2007年 11月 07日

「幻想に生きる生き物」

2.1/15.1度、日照7.6時間、朝の気象予報で「今日は暦の上で最後の秋晴れ」になる
と云っていた、明日から「立冬」だから....と。

その直後にNHKの「今日はなんの日」で、90年前の今日、ロシアで革命が起きた、と
伝えていた。僕たちは「革命が起きた」で、何かを知った、または理解したと思ってしまう
ことがあるが、実際には何が起きていたのか?をほとんど知らないことが多い。
アメリカのジャーナリスト、ジョン・リードの「世界をゆるがした十日間」は、革命の渦中に
あって、当時の政治指導者たち、一般の庶民、労働者、兵士などの動向を生き生きと
伝える第一級のルポであり、何が起きていたかの一面を知る貴重な史料であり、今でも
読むに値する(英文ならネット上でも読める、参考)。
それから80年、ソビエト帝国は崩壊した。社会主義思想とその実践の歴史を考えるとき
僕は人間は「幻想に生きる生き物」という言葉を、いかなる瞬間にも忘れてはならぬ言葉
として痛切に心に刻み付けたいと思う。

「幻想」に囚われるのは、知性の優劣とは関わらぬ、人間の特性だと思う。
手元に昭和25年に発行された新潮社のジイド全集第12巻がある。「ソヴェト旅行記」と
「ソヴェト旅行記修正」が収録されている。1938年の「序言」の冒頭に書いてある。
かの国では、前代未聞の実験が試みられてきた。それは、われわれの心を希望でふくらませ、
またそれに対してわれわれは無限の進歩と、人類を引きずってゆくだけの飛躍を期待したの
であった。
この万人の春に臨むためだけでも、たしかに生き甲斐のあることであるし、またその日の来る
ことを援けるために自分は生命を投げ出してもよいと私は思っていた。

ジイドが、旅行記を通してみていたものは、ソヴェトの現実ではなく、自分自身の頭に描いた
幻想を通してみた現実の一部に過ぎなかった。そして誰でも、現実を頭で再構成するために、
このような「幻想」、と云って語弊があれば概念化するための地図を持っている。

「幻想」の意味は、07/08/19に書いたことを、この記念日のために、そのまま掲載しておく。
(以下再掲分)
やや唐突のようだが、今朝読んでいたあるインカ文明の研究者の言葉に、
 酷(むご)いことですけれども、人間なんて、幻想の中に生きる生き物ですから、自分が
信じるべきもののためであれば、何でもやれてしまう。植民地時代以降の新大陸の歴史を
見ていると、特にそれを感じます。私たちが、自由と民主主義のため、と言って世界の各地
でやっていることも、一歩下がって歴史の目で眺めてみる必要があるような気もします。

というのがあった(参照)。
「幻想の中に生きる生き物」という突き放した見方に、ある意味で感動を覚えた。「幻想」を
形作るものは、哲学であり、宗教であり、歴史観である。時に、科学的思考もまた「幻想」の
一部ではないかと考える。それを明かすものは歴史である。(以上、再掲分)

と云って、歴史も「歴史そのもの」を見ているわけではなく、あるイメージを通して「歴史」と
思っているものを見ているに過ぎないが。とはいえ醒めた眼を持ち続けることが出来れば
必ず、「時」が誤ったイメージを修正してくれる機会を与えてくれる。
たとえ自分がいかなる信念に生きているにせよ、自分は「幻想」を見ているのではないか
という醒めた眼を失ってはならないと思っている。批判的意見に耳を傾ける寛容の精神と
言い換えても良い。
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by agsanissi | 2007-11-07 23:40 | ミミズの寝言


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