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2007年 07月 20日

人口推計についての覚書/また余談

2000年以上前の人口をどうやって推計するか、またその蓋然性をどう考えるか?
中国の人口動態の激変のこと書いていて、ちょっと気になったので補足しておく
(補足の補足か!限がないね)。

例えば日本の場合、奈良時代以降の人口推計は「戸籍」をもとに推計できる。
記録に残っている最初の戸籍は670年の庚午年籍ということになっている。当然、こういう
整った戸籍以前に地方的・分散的な戸籍の歴史があるはずだから、それよりは二代或いは
三代は遡れる可能性はある。六世紀前半、渡来人によってもたらされた新知識が日本の戸籍
の始まりと考えられているようだ。

ところで戸籍は、誰が何のために作るか
地域の住民を戸籍に編成し権力が税金を取るためである。もっと簡単に言えば戸籍を作れる
ものが権力である
。地方的な場合もあれば、広域的・全国的(「全国的」というのは、統一国家
を前提にするから、またある社会の外延的範囲を、例えば海とか山脈とか、何かで区切る必要
があるが、そもそも国境のない時代に全国的などというのは形容矛盾だが、取り敢えず現代の
人に分かるように使っておく)な場合もある。ある程度、広域的権力でなければ「戸籍」という
方法で記帳する必要はないから社会が氏族社会・部族社会のような血縁的社会では戸籍は
必要ないし、そんな技術もないだろう。ある程度広域的な地縁社会が成立して初めて戸籍は
成立する

また戸籍を作るには、ある単位にまとめて、数を数え、記帳し、記録するという能力が不可欠
である。一方、記帳される側から考えれば、記帳によって税金を取られるのが嫌なら逃げ出せ
ば良いから、記帳されるにはそれなりのメリットがあるか、逆に記帳を逃れるにはそれなりの
デメリットを覚悟しなければならない。またある程度の定着生活をしていなければ、そもそも
記帳の対象にはならない。
戸籍のおおもとになる単位、即ち何を「一」と見るかも、社会形態によって自ずから異なる
個人を「一」と見る考え方は、近代的なもので、そもそもある人格なり個性を伴った「個人」
という見方がない。例えば「奴婢」という存在は、その持ち主の所有物件であり、財産だから、
「奴婢」数に税金をかけるとすれば、それは一種の財産税(動産税)にあたる。妻をどう見るか、
子供をどう見るか、妻の両親をどう見るか、両親の別の子供たちをどう見るか、それは夫の側に
属するのか、妻の側に属するのか。妻や夫は、そもそも一人だろうか?などのことを考えて
みると、何を戸籍の「単位」と見るかは、そんなに単純で明確なものではない。逆に云えば
「戸籍」を通して、その社会のあり方を推定できる(続く)

「戸籍」の基本的性格を、以上のように捉えた上で、「死屍累々」で引用した岡田教授の人口
推計に関する議論を見ると、
西暦二年の人口は5959万4978人で、これは「記録に残る最古の人口統計」だそうだ。次に
「劉秀という皇帝が西暦37年に統一を回復して、後漢朝を建てたときには、もとの人口の十二
分の一しか生き残っていなかったといわれる」と書いている。
この場合の「生き残っていなかった」の意味は、戸籍の性格上、国家にとっては「生き残ってい
なかった」の意味である。実際に戦乱・飢餓・疫病そのほかで死んだのかどうかは、我々には
もち論、同時代の記録者にも分からない。要するに「戸籍」に登録できないということだ。
・戦乱で死んだ
・戦乱を逃れて、避難した
・生活にあぶれて逃亡し、盗賊の群に参加した
・戸籍記録の役所が混乱して、記録が作成できなかった
・戸籍記録者が、戸籍をごまかして「税金」を掠め取った
等々、いくらでもその理由は考える。現代の日本の役所のように「書類」作りに没頭しながら
数千万人分の記録が分からない事態が起こりうるのだ。

戦乱が続き、権力が衰退し、王朝が日替わりに交替すると云うことは、住民に対する掌握
能力が衰退すると云うことだ。そもそも何が起きて、住民が激減したのかさえ掌握できない
可能性もある。
中国という国は、二千年前の記録が漢字で記載され、自国及び周辺国の記録を「歴史」に
記録する一方では、わずか百年前には、地方の役人が自分の軍隊を養い軍閥化したり、
匪賊化したりして、事実上の独立国家を作るようなことを繰り返していた。
従って、「戸籍」に記載された人口が、実際の人口を遥かに下回る事態は容易に想像できる。
税金を沢山支払うために「戸籍」を水増しする奴はいないが、その逆はいくらもいる。

そんな分かりきったことを東洋史の権威が見逃すだろうか?
それは知らない。戸籍記録の性格は以上のように捉えるべきだし、戸籍記録に基づく人口
推計は以上のように考えるべきだ、という単純な事実だけは、誰にも理解できるはずだ。
ついでに指摘しておけば、「戸籍」を通して、その社会のあり方を推定できるという考え方に
基づいて(多分、そうだと僕が思っているだけだが)、昔、高群逸江という女性史研究家が
日本の古代社会は母系制であったと実証したことがあるが(昭和13年「母系制の研究」)、
専門の歴史研究者はこの画期的な研究を、長い間、ほとんど完全に無視し続けてきた。

ともあれ、人口推移の激変は、多分事実だ。それを勝手に「生き残った」とか、死んだとか
鵜呑みにしないように、資料(または史料)の扱いは、その前提になる素材の集め方を含め
て考えなければならないという注意だ(7/21、追記)。
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by agsanissi | 2007-07-20 06:54 | 考える&学ぶ


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