2007年 07月 27日

土を考える/化学農法・続々/11

前回言及した「化学合成肥料ばかりを使った場合の弊害」について、簡単にまとめておく。
まず、有吉佐和子「複合汚染」から、
問題はしかし、機械の完備だけでは解決しない。耕転機で、どんなに田畑を耕しても、
化学肥料をまけば、土はカチカチの固りなってしまい、大雨は作物の根を流すし、旱ばつには
作物の根をひからびさせる原因になる。
土が死んでいる
という言葉が出るほど、農村をまわっていてよく聞く言葉はなかった。
私は最初のうちは、それが殺虫剤、殺菌剤、除草剤によるものかと思って聞いていたのだが、
もちろんこれらの農薬の強い毒性が土に与える影響は大きいけれど、もっと根本的に云えば
、多年にわたる化学肥料の、きわめて多量の使用が、土の本来的に持っていた活力を失わ
せている事実はどうしても見逃せなくなった

かなり衝撃的なルポ風の文章になっている。
僕は、有吉さんの作品は好きだ。筆力には敬意を払ってもいる。「和宮様御留」など、着想は
面白いが全体の構成はやや破綻している、それを細部の緻密な描写で支えている、それほど
描写力に敬意を持っている。しかし「複合汚染」は駄作だ。僕が百姓だからそう思うわけでは
なく、新聞連載当時から読むに耐えない、「朝日」のヤラセに乗せられたのじゃないかとさえ
考えた。それでも、その筆力と相俟って、「複合汚染」は広範な社会的影響力を発揮し、全体
としてこの本は公害・環境問題に深刻な警鐘を鳴らす意義を持っていたと思う。同時に
「反科学主義」に油も注いだ。
前に書いた通り「その責任は百%科学の側にある」と考えているから、有吉さんの責任がどう
とか書くつもりはないが、軽薄なマスコミの風潮と相俟って、科学的問題を情緒的に捉える悪弊
をながした
。「化学肥料をいっさい使わない」ことに何か積極的意義があるかに思わせる情緒的
雰囲気を形成する礎石の一つにはなった。

科学的には、こんな記事は取り上げるに値しないほどの愚論だ。しかし実際には稚拙で生硬
な表現力の科学論文よりこんな記事の方が遥かに絶大な影響力と知的喚起力を持っている。
まさかコンクリートじゃあるまいし、それだけの要因で、撒けば「土はカチカチの固り」になるはず
がない。
ところが、まず衝撃的な事実を挙げる。次に「多年にわたる」「きわめて多量の」と続ける。
しかし農業の現場を知らない人の頭には「化学肥料をまけば、土はカチカチの固りになる
という半可通の知識だけが定着する。
仮に、化学肥料を「多年にわたって」「きわめて多量」にまいて、土がカチカチの固りになった
とすれば、それには次のような社会的・技術的条件が前提としてあったはずだ。
・畑作の後退と消滅、これで畑への有機物の還元が急速に・かつ決定的に消滅した。
・主産地形成政策の全国的普及、これで野菜作の連作が始まり、有機物還元の消滅と相俟っ
て土壌の劣化を促進した。言い換えれば「土の本来的に持っていた活力を失わせ」ることに
つながった。
・野菜の連作が石灰の多用を促進した、石灰は時に土中で水を吸収して文字通りのコンクリ
ートになった。
取り敢えず、このくらい指摘しておけば充分だ。

事実の、頭の中だけでの短絡的な接合は、必ず間違いを犯すことを繰り返し指摘してきた。
例えば、肉を食う⇒森を伐採⇒砂漠化と、短絡的につながるわけではない。仮にそのような
つながりが出来たとすれば、必ずそれを必然化する社会的・技術的条件が前提としてあるはず
だ。それを忘れて頭と尻尾だけを取り出せば、漫画的な愚論を平気で・真面目腐って言い出す
ことになる。
核分裂によって人類が有史以来、手にしたことのないほど巨大かつ強力なエネルギーを取り
出すことに成功したからといって、それが即戦争で核兵器使用につながるわけではない。
多くの中間項、この場合には社会的・技術的条件のみならず、政治的・経済的・軍事的・思想的
条件等が介在するはずだ。
同じことは、より単純であるにせよ、化成肥料をまく⇒土が死ぬ、カチカチの固りになる
についても指摘できる。要するに両者の間には、いろいろな中間項、社会的・技術的条件が
あり、それを忘れて両者を短絡的に接合すれば、どんなに筆力があろうと漫画的愚論を書く
ことになる。

ひとつの経験的事実だけ指摘しておく。
僕が14年前、現在の開発農地に入植した当時、普代に行って最初に会った普及所の所長は
「風来さん、こんなところで農業やるより、焼き物やったほうが良いよ」
と云った。赤土の粘土質土壌で、ひと雨降ればドロドロの泥濘、乾燥して固まればまさに
焼き物同然の固まり。手で大根のタネを植えれば、百メートルもやれば指先の皮が剥ける。
二年目、ディスクプラウをかけても、いまでは15-20センチ入るディスクの刃が10ミリも
入らない、まるでコンクリートのようだった。それは多年、化学肥料を使ったお陰ではなく新開発
の粘土土壌だったからだ。
僕は、そこに入植して、14年間農業をやってきた。二町歩余から始めて三十町歩まで拡大し
た。最近また、年齢その他を考慮して縮小均衡に持っていく方向に転換し、十七町歩まで減ら
した。更に十町歩程度まで減らして生活できる程度にしたいと思っている。誤解して欲しくない
が、稼ぎたいのではない。気象条件が余りに厳しくて、畑作経営では一般的には十町歩程度
ではまともに生活していく見通しが立てられないのだ。
ジャガイモ、小麦、ソバ、ダイズ、ヒマワリ、ナタネ、人参等を作付けしてきた。
この間、肥料として基本的には化成肥料しか使っていない。堆肥は、自分の費用では経営的
に購入して投入するのはほぼ不可能なので、14年間に二度しか入れていない。
僕は、基本的に二つの目標を持っている。
・作物を作りながら畑を作る
・ミミズの棲める畑にする
それで、この14年間に「土はカチカチの固り」になったか??
全く逆だ。カチカチの固まりが、ほかの畑に比べ最も緩衝性のある土になりつつある。相変わ
らず雑草は多いが、作物はまともに取れるようになったし、品質は高く評価されている。ひと雨
降ればドロドロの泥濘と化したかつての惨状はなくなったし、僕に「焼き物」を薦めたかつての
所長は、定年退職するに際して僕に陳謝の頭を下げた。
だから僕は、有吉さんのために、あんな一面的デタラメの駄作文を書いたことを惜しむ。

化学農法は、これで終わろうと思ったがもう一回書かなければならなくなった。
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by agsanissi | 2007-07-27 04:22 | 考える&学ぶ


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