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2007年 11月 29日

「食料自給率という幻想」

△3.1/5.8度、日照7.5時間、明け方はやや雲があったが、日中はほぼ快晴。
今年の畑作業は、ダイズ跡地に小麦を播種する予定と人参の掘り取りに各一日を残す
のみで、ほぼ終わった。加工用大根は、4-5割は出荷基準に達するかという甘い見通
しを書いたが、11月半ば以降の急な冷え込みで完全に肥大はストップした。仮にこの
冷え込みがなかったとしても、出荷基準(径7以上の部分が25センチ以上)からすれば
8月末播種は最初から無理があったか?後はダイズの選別、種芋の保管など残務整理
を残すのみ。「農作業」という意味での作業日誌は、基本的に終わりだ。

何がきっかけだったか、「池田信夫blog」の07/09/01の記事「食料自給率という幻想」
参照)が目に付いた。
「耕す生活」の冒頭にも書いたことがあるけれど、僕は「食料自給率」のために農的生活を
選択したわけではない。もっと根源的な疑問からスタートした。
人は、農業はもう過去の産業だ、と思っているかもしれない。僕は、農業はこれからの産業
だと考えている。産業革命以来、農業は工業への労働供給の貯水池になり下がり、農業その
ものが工業化することで工業の付属物に成り下がってしまった。しかしその工業活動は、過去
の太陽エネルギーの蓄積に依存し、いまやその蓄積を使い尽くし、かつその蕩尽の結果として
の排出物の前に地球そのものが窒息しかねない事態に陥れてしまった。
他方、農業そのものは、本来、土と水との協働作業で、現在及び将来の太陽エネルギーを
蓄積していくクリーンな営みではなかったのか。工業化され、工業の付属物に成り下がって
しまった農業が、大量のガソリンを消費し、化成肥料や農薬を大量消費する「工業的」浪費に
倣わざるを得なかったのではないか。農業は、工業から独立して自分の足で立てばよい。そう
すれば必ず新しい視界が開かれる、と考えている。
参照

その意味では、「食料自給率」とか「食料安全保障」とかの議論に大して関心を払ったことが
ない。食料自給や食糧の安全保障の見地から日本農業を守らなければならないという議論
は、多少見当違いじゃないのかという感想を抱いている。
それにしても「池田信夫blog」を読んで以来、「食料自給率」という穴を通して農業・農業政策
を考えた場合、どういう情景が見えてくるか、自分なりに整理しておくのも悪くないなと考えて
いる(「耕す生活」にシリーズで書いた「日本に農業はいらないか」も改めて見直す必要がある
かな?)。
全体像が見えているわけではない。例によって、行き当たりばったり、書きながら考える、書く
ことで考えをまとめていくという方針で書いている。

まず、池田氏の論点は三つある。
1.この問題についての経済学者の合意は「食料自給率なんてナンセンス」である。リカード
以来の国際分業の原理から考えれば、(特殊な高級農産物や生鮮野菜などを除いて)比較
優位のない農産物を日本で生産するのは不合理である。

比較優位のない日本の農業は不合理であるから、特殊な農業分野を除けば不要である。
2.食料の輸入がゼロになるというのは、日本がすべての国と全面戦争に突入した場合ぐらい
しか考えられないが、そういう事態は、あの第2次大戦でも発生しなかった。その経験でもわか
るように、戦争の際に決定的な資源は食料ではなく石油である。その99.7%を輸入に頼って
いる日本が、食料だけ自給したって何の足しにもならない

主要資源を輸入に依存しているのに、食料のみを取り出して「安全保障」を云々するのは
ナンセンスである。
3.1960年には80%もあった自給率が半減したのは、単なる都市化の影響ではない。最大の
原因は、米価の極端な統制だ。コメさえつくっていれば確実に元がとれるので、非効率な兼業
農家が残り、コメ以外の作物をつくらなくなったのだ。こういう補助金に寄生している兼業農家が
ガンなので、(中略)米価を含む農産物価格の規制や関税を全廃し、兼業農家を駆逐する必要
がある。

食料自給率が半減した最大の原因は、米価統制などの農産物価格の規制にあるから、自由な
競争を規制する価格規制や関税を全廃し、非効率な兼業農家を一掃する必要がある。

まず、この辺を取っ掛かりに考えてみようか。
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by agsanissi | 2007-11-29 22:33 | 考える&学ぶ


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