2007年 07月 25日

土を考える/化学農法・続/10

有機農法の作物を宣伝するのに、直接に「有機農法です」という場合と「化成肥料や農薬を
一切使わない」と化学農法のアンチテーゼとして説明する場合とがある。有機農産物を公式
に名乗るには法の網が被せられ、小煩い認証制度と課徴金の関門が控えているから有機
農産物を気取るには化学農法の敵役を名乗るのが一番手っ取り早い。
しかし有機農法は、本当に化学農法のアンチテーゼでなければならないのか?或いは化学
農法を全面的に否定しなければ有機農法とは云えないのか
(有機農法について協議する何
とか専門家会議はこういう立場だ、こんな非科学的立場に立って「専門家」とは笑わせるよ)?
この点は、後に改めて考えてみるけれど、今回は「化成肥料や農薬を使わないこと自体に」
価値があるのかどうかを考えてみよう。

この問題は、一年半前に「有機農業コツの科学」の書評めいたものを10回書いたときに、
その最終回「学ぶということ」(参照)の中で「農業は、本質的に化学合成肥料や化学合成農薬
を忌避すべきものなのかどうなのか」という形で提起したことがある。農産物の安全及び環境
保全という視点からの一般的考え方については、そこで既に書いたので参照して頂きたい。
例えば、何らかのアレルギー疾患や農薬過敏症の場合には「農薬を使わないこと自体」に価値
はあるが、もち論、それは個別に対処すべき問題で一般的に忌避すべき理由にはならない。
天然には存在しない化学合成品薬品を使うべきではないという意見があるが、天然の猛毒は
幾らもあるし、そもそも毒物学は天然の毒物の模倣から出発しているのをご存じないのか。
この点、薬剤が天然か合成かは、それを利用した農産物の安全性とは何の関係もない。また
「合成薬剤」そのものを食べるわけではないから、農薬の残留性だけが問題になるが、それを
ゼロにする要求は、現代社会では空気・水・衣食住など環境そのものから口や皮膚を通して
化学合成物(医薬品もそうだ)を摂取する機会に不断に曝されている以上、不当に理不尽で
過大な「安全志向」でしかない。尤も、そのために特別料金を支払う人がいても良いし、それに
応えようとする生産者がいることは一向に構わないが、それは単なる自己満足(と云って悪け
れば、社会的要求水準を超えた贅沢)以外のなんでもない。
ひと頃、農家は出荷用と自家用の野菜を分けて、自家用には農薬を使わないのに出荷用には
バンバン使うなどの悪意に満ちた話が実しやかに喧伝されたことがあるが、そんなきめ細かい
ことをやってる農家なぞ、僕はついぞ見たことがない。まして、この数年、農薬使用基準は益々
厳しくなり、国内農産物に関する限り使用基準に沿った農薬施用によって「食の安全」が脅か
される可能性など、ほぼゼロに近い。

化成肥料はどうか?
農薬の場合、多少とも、安全性と関わると考える人はいるにしても、化成肥料の場合はこれを
「一切使わない」ことに、どんな意義と価値があるのか?僕は、この十数年、ずっとこの問題を
考え続けているし、なにか納得のいく説明があるかどうか探しているが、皆無だ。
化学合成肥料ばかりを使った場合の弊害を指摘する論文は幾らもなる。この問題は、ある一面
では機能的要素を抽出した代替物の寄せ集めを以て本来のものに置換できるかという問題、
簡単に云えばイミテーションは本物に代替できるかという問題に帰着する。
「イミテーション文化」で書いたように、天然のものには、その「機能的要素」と思われるものだけ
を抽出した代替物を以てしては換え難い価値がある場合がある。しかしそれを以て
「天然・自然」の看板を有難がるのは、現代のアニミズムに過ぎない。
例えば、普代は三陸若布の特産地の一つだ。若布にも、天然物と養殖物とがあって、かつて
漁師たちは生長が早いということで出荷用に養殖若布を栽培していても、自分では「養殖物な
んか食えるか」と云っていたものだが(僕は負け惜しみじゃないかと思って聞いていたが)、
最近は天然物は固くて美味くないという声が圧倒的だ。それは作物の野生種と栽培種の違い
のようなもので、殆どの人は栽培種に軍配を上げる。
では栽培種と野生種の違いと、例えば有機質肥料と化成肥料との違いとは、本質的に違うと
云えるだろうか?違うとすれば、何が違うのか?
栽培種も野生種も、「ともに自然のものだ」が、有機質肥料は自然のものだが、化成肥料は
化学合成品に過ぎない、と果たして云えるか?
野生種の人為的選択を通して食用・栽培に適した種を育成した以上、「ともに自然のもの」とは
云えないし、栽培種は野生種にはない長所・短所を持っている。同様に自然そのままの有機質
肥料はないし、自然物に由来しない化成肥料もない。
この場合、問題は天然か合成かではなく、合成対象にされた「機能的要素」が充分かどうか
ということではないのか?
化学肥料の生産高を見れば分かるように、昔は、チッソ、リン酸、カリなど単肥が殆どだった。
60年以降、単肥に代わってチッソ、リン酸、カリを一定割合で配合して化学的処理を施した
化成肥料が伸びてきた。最近は、三大要素だけではなく、様々な微量要素を加えた化成肥料
や作物の生育ステージに合わせて肥料成分が溶出するように工夫されたコート肥料、有機質
肥料を加味した肥料、有機質肥料をペレット化した肥料など様々なものが工夫・開発されてい
る。更に様々な微量要素や各種有機酸などを供給する葉面散布剤、微生物資材なども開発
されている。一方、養鶏や畜産業の糞尿処理の規制が強化され路上投棄など以ての外、野積
みも禁止されるようになって堆肥としての販売利用が拡大され、いまや「化学肥料と農薬に
どっぷりつかって
」などという農法は、いわゆる慣行農法を批判する有機農法論者の頭の中に
しか存在余地がなくなっている。

イミテーションが粗雑で、一面的であればあるほど、本物との違いを見分けるのは簡単だし、
代替物による交換可能性は一面的にならざるを得ない。かつてのチッソ、リン酸、カリなどの
三大要素だけの肥料は、その一面性が明白になるにつれ、改良されてきた。微量要素の重要
性や栄養摂取その他の面での土壌微生物の役割が知られるにつれ、堆肥利用の重要性が
強調されるとともに、また様々な資材が(価格は兎も角、化学肥料を使うのと同じ手軽さで)
利用出来るようになった。要するに化学農法と有機農法の境目はますます不明瞭になり、
相互転換がますます容易になりつつある。言い換えればイミテーションは、益々精巧になり、
本物との違いが見えにくくなるとともに、肥料に関して、そもそも何が本物なのだと問い直される
段階に至ったと云っても良い。
それでもなお「化成肥料をいっさい使わない」ことに、何か積極的意義があるといえるのか??
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by agsanissi | 2007-07-25 23:18 | 考える&学ぶ


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