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2007年 08月 19日

土を考える/無肥料栽培/16

曇、気温は6時現在で16度台まで下がってきた。北緯40度線を境に大陸の高気圧と太平洋
高気圧のせめぎ合いが続いているようで、東北北部上空はすっぽり雲に覆われている。その
谷間を日本海側からは雨雲が寄せ、今日は一時的に雨になるかもしれない。
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世の中には、いろんな考え方があるもので「無肥料栽培」(参照)という農法がある。
無肥料栽培とは、化学肥料・農薬はもちろんのこと、有機肥料(堆肥、油粕、魚粕を含む)
を一切使用せず、土壌と作物そのものがもつ本来の偉力を発揮させることで作物を栽培する
農法のことです。これからの農業がゆく、道しるべがあります
」と説明されている。
福岡さんの自然農法と同じ考え方かというと、やや違うというより、ある意味では根本的に
違うようだ。まして前回に触れた生態系農法という意味での有機農法とは、化学肥料・農薬
のみならず「有機肥料・堆肥は一切使いません」という点で、根本的に異なる。

とはいえ、「本農法は作物栽培において、大自然の生理生態系と、その土本来の偉力(機能)
に着眼するものであって、現代の農業技術管理体系を尊重するものであり、決して自然に任
せる放任的な栽培をいうものではありません
」と自ら説明している。つまり科学農法の一部
であって、耕起・除草をシッカリやる点で「自然に任せる」放任農法とは違うが、自然の生態
系に着眼する点では生態系農法だが、人為的な有機肥料・堆肥の外部投入は一切排除する
尤も、福岡さんの自然農法が放任農法かというと、それではまるで採集経済への後退で栽培
とは云えない。しかし福岡さんが耕起するから土は貧しくなると云う(4回参照)のとは正反対
に、土を耕し栽培することで土は豊かになるという。
いったい「どうなってるのかね?」と素朴に思う。

いままでに、
自然農法という考え方は、大雑把に云えば、作物栽培の抱えている本質的矛盾を避けるため
に、作物をあたかも雑草のように育てようということだ
(3回)とか
有機農法の基本的な考え方は、比ゆ的に云えば「一物全体食」の考え方と同じものだ(15回)
とか書いてきた。これと同じ要領で「無肥料栽培」の考え方を、簡単に表現するには何と書け
ば良いか考えているが、それが未だに分からない。
「無肥料栽培」のWEBサイトの中で「参考資料」として掲載されている「化学と工業」誌
の「肥料と農業の歴史と、その未来」(参照)には
近年、欧米では低投入持続型農業(LISA:Low Input Sustainable Agriculture)という
概念が、有機・無機肥料問わず、農業全般的に重要な方向性として広く認められ始めている。
それは、農地外部からの投入資源に頼った農業をなるべく控え、必要となる有機物や肥料成
分を、緑肥作物の導入(粗大有機物、炭素成分の補給)やマメ科作物(窒素固定力をもつ)
の輪作といった、自己完結的な自然のシステムがもつ小循環を最大限に活用する体系である

という記述を引用している点から考えると、ノーフォーク式輪作の伝統の上に立つ考え方か
とも思えるが、必ずしも明瞭ではない。

「土を考える」と題して、いろいろ書いてきたけれど、僕が最も関心を抱いている考え方は
ここに取り上げた「無肥料栽培」だ。考える素材として何を取り上げたらよいか、どういう点が
テーマになりうるか、いまは考慮中。

やや唐突のようだが、今朝読んでいたあるインカ文明の研究者の言葉に、
 酷(むご)いことですけれども、人間なんて、幻想の中に生きる生き物ですから、自分が
信じるべきもののためであれば、何でもやれてしまう。植民地時代以降の新大陸の歴史を見
ていると、特にそれを感じます。私たちが、自由と民主主義のため、と言って世界の各地で
やっていることも、一歩下がって歴史の目で眺めてみる必要があるような気もします。

というのがあった(参照)。
「幻想の中に生きる生き物」という突き放した見方に、ある意味で感動を覚えた。「幻想」を
形作るものは、哲学であり、宗教であり、歴史観である。時に、科学的思考もまた「幻想」の
一部ではないかと考える。それを明かすものは歴史である。
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by agsanissi | 2007-08-19 06:24 | 考える&学ぶ


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