2007年 07月 02日

六月の天候

今年の六月の天候の最大の特徴は、日照時間の異常な長さ。六月は太陽光線の入射角が
平均して最大になる時期だから、当然、気温も上がる。そんなわけで26日の「今月の日照
時間」で、殆ど話は尽きている。
平年値との比較だけ示すと平均気温は平年値が15.5度、今年は17.5度、同じく最高最低
気温が19.9/11.4に対して28.6/7.4、総じて気温は高いけれど寒暖差も大きい。雨量
は全く平年並みで126に対して131ミリ。

そんなわけで、六月の天候の話はこれくらい、あとは天候にまつわる無駄話を少々。
今年の「梅雨入り」時期はサッパリ当たらないとか、やっと最近梅雨らしくなったとか、天候に
まつわる話題が盛んなようだ。
梅雨入り・梅雨明けに関して、東北北部の過去の例を見ると、過去57年間に「梅雨明け」を
特定出来ずという年が、4回ある。しかもそれは全部、僕が普代を初めて訪れ、移住してから
の15年間に集中している(参照)。更に01年には、最初は「梅雨入り」も特定できずだった。
要するに降るような降らないような、曖昧な天候がダラダラと続き、要するに誰が見ても「変わ
り目」が分からない、或いは全部がグレーゾーンのような時期だった。
いつだったか、はっきりとは覚えていないが、それをきっかけに気象庁は梅雨入り・梅雨明け
時期の「特定」化を止めると公表したように思っている。いつの間にか「頃」を付けて、またまた
発表するようになった。
僕は、梅雨入り・梅雨明け「関連業界」の要望が強くて、またまた発表しだしたと理解している。
何が「関連業界」なのか、そんなものが実際にあるのか知らない。多分、内情はそういうこと
だろうという、僕の解釈に過ぎない。
例えば「梅雨明け・夏本番」というと、一斉にビアガーデンが開かれ、ビールの売れ行きがグン
と揚がる..などの例だ。そして日本のマスコミとくれば、この手の決まり文句の例解辞書
如き。

そもそも日本のように地形が複雑で、温度差のある海流が入り組んで周囲を取り囲み、中国
大陸の東端に張り付き、北極やヒマラヤからの気流の流れが微妙に交差しぶつかり合う場所
で、そもそも正確に天気を「予報」すること自体が至難の業なのだ。だからこそ天気の話題が
豊富で、天気予報が商売として成り立つわけだけれど..。アフガニスタン、サハラ砂漠、黄土
高原では天気「予報」という言葉さえないのじゃないか。
しかも最近では、この海流や気流自体が地球規模の変動で、さまざまな異変を抱えている。
その変動を微細に解析する技術は、大型コンピューターの開発で、確かに地球規模で見れば
電子顕微鏡的レベルにまで到達しているのだろう。
しかしそれがなんだ?気流の流れの1キロの差は、地球レベルではなきに等しいが、我々の
日常生活では雨になるか、曇になるか、晴天になるかを左右するかも知れぬ。

まして梅雨など、大きな気団のせめぎ合いでその境目に発生する停滞前線で、春から夏への
(或いは逆に夏から秋への)季節の変わり目に発生するグレーゾーンの特徴。そもそもグレー
ゾーンの境目(梅雨入り・梅雨明け)を定義すること自体、形容矛盾に等しい行為だ
、というの
が僕の考えだ。尤も、気象庁がそんなことを云えば自己否定につながるから云えないけれど。

雨を降らせる前線という意味でなら、例えば「気象人」で過去の天気図をザット参照してみれば
よい。1月から6月まで、絶え間なく前線は発生し、六月の前線にしても発生したり、途切れたり
西から東に移動したりと、「停滞」前線とはとてもいえない状況だ(参照)。

僕の印象では、最近15年ほど、梅雨パターンが昔に比べて明瞭に現れなくなった。要するに
グレーゾーンの「グレー」が上がったという印象を持っている。多分、それは地球規模の気団、
気流、海流の変動と関係しているのではないかと思っている。但し、僕の印象でしかない。

6月21日の毎日は、<梅雨入り>気象庁「予報外れた」…修正は必至、苦情相次ぐと、
まるで事件のように報じた(参照)。記事を読めば分かるように、僕が編集長なら「阿呆か、誰
もが見れば分かる、こんなものが記事になるか」と付き返す。
何故「予報が外れた」のか、最近になって「外れ」やすい傾向、逆に云えば前線の動きを「予報」
し難い、何らかの異変・長期的変動のような傾向があるのかないのか、或いは「梅雨パターンが
昔に比べて明瞭に現れなくなった」事実はあるのか、その辺の事情を気象庁や気象研究者に
取材し、記事にしてこそ、読むに値する記事ではないのか?
こんなバカな記事、小学生の学級新聞並みだ。それを読まされ、苦情を持ち込む方も「類は
友を呼ぶ」かな?!

自分の地域で、雨が降りそうか、どうかなんぞは、空を見て、天気図をみて、更には最近は
ネット上で山ほどレーダーアメダスを初め便利な道具があるのだから、「予報」を参考に自分
で判断すればよい事で、気象庁に「苦情」を持ち込むなど論外だ。それをあおるような新聞も
論外。阿呆の恥の上塗り。
何でも公式の「お墨付き」をもらえないと不安でならない、自己判断力・自己責任の乏しい国民
性の表れでもあるが。研究者にしても、芸術家にしても、独創的で・真に偉大な人間は、まず
海外で有名になってから初めて国内で持て囃される例がなんと多いこと、評論家というわけの
分からん商売人がなんと多いこと。自分で判断し、評価し、責任を持つ自信も・自覚もない
からお墨付きや評判や海外の評価を当てにする、何とお寒い文化国家。尤も、それを逆手に
利用すれば商売にはなるから、一丁前の経済大国にはなったけれど。
その資格も疑わしい農水省に、大きな顔をして「食の安全・安心」などと云わせているのも、
その一部だが...おっと、ここまで書くと、多少、八つ当たり気味かな。
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by agsanissi | 2007-07-02 06:18 | 気象/季節メモ


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