2007年 12月 08日

食料自給を考える/道草/3

△3.3/7.5度、日照6時間、山の気温は11月下旬から氷点下5、6度まで下がっている。
大根は、12月第一週が限界と見ていたが、日中気温がやや高めに推移していることが幸い
して、まだ凍結していない。但し、加工用規格に達するものは、殆どない。

12/06「食料自給を考える/比較優位という幻想/2」について、りんご屋さんからコメントを
頂いた。せっかくだから、道草を食って、暫くお付き合いしておこう。
1.不要論に異を唱えたくなる気持ちもわかりますが、
必要論を巻き起こす事に時間を費やすべきではないかと考えます。

ここは「不要論に異を唱え」ているのではなく、不要論の根拠として提起されている「国際分業
の原理」及びその基礎としての比較優位論が、「原理」と称しうるほどに普遍性のある原理では
ないだろう、ということを指摘しているに過ぎない。
農業そのものに関しては「必要論を巻き起こす事に時間を費やすべき」は当然としても、ここは
11/29「食料自給という幻想」に書いたように「食料自給率」という穴を通して農業・農業政策を
考えた場合
、どういう情景が見えてくるか、自分なりに整理しておくのも悪くないな」という問題
意識からスタートした。
2.農業が大事だ。と心底思ったり、自給率を本気で何とかしないといけないと考える意味も
思考も消えうせた幸せな国において食料自給とか食糧の安全保障とかを考えて日本農業を
守らなければならないと本気で言う人間が居る訳が無いという図式。

要するに、自給論にしても安全保障論にしても、それ自体が本来の目的ではなく、他の隠然・
公然の目的の出汁に使われているに過ぎない。すなわち
それで生きていかないといけない人が沢山いてその人たちが自分達の必要性をアピールし
消費者に農業の必要性を理解させようとしたり、国家予算獲得を目論んだり外交カード切った
り・・・。主に生産者側の論理という気がしていますが
、というわけ。
仮に「食料自給とか食糧の安全保障とかを考えて日本農業を守らなければならないと本気で
言う人間が居る訳が無い
」のが事実としても(僕は、これが事実だという前提には立ってはいな
いけれど)、それ自体は食料自給や食糧安全保障問題の本質的な意義とは関わりがない。
現実に食料自給論や食糧安全保障論が予算獲得や外交カードの切り札に使われているに
過ぎないとしても、それは食料自給論や安全保障論の本質的意義を否定するものではない。
3.農業生産者殆ど全員は、単なる営利目的のビジネス、ホリエモンと同じ思考で営農している
に過ぎない。生んだ利益をどう使うかの思考が無い。私利私欲のくだらない消費を拡大する為
の営利の追求。そんなもの守る必要が何処にある。

4.人間が生きる為、より良く成長する為の根源が営農その周辺の生活文化に詰まっている訳
ですが経済偏重の資本主義社会の中においてそれは時間を浪費するだけの不合理なものと
判断されてしまうのかなと思います。農業者自らそういう生活文化を捨てる方向で走ってきた
結果が今の惨状を招いてたひとつの要因かと考えます。

3と4は、どういうことですかね?
4を読むと、本来の営農活動には人間的成長を促す生活文化が詰まっているのだけれど、
資本主義社会では単なる時間の浪費と見なされ、農業者自身この考えに同調し、営利目的
の資本主義的営農活動に奔走してきた結果が、農業の衰退を招く一要因になった。営利
目的の営農など守るに値しない、ということなのかな?さらに敷衍すると、資本主義社会では
「本来の営農活動」は成り立たない、ということなのかな?
この議論は、僕には単なる混乱のようにしか見えないし、「食料自給」問題の論点を複雑で
曖昧にするだけだから、これ以上は深入りするつもりはない。但し、色々大胆な断定があり、
皆さんの中に、異論・反論があればお寄せ下さい。長すぎて、コメント欄に入りきらないよう
であれば、その旨、非公開コメントでお知らせ頂ければ、メールアドレスをお知らせしますの
で、メールでお送り下さい。
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by agsanissi | 2007-12-08 21:47 | 考える&学ぶ


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