2008年 01月 25日

食料自給を考える/食料自給率はなぜ下がった?/14

新たに二冊の本を読んでみた。
【WTO時代の食料・農業問題】/梶井功/03年4月
【国民と消費者重視の農政改革】/山下一仁/04年8月
山下氏の論文・コラムなどは経済産業研究所(RIETI)のサイト(参照)にまとめられている。
いずれも読むに値する優れた論文だと思っている。

まず食生活の変化を考えてみよう。
これは多くの人が指摘していることだけれど、敗戦後の占領政策及び対米従属政策と相俟って
文化的植民地化現象を第一段とすれば、多国籍企業の席捲に拠る「マクドナルド化する社会」
化現象を第二段と、僕は専ら考えてきた。
例えば、【WTO時代の食料・農業問題】で指摘しているが
敗戦後の日本の栄養政策、そして食生活についての指導は「欧米に比べ、我々の食生活は
後れている。もっと肉を食べ、牛乳を飲むようにしなければならぬ」というものだった。米と味噌
汁に替わってパンと牛乳が食生活近代化の象徴として、「米を食えば頭が悪くなる」といった
デマゴギーまで交えて奨励されたものである。それがアメリカの穀物輸出戦略に従ったもので
あることは、今日では良く知られている。学校給食を含めて、アメリカの輸出戦略が最も成功し
た事例として日本の食生活転換がしばしば語られることを指摘しておこう
(参考文献として高島
光雪【日本侵攻アメリカ小麦戦略】、トレージャー【穀物戦争】を挙げている)。
選択的拡大を生産政策の軸に据えていた農業基本法の食生活の認識も、欧米型に近づくこと
が食生活近代化であり、所得水準の上昇が必然的にそういう方向での食生活の変化をもたら
すということだった。
145.p
要するに、食生活の高度化・多様化とは、決して自然に進んだのではなく、アメリカの小麦戦略
の結果だというわけだ。従って、「選択的拡大」政策は、対米従属の農家選別政策だとして野党
や組合は反対し、結果として農業構造変革の足を引っ張り、自給率低下の一因をなした。

最近まで、僕も専ら、アメリカナイズされた生活文化の受容の一側面という捉え方をしてきた。
しかし中国の変化を見ていると、必ずしもそればかりじゃないのではないか、ひょっとすると生活
が豊かになり、都市化すると共に、向かっていく「高度化・多様化」の一側面かもしれないという
疑念を(何%か)抱いている(もっと平たく言えば、豊かになれば美味いものを食いたくなるのが
人情だ。粉食と粒食文化の違いは、どう関わる?)

例えば、【食糧争奪】に、中国の食生活の変化に伴い「質」の追求とそれに伴う専用小麦の不足
が起きているとして、次のように書いてある。
中国では90年代後半から、都市部を中心に主食が米食からパン食に移行しつつある。日本の
60年代後半と同様、通常、パン食への移行は、都市化の加速と女性の社会的進出などが絡
み合って進行する。これに伴って、中国の小麦需要も純硬質小麦、月餅などに用いられる軟質
小麦から、パンやケーキ・菓子用の強力粉、マカロニ用のセモリナとケーキ用の薄力粉の原料
小麦などの専用小麦に移行している。
105.p
また、今後の肉類の消費量について、アジア型に向かうのか西洋型に向かうのか、二つの見方
があるという。すなわち、
03年の日本の一人当たりの年間の肉類供給量は43キロに対し、米国は125キロ、フランスは
111キであり、アジアでは中国が52キロ、台湾77キロ、韓国49キロと少なく、「アジア型」とも
言える食料消費パターンがある
。(今後、一段の経済成長に伴って、「西洋型」にまで進むのか
どうか?)87.p
この件に関して、今後の注目点は
・中国もまた、アメリカナイズされた生活文化の受容者とみるかどうか、
・インドは、宗教的禁忌の影響が強いが、今後の経済成長と共に食生活がどのように変わって
いくのか(第三回食料の未来を描く戦略会議で配布の参考資料2の「食料をめぐる国際情勢と
その将来に関する分析」の21-23頁で、インドの食糧需給について、多少、言及している。
)、
・肥満対策として、欧米諸国で「日本型食生活」が再認識され始めている。今後、ある種の回帰現象が起きるのかどうか。

