2007年 12月 17日

「農民を捉える視点」

今朝は氷点下5度くらいまで下がったようだ、平地では今冬の最低気温か。
6時頃外に出てみた、金星が明るく輝いている。そのやや南上にスピカ、北東方面に
多分、ベガとデネブが見えている。北極星はメガネのせいでやや曖昧。やや温かな
印象があるのは、霜が降りていないせいか?

田中優子法政大学教授の「カムイ伝から見える日本」(参照)を読んだ。
まだ第一回しか読んでいないが、非常に面白い。テーマは江戸時代の庶民(または
下層民)の実態、中に「農民を捉える視点」という話が出てくる。
江戸時代の都市で消費されるメディアにおいては、農民は武士とともに「野暮」の代表で、
軽蔑はないにしてもかわいらしくおかしく書かれる。逆に近代の歴史家の視点では、農民
はみじめであわれに書かれる。

要するに、パターン化された視点を通して「農民」というものを捉えているが、実態(実像)
は、そんなものではないというわけだ。
「百姓」と呼ばれることに誇りを持ち、その名のとおりじつに多様で、ひとりの人間にいくつ
もの技量(わざ)があり、自治的な村落経営をおこない、権力とわたりあって自らにふさわ
しい生活を獲得しようとする、そういう知恵者たちであった。


いまや「百姓」という言葉は、新聞用語や放送用語の内部規定では差別用語として使わ
ないようにしているそうだ。封建的身分の残滓を感じさせるということだろうか?
現代の農民は、それ自体は職業であると同時に、土地利用の制限から職業選択の上
では完全には自由化されていない。この点で、家業的側面を残している。この二重性は
そのまま現代の農民構成の二重性、家業として農業を引き継いだものと、職業として自
ら農業を選択したものとの二重性を反映しているかもしれない(部分的には、交錯してる
だろうし、截然とは区別できないにしても)。
ともあれ、田中氏の捉える江戸時代の農民と、昨日の団藤氏の描く政府の救出策の
対象として描かれる「専業農家」
との落差を考えると愕然としてしまう。現代は「百姓」と
いう言葉を「差別用語」として捨て去るとともに、百姓自ら「百姓」としての誇りをも同時に
捨て去ってしまったように見える。実態はどうだろうか?
昨日のringoyaさんのコメントには、その苛立ちが反映しているようだ。「旧態依然の丸
抱えをする事」という表現に如実に出ている。この点では百%共感できる。
「米と自給率。単なる空騒ぎだからすっきりする事は無いと思います」と書いておられるが、
僕自身は、時論的に扱うつもりは全くなくて、「単なる空騒ぎ」かどうかを含めて、もう少し
俯瞰的に捉えてみようかということだから、りんご屋さんの視点とは一貫して「微妙に話し
がかみ合っていない」。但し、問題点をはっきりさせる上では、なかなか良いコメントを頂い
て感謝している。
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by agsanissi | 2007-12-17 07:42 | 考える&学ぶ


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