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農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2007年 07月 22日

土を考える/日本人は稲作農耕民か/8、「環境」と云う殺し文句

19.1/22.9度、明け方先の見えぬほどの濃霧、昨夕から続いた雨は早朝に止む。
裏山で鳴くヒグラシに目覚める、今年の初鳴き。この地域のソバの播種適期は7月
の土用を挟む前後五日間と見ているが、この雨で二三日は延期せざるを得ぬ。
専ら、小麦の乾燥作業のみ、といって自分でやる作業は乾燥機からの出し入れのみ。

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「環境にやさしい」等といえば、今や何でも通ってしまうくらい威力のある免罪符の如きものだ。
産業技術はもち論、役所間の予算獲得競争から学会の研究費獲得争いに至るまで、学術論争
から巷の床屋論議まで、家庭のゴミ焼却問題から地球温暖化をめぐる国際間の覇権争いに
いたるまで。

阿呆な環境論者は、「環境にやさしい」雰囲気さえ湛えておれば、その実態が何なのか、
その議論の前提を仔細に検討し、自分の頭を使ってジックリ考える時間も惜しんで流行の議論
に飛びついている。利口な企業家は、これからの商売のキーワードは「環境」であり、ひとつ
当てれば環境産業は何十兆円の巨大市場になるとソロバンを弾いている(参考)。
僕の云うことは、人の善意を疑う悪意に満ちた嘲笑か、皮肉屋のシニックな当て擦りか?
畑作牧畜文明は「森を破壊する」、稲作漁労文明は「森の文化」等と本当に云えるのか。
いま世界の森林を破壊しているのは畑作牧畜文明か、それとも稲作漁労文明か。
農耕文明が発祥して以来の一万数千年の歴史において、最も強烈かつ急激に森林破壊が
進んだのは、いったいいつ、どこで、誰がその担い手になったのかを、ジックリ考えてみたまえ
参考)。

これからの「私たちが模範とすべき生き方は、稲作漁撈の文明だと思います」。
宜しい、具体的にそれはどんな生き方なのだ?口先だけではなく、本気でそれを実行する覚悟
は出来ているのか?
現在の日本人は、果たして畑作牧畜民なのか、稲作漁労民なのか?
稲作農耕民の伝統の上に立っているという思い込みに加えて、稲作農耕が「環境にやさしい」と
でも云えば、居心地の良い慰安を与えてくれるのか?
近代になって西欧の文化が取り入れられて都市が農村を侵食するまでは、我が国の文化
は稲作文化そのものでした
。すなわち、現代まで僅か140年足らずの都市文化に対して、稲
作文化は約3000年の長い年月にわたって日本人のアイデンティティを形成してきたのであり、
我が国固有の文化は農耕民族である日本人の歴史が形成してきたものなのです
」(参照)。
つい最近まで、こういう議論が何の疑いもなく罷り通っていた。
しかし果たしてそうなのか?稲作民俗とともに畑作焼畑民俗が日本文化の基層を形成して
きたのではないかという反省と関心が頓に高まっている(参考1参考2)。
僕の意見では、稲作文化は専ら支配階級の関心事であり、一般の百姓は畑作農耕によって
生き延びてきた
と見ている。なぜなら稲・コメは殆ど税金に取られ、現実に百姓の口に入った
のは畑の雑穀・芋・木の実・野菜等だからだ。経済学的に云えば、コメは税金として徴収され、
或いは換金商品として国民経済計算の対象にはなるが、自給用の雑穀・芋・豆・野菜等々は
経済計算の対象にはならない(主婦労働が国民総生産の対象にされなかったのと同じこと
だ)。仮にそうだとすれば稲作は実態以上に過大評価され、畑作は実態を見逃されてきた。
それ故、稲作農耕文化は支配階級の文化であり、百姓は畑作農耕で生き延びてきた。
果たして、日本は稲作農耕民なのか畑作農耕民なのか?
肉食はどうか?
最近送られてきた吉川弘文館の上半期分の新刊案内に「神々と肉食の古代史」という本が
紹介されている。その紹介文に
古来、日本人は、肉食を穢れとして忌み避けたとされている。だが、神話に登場するアマ
テラスなどの神々は生贄の肉を喜んで食べ、喪葬儀礼や祖霊の祭りでも肉が供えられて
いた。...平安時代に肉食が禁じられた過程を考察
」と書いてある。
実際の中身は知らないが、狩猟採集生活の伝統を担う庶民が、腹を空かせて目の前の獣肉
を食べないはずがないのだ。とすれば肉食を穢れとする思想などは貴族どもの禁忌思想の
観念論(キリスト教の観念論の兄弟だ)の押付け以外の何かであるはずがない。
こうしてみると我々の祖先は、稲作漁労民なのか畑作肉食民なのか。現実はその雑多な混交
であり、そして現在は世界中に機械類・車・化学製品などの工業品を売りつけ、食糧や木材
資源などを世界中からかき集めるリバイアサンだ。
我々は、稲作漁労民の伝統を引き継いでいるという思い込みに安住し、稲作農耕は「環境に
やさしい」などの戯言に耽っている間に、足元の農民は息も絶え絶え、老齢化して減少し、農村
は疲弊し、純農業生産高はゼロ、畜産生産額は米生産額を凌駕し(参照)、米と小麦の消費量
は逆転しかねぬ勢い(参照)、肉類消費量は魚介類消費量に迫る勢い(参照)、しかもその半分
近くは輸入だ。
仮に稲作農耕が「森の文化」で、畑作牧畜農耕が「森を破壊」する文化だと云うなら、我々は
小麦と肉類だけを世界から掻き集め、「森の破壊」は他国に押し付け、自分だけは稲作農耕
の子孫だと自己満足に耽る最悪の嫌われ者と云うことにならないか。

安田さんの提言の中には、まだまだ長江文明に魅せられた発掘者のユートピアが感じられ
る。だがその悪しき亜流の回収型農業・流出型農業の漫画的類型化に至っては、土地所有
関係・技術的能力などの社会的諸関係などとは無関係に、西洋人は栄養学的に肉を喰らわ
なければならぬために、まるで有史以来、ひたすら森林破壊に邁進し、かつ古代ローマの
プロレタリアートに至るまで、中世イギリスの土地を奪われた没落小農民に至るまで鱈腹肉を
喰らって来たようではないか。こんな愚論でさえ、「環境」の看板を掲げれば卓見に見えるらし
く、一部の環境論者には心地良く響くようだから呆れ果てる。

看板に騙され、中身を吟味しないようでは、オレオレ詐欺に引っかかりますぞ!!

by agsanissi | 2007-07-22 19:33 | 考える&学ぶ


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