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2007年 01月 24日

娯楽と報道の境界

1938年10月のこと、H・G・ウェルズのSF小説「宇宙戦争」を、かのオーソン・ウェルズが
緊急報道番組風のドラマに仕立てて全米で放送した。放送中、「これはドラマだ」という注意
が繰り返し流されたが、あまりの迫真性に誘われ、緊急避難したり、義勇軍を募ったり、発砲
事件が起きたりと、全米で120万人がパニックに巻き込まれたそうだ(参照)。

それに比べれば、納豆騒動など、ちょっとした座興にすぎない。「社会的病理」などと大袈裟
なことを云ったけれど、エイプリル・フールか、友人・知人の間の冗談としてなら大受けの
お笑いになる。「騙された!」と笑って済ませば、世間の潤滑油にさえなる。
納豆増産用の設備投資をやって破産した業者が出たとか、納豆用ダイズの作付面積が急増
した反動でダイズ価格が大暴落したとかいうならいざ知らず、数週間、納豆がスーパーの棚
から消えたくらい、実害ともいえぬ。納豆の意外な美味しさが見直されるか、多少の揺れ戻し
の後、元の鞘に納まるか、いずれ愉快なエピソードとして記憶の引出にしまわれる。
番組「捏造」などと目くじら立てるほどのことでもない。ありもしない大量破壊兵器製造の「事実」
をでっち上げ、世界を動員して大量破壊攻撃を仕掛ける政治的「捏造」に比べれば、罪のない
お愛嬌に過ぎぬ。

そもそもテレビでは、娯楽と報道の境界は限りなく希薄化し、時にはお互いに交差している
のではないのか。自分に、番組批判の資格が有るとは些かも思っていないが、立花隆の
『「田中真紀子」研究』の一節を見ると、そんな事を感ずる。
立花さんは、政治のワイドショー化として、こんな事を書いている。
日本の政治は、田中真紀子の登場以来、救いがたく低劣化し、ワイドショー化してしまった。
外交問題、景気問題、財政金融問題、有事法制問題などなど、日本の政治はあらゆる側面
で問題山積だというのに、マスコミの政治報道は外務省問題以来ワイドショー化する一方。
....要するにワイドショー化というのは、....井戸端会議のテレビ版ですよ。そこでは、あらゆる
問題が、オバチャンたちの頭に入りやすいレベルに落として徹底的に図式化されなければなら
ない。しかも大衆を感情的にまきこむために、喜怒哀楽、憤怒、嫉妬羨望など感情のスパイス
をたっぷり振りかけた短いフレーズで誇張した表現が多用
される。


ワイドショー化が、テレビ報道の本質かどうかは問わぬ。
しかし見るべきものを見ず、自分の見たいもの・見やすいものをのみ、画面の中に投影して
見る。大宅荘一が、テレビは国民を一億総白痴化させるといったのは半世紀前だ(参照)。
いまやテレビそのものが白痴的だという批判はないまでも、見るもの・見せるものとの間には、
騙す・騙される関係と同様、心理的な同伴関係があるのではないかとは一考に値する。
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by agsanissi | 2007-01-24 07:51 | ミミズの寝言


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