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2007年 07月 24日

土を考える/化学農法/9

歴史的回顧がやや長すぎた。「土を考える」というテーマでは、多少外れる面もある。順番と
しては次に有機農法を考えるつもりだったが、反科学主義の流れとの関連で「化学農法」を
先に扱っておくことにした。化学農法という言葉があるのかどうか知らないが、化成肥料や
農薬など化学工業品を主に利用する農法としておく。農業機械の利用は不耕起を原則とする
自然農法を別にすれば一般的だから除外して考える。

戦後の農業生産高の著しい増大及び農業生産性の向上の要因は農業機械、化学肥料及び
農薬の普及の三つに還元できる。概ね、その期間は1955年からの約30年間と見てよいか
と思う。この期間に、日本人は少なくとも飢えや栄養失調からは解放され、いまや「飽食の時
代」とまで云われるようになった。但し「飢え」からの解放には国内農業生産の拡大が貢献した
に相違ないが、「飽食」は専ら輸入農産物に依存している。僕の小学生の頃、半世紀ほど前に
は、まだ都会でも栄養失調という言葉が普通に聞かれたし、痩せてガリガリの洗濯板という
綽名(肋骨が洗濯板のように波打って見えた)さえあったくらいだ。
1960年代には、既に耕地面積の縮小も農業就業人口の減少も始まっていたけれど、概ね
80年代半ばまでは、農業生産性の向上で相殺されて農業総産出高は増大した(参照、7-23)。
農業生産性の向上を何で計るか、個別経営では比較的簡単だが、農業部門全体の生産性を
計る指標に何を使うのが適当かは中々厄介だ。目安位の考えで「就業者一人当たりの名目
純生産額」を取ると1960年に9万8千円、70年に34万円、80年に104万円、85年に129万
円、この25年間に13倍、絶対額では到底及ばないが、工業の生産性向上(10倍)を上回って
いる。
農業労働の軽減に最も貢献したのは農業機械の普及、一方、化学肥料及び農薬の普及は
労働の軽減にも貢献したが、それ以上に反収の増大で生産性向上に貢献した。
化学肥料の生産高は、硫安は1950年の150万トンから60年に242万トンに、化成肥料は50
年の4万トンから60年に240万トン、80年に449万トンに増大した。傾向としては単肥は60年
代で頭打ち、代わって化成肥料が80年まで増大し、やがて頭打ち(「日本国勢図会」から)。
農薬出荷高も1980年に68万トンでピークを打ち、その後減少し続け05年には27.5万トン、
出荷高の内訳で見るとこの間、殺虫剤が大幅に減少、除草剤がこれに取って代わり、殺菌剤
は横ばいという傾向が伺える(参照)。
これを農家経済の費用という面から見ると、反当り肥料費が1965年の3.5万円から85年に
16.6万円、同じく農薬費が1.1万円から11.4万円に増大した。統計の取り方が連続しない
面もあるが、この増大は1994年まで続き肥料費は21万円、農薬費は17万円でほぼ頭打ち
になった(参照、7-22)。化成肥料と農薬の生産高が80年にピークを打つのは耕地面積の
縮小による使用量の絶対的減少を面積当り使用量の増大で相殺できなくなったからだ。
絶対的にも相対的にも減少するのは、それから14年たってからだ。ちなみに僕の去年の反
当り肥料費は4500円、農薬費は650円だ。

レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が翻訳出版されたのが1964年、有吉佐和子の「複合汚
染」の新聞連載が始まったのが1974年、農業の現場で、実際に化成肥料や農薬使用に歯止
めがかかるようになるには、更に20年を要した。その間に、農業の現場では、畑作から野菜作
へのシフト、主産地形成政策に伴う野菜の連作、連作障害や反収の減少、化成肥料と農薬の
過用、耕地の疲弊など諸問題が各地で発生し、「作物栽培の矛盾」は覆いがたいものになった。
化成肥料や農薬の使用は、この矛盾を解決するものではなく、却って激発させるものでしか
なかった。加えて環境面からの告発の声は高まる一方だ。
90年代半ばに流れはすっかり変わった。化成肥料万能・農薬万能の安易な考えは深刻な反省
を迫られ
、初めて実質的に化成肥料と農薬の使用が減少し始めた。僕はこれを反科学主義
の大きな流れの一部と考えている。この流れは「反科学主義の必然性」で書いたように、科学
主義の傲慢と権力や企業の走狗と化した科学者への不信が根底にある。科学主義が、自然に
対する畏怖の念を忘れ、「科学の力」が万能であるかに錯覚する行き過ぎを犯したように、
いまや逆の行き過ぎに向かって走り始めているのではないかと僕は危惧しているが、その責任
は百%科学の側にある。
いまや化成肥料や農薬そのものが、まるで悪者であるかに扱われ始めている。化成肥料や
農薬を使わないこと自体に、何か価値があるかの意識倒錯
さえ生まれている。かつてそれらが
登場したときには「魔法のランプ」であるかに珍重されたものが、いまやすっかり価値観は逆転
して厄介者の危険物かに見なされ始めている。
果たして、そうなのか??
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by agsanissi | 2007-07-24 02:14 | 考える&学ぶ


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