して共同
体的統治に置き換える何らかの理想を目指していたはずのものが、全く逆の対立物に転換
してしまった鏡像社会に生きた現実を、淡々と写している。

◆◆ 畑を耕し、自分を耕し、世間を耕す、【耕す生活 ◆◆
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by agsanissi | 2006-02-09 08:46 | ミミズの寝言


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