農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2007年 07月 05日

「学ぶリスク」

昨夜から雨が降り続いている。今週中にスズカリ大豆の最終播種を終えてしまおうと思って
いたが、絶望的になってきた。こうなると陸に上がった河童同前、寝言は農閑期にしか書か
なかったが、このところ「寝言」ばかりついている。

学校は勉強するところか、学ぶところか??
「勉強するリスク」という言葉を、偶々目にしたので、「勉強する」を「学ぶ」に置き換えてみた。
勉強する人に学ばぬ人は多いけれど、勉強せずに学ぶ人は比較的少ない。
「勉強」は、ある程度まで法や環境に規制されるけれど、「学ぶこと」は専ら、その人の好奇心
や知性や謙虚さに依存している。
この方は、スイング法を丸暗記しても、140キロの球を素人には打てないという例を挙げて、
一般論を学んでも即座に応用できるとは限らないという当たり前のことを、「勉強のリスク」と
捉えているようだ。本を読んで丸暗記したり、情報を集めて真に受けることを「勉強」と心得て
いるようだから、最初からリスクのある勉強の仕方を例に挙げて「勉強のリスク」を云々して
いるに過ぎない。こういう同義反復を尤もらしく書く人はいくらもいるから、それ自体はどうでも
良いけれど、本を読んだり、情報を集めたりするほど、本質から遠ざかるのが農業だ、と
勉強のリスクという同義反復からトンチンカンな結論を引き出しているから、寝言ついでに
触れてみたくなった。尤も、「農業の本質」から遠ざかるとは、どういう意味か僕には理解でき
ないけれど。

15年前に、僕が一年間の住み込みで農業研修を受け入れて頂いた方は、日本農業大賞を
受けた方で、それなりにプロなのだろうが、研修の初日から「農業は理屈じゃない」と仰った。
農業は科学であり、科学である以上、学ばなければならない」と反論した。
全くの素人から、そんな反論は予期しなかっただろうけれど、それから一週間、質問攻めと
反論攻めで閉口したのか、ついに黙り込んでしまった。そのせいかどうか、それから更に
三週間、「もう、君は普代に帰って自分でやった方が良いよ」と、引導を渡されてしまった。

農業は、実践科学であり、経験科学だから、学んで理解すれば、それで応用できるという
ものではないけれど(たとえ理論科学でも過酷な経験を積み重ねなければ、一人前に理論を
応用できるとは限らないけれど)、経験法則を学んでおけば、自分の実践や経験をより深く
考えることが出来るし、反省することが出来るし、無駄な労力や試行錯誤を節約できる可能性
は大いに向上する。経験を通してしか理解できないこともあれば、経験を通してより深く理解
できることもあるけれど、理論を学べば直ちに理解できることもある(それ自体、それ以前の
その人の経験に依存しているけれど)。様々な条件と、数多くの試行錯誤を通して経験則と
して確立された法則
(経験科学の理論とは、そういうものだが)があれば、それを学ばずに
一から自分で試行錯誤を繰り返す必要がどうしてあるのだ?

「農業には答えはない」とも書いておられるが(つまり学ぶべき「答えがない」ということだが)、
言い換えれば、農業には学ぶべき一般的経験則はないというに等しい。具体的諸条件を無視
した一般解はないという意味だろうけれど、農業に限らず、経験科学は常に具体的諸条件を
前提にしている(たとえ理論科学といえども、時空を超えた無限定の絶対的真理など想定して
いない)。農業の中には、答えの出ない分野もあるだろうし、答えの出た分野もあるだろう。
要するに問題は常に具体的に考えるべきであって、「農業に答えはない」などという一般論は、
全く無内容な言い草か、さもなければ百数十年の農学の成果を全否定しているに等しい。これ
ほど傲慢な発言が、どうして出来るか僕には理解できないが、自分の書いている意味を単に
理解していないに過ぎないのだろう。
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by agsanissi | 2007-07-05 09:33 | 考える&学ぶ


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