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2007年 11月 09日

ミチューリン農法

「幻想に生きる生き物」を書いたついでに触れておくと、昔、ミチューリン農法というのが
流行ったことがある。「流行った」といっても、日本では、特殊な地域で、ほんのいっとき
政治的思想を底流に流行っただけで、いまでは「ミチューリン農法」なんて言葉自体を
知らない人が殆どだろう。
僕も、50年ほど前に、まだ小学生の頃、近所の「お兄さん」が「ミチューリン農法研究会」
に参加していたのを知っているくらいだ。東京のど真ん中に住んでいたけれど、そんな
ところの「研究会」だから、実際の百姓が参加しているはずがない。
当時の雰囲気は、法政大学大原社会問題研究所の「日本労働年鑑」の第55、56集の
農民運動の項(参考1参考2)あたりを読んでみると、多少は窺える。
要するに、日本では1950年代に、一時的に、一部地方に広まっただけの「運動」で、
僕がその言葉を聞いた時期は、運動が下火になってほんの燃えかすばかりになった頃
だ。

しかしソヴェトでは、遺伝学上のルイセンコ学説と相まって約30年間にわたって国中を
席巻していた。ルイセンコ学説というのは、獲得形質は遺伝するという考え方で、
「進化学はなぜ誤解されるんだろうと考えるメモ」(参照)の一節、「日本の生物科学の
歴史に問題があったのではなかろうか?」の中に、こんな風に書いてある。
ルイセンコ騒動。これはソ連の研究者トロフィム・デニソビチ・ルイセンコが獲得形質などに
基づいた独自の進化理論や育種理論を考えだしたことに由来します。その内容はおおざっ
ぱにいうと、生物の特徴は環境で変化する、しかもそれが子供に伝わるので、これを応用
すれば品種改良を意のままにおこなえる。農業生産は飛躍的にのびる
(実際に生物の種
から別種を作った。注:ちなみにこれは捏造か派手な勘違い)、メンデル学説は観念論で
あって間違いである。というものでした。
もし彼の主張したことがこれだけだったのなら検討すべき仮説がひとつあらわれたという
だけだったのでしょうが、1935年になるとルイセンコはスターリンに取り入る形で、いわゆ
るスタンダードなメンデル遺伝学や育種学を行うソ連国内の研究者たちに激しい攻撃を始
めました
。(下線は僕のもの)

実は、ルイセンコ学説が、50年代に日本の知識人の間に、現在ではとても想像も及ばぬ
ほど大きな影響力を発揮して、「進歩的」知識人、「進歩的」農民運動の間に広まったのだ。
そんな勘繰りをされることは当事者にとっては甚だ迷惑な話だろうが、自然農法の「運動」
を見ていると、ミチューリン農法の「熱気」をふと感じてしまう。
論より証拠、百の理屈より一つの実践ということもあるが、後から考えると「あれは一体何
だったんだろう?」と思うような証拠が、「論」にはついてくることが往々にしてあるものだ。
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by agsanissi | 2007-11-09 05:52 | ミミズの寝言


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