60年代以降の食生活の急激な変容が、アメリカの「小麦戦略」を始めとした文化的植民地化の
結果なのか、経済成長・都市化に伴う生活の高度化・多様化の一般的結果なのか、いずれで
あるにせよ農政の対応の如何によっては、その結果は違ったものになったはずだ。次に、この
点を考えてみよう。
山下氏は、【国民と消費者重視の農政改革】の「農業問題とは何か」と題する第一部の第二章
で「特殊な日本、食料自給率はなぜ低下するのか」をテーマに扱って、
・自然の制約による国際競争力のなさ
・政策の失敗による国際競争力の低下
・食料安全保障の基礎である農地の減少
以上の三点について分析している。的確な指摘をいくつか摘記しておく。
「自然の制約」については、多くを触れるまでもない。
土地という生産要素の相対的に少ないわが国は、土地集約型産業である農業には比較優位を
持ちにくい。日本の耕地面積は487万haに過ぎず(2000年)、アメリカの78分の1、EUの27
分の1に過ぎない。但し、規模の点を除けば、日本の気候・風土は農業に適している。
37.p
この「自然の制約」を超克するために、戦前は軍部を中心に国土生命線論を唱え、大東亜共栄
圏構想を打ち出し、或いは移民政策を奨めた。戦後も、一時オーストラリアの土地買収構想な
ど囁かれた。今後は、水や土地が、国際的に「食糧生産」の隘路になってくれば、その程度に応
じて「日本の気候・風土」は、相対的な比較優位にはプラスになりうる。
また視点を変えれば、植物工場構想では、相対的には土地の制約を超えられるし(この点では
資本競争になるから、小農は耐えられない)、或いは「他人の土俵」(規模)では勝負せず、「自
分の土俵」(質)で勝負するか、そもそも「勝負」などという考えを超克してしまうか(決して、意図
的にではないにしても、第二種兼業農家の生き残りは、結果的には、これに等しい)。
「政策の失敗」に関しては、
高度成長期以降の農政は消費者から離れていった。これを端的に示すのが食料自給率の低
下である。自給率の低下はわが国農業生産が食料消費から乖離し、消費の変化に対応できな
くなった歴史を示している。(中略)
農業基本法は所得が高まるにつれて消費が拡大すると見込まれた畜産、果樹等に農業生産を
シフトさせ、食生活の急速な変化に対応させようとした。しかし、実際には米について消費の減
少とは逆行するような政策が採られた。米価が重点的に引上げられたため、米と麦等他作物の
収益格差は拡大していった。選択的拡大のためには、消費の減少する米の価格を抑制し、消
費の増加している麦等の価格を引上げるべきであったが、これとは逆の政策が採られた。当時
これは麦の安楽死政策と呼ばれた。更に、兼業化が進み二毛作から単作化に移行したことも
耕地利用率を下げ、食料自給率を低下させた。
45.p
高米価はわが国農業の構造改革を遅らせ、国際競争力に低下をもたらした。46.p
需給均衡を無視した米価の引上げにより過剰を発生させ、米の需要減少の中で過剰をますま
す拡大させながら30年以上も生産調整を続けてる。...米が過剰になるまでは政府も農家も
反収向上に努めた。(中略)しかし、生産調整開始後は、反収向上による国際競争力強化という
道は、米の過剰を悪化させ生産調整強化につながる恐れがあるため、閉ざされた。
47.p
地価の上昇により農地の資産保有的志向が高まったことに加え、高米価によりコストが高く規
模の小さな兼業農家でも自家飯米を生産したほうが米を買うよりも有利であったため農地を賃
貸しようとはしなかった。
48.p
都市の拡大により農村地域の地価も上昇し、農地転用を期待した農家の資産的な土地保有が
高まったため、意欲ある農家への土地集積は進まなかった。
51.p

「米価の極端な統制」によって、コメ以外の作物を作らなくなったという池田氏の指摘は一面の
事実だ。そのお蔭で生産調整と米価の低落を食らって、農家は自縄自縛に陥っている。「コメ
さえつくっていれば確実に元がとれる」時代はとうに終わっている。「非効率な兼業農家が残」っ
たのは、高米価政策と補助金のためばかりではない。まして兼業農家が残ったことが自給率
低下の「最大の原因」と云うとすれば、単なる言い掛りに過ぎない(尤も、自給率低下の最大の
原因は、「米価の極端な統制だ」という文節にのみ掛かるとすれば、一面の事実を衝いてはいる
が、兼業農家を最大のガンと思わせる意図的な悪文だ。)農業基盤整備など農業助成に名を
借りた公共事業の最大の「寄生者」は、関連企業と周辺取巻きの有象無象であって、兼業農家
などとはお笑いだ。(続く)
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by agsanissi | 2008-01-25 08:27 | 考える&学ぶ


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