2008年 01月 28日

「経済の一流国とは?」

「残念ながら、もはや日本は、経済は一流、と呼ばれるような状況ではなくなった」
との大田弘子経済財政担当相の発言(1/18、国会での経済演説)に関して、
JMM「村上龍、金融経済の専門家たちに聞く」(08/1/28号)で、
「経済の一流国」の条件、定義とはどのようなものが考えられますか?という設問が
出されている。それに対する回答の中から、興味深いものを拾っておく。

▽水牛健太郎氏
・かつて「一等国」という言葉がありました。日露戦争で、大国ロシアを破った高揚感が流行ら
せた言葉です。「日本も一等国になった」とあちこちで言われました。そこに反映されていた
のは、欧米列強の圧力の中で開国し、植民地化の危機を逃れるために国づくりをしてきた日本
が、列強の一つであるロシアを辛くも破り、ようやく一息ついたという安心感だったでしょう。同時
に、「一等国」という、今となっては子供っぽい響きからは、幕末以来の欧米への劣等感が言葉
の裏にあることが、生々しく感じられます。
・「経済が一流」という言葉は、この「一等国」という言葉の戦後版だと思います。
・「一流」という言葉の中にあるのは、太平洋戦争で完敗した日本が、経済発展を遂げ、世界に
名の知られる電気製品や自動車を生み出す国になれたということへの誇りでしょう。誇りを持つ
のは当然だと思いますが、それが、いつまでたっても欧米への劣等感やアジアへの優越感と裏
返しになっているところに危うさ
を感じます。
・日露戦争の数年後、夏目漱石は『三四郎』を発表しました。熊本の高等学校を卒業して上京
する三四郎は、汽車の中で、漱石自身をモデルにした広田先生に出会います。広田先生は、
こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめです
」といい、「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と反論する三四郎に、「滅びる
ね」と言い放ちます。そして、「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……日本よ
り頭の中のほうが広いでしょう。とらわれちゃだめだ
。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひい
き)の引き倒しになるばかりだ」と教え諭します。

▽三ツ谷誠氏
・第二次大戦後の世界は冷戦崩壊以後急速に溶解しつつあり、特に情報領域での技術発展を
背景にグローバル化の波が国民国家や国民国家の連合組織としてのG5、G7的な枠組みを呑
み込みつつあるのが、21世紀が直面する現実だと思います。その現実に対してG7はG8という
形でロシアも呑み込み(或いは近い将来には中国も呑み込み)、連合機構・調整機構ではな
い、もっと別の「帝国」という表現でしか言い表せない新しい権力形態として世界を支配しつつあ
(或いは既にしている)ということではないでしょうか。
大田大臣の発言は、このままでは日本は国家全体としてはグローバル化する世界への適合性
を失い、国家単位では経済的に沈み込んでしまう、という危機感を広く伝えようとしたものだと思
いますが、そもそも国民国家的なものが前時代の遺物になりつつある世界で、再度国民とし
て、国家としての覚醒を訴えるということが何の意味を持つのか、そこには疑問を感じます。
・関東圏の経済規模は180兆円を超え、そのGDPはG7構成国のカナダやイタリアにほぼ匹敵
するのであり、関東圏だけの一人当たりGDPはどうか、という感じで物を考えると、また違った
角度で世界が見えてくる気がします。少し古い数字ですが、2003年度の東京都民の一人当た
り所得は426万円(同年度の沖縄は204万円)であり、国家としての日本が地盤沈下しても
世界経済に浮かぶ都市としての東京はその輝きを失っていない
、というようなことは当然考えら
れる訳です。
・世界経済に適応した企業に勤務している人間とそうでない人間とでも、所得において或いは
所得に反映されない豊かさの享受という意味で開きはあるのであり、国家という単位を離れた
現実認識が益々求められている
ように感じます。シンボリックマネージャーという言葉が一時期
人口に膾炙していましたが、弁護士は国家を超えて弁護士として同様の社会的な地位・経済を
享受する。投資銀行家は投資銀行家として同様に社会の或る階層を構成する。一方で労働者
は結局の処、労働者であり、国家は異なっても同様の貧苦に喘いでいる。今こそマルクスを!
ではありませんが、グローバル化する経済の実相とはそのようなものではないでしょうか。

▽山崎元氏
・結論から言うと、国単位で経済が一流であるかないか、という言い方・考え方には違和感
あります。
・財政金融政策だけでなく規制や法制も含めて、経済政策には適否があり、良し悪しを評価しよ
うとすることは大切です。経済政策の主体は国なので、国ごとに一流、二流があってもいいで
しょう。例えば、今の日本の状態で、金融引き締めと消費税の増税を目指すことは不適切で
しょうし、こうした状況を指して、「日本は二流以下だ」と呼ぶのは構いません。しかし、この
場合、真にいけないのは経済政策の立案・実施主体である政治であり、「日本の経済政策は
二流以下だ」と言うのが適切でしょう。
・「日本経済が一流であるか(ないか)」という言い方には、本来、企業同士、個人同士が競争し
ているにもかかわらず、国同士が競争をしていて「日本の国際競争力」というものが存在するか
のような、よくある誤解につながりやすい面があるように思います。この誤解は、「国の(国際)競
争力」の名目を借りて私企業のメリットに国を利用しようとする論法に利用されやすいので要注
意です。
・経済活動にあって優れた個人もいれば、そうでない人もいます。これらの様々な人々を、単に
日本国民として十把一絡げにして、「日本は経済で一流と言える・言えない」という表現で評する
のはいかがなもの
でしょうか。大田大臣には、「日本の経済政策は二流以下だ」と言い直
した上で、さらに問題点と批判の対象をより具体的に言明することを期待したいと思います。

◆吟味すべき興味深い発言がいろいろ見られる。まあ、僕が意図的に引き出した面もないでは
ないが、一様に指摘しているのは「国」または「国民国家」という単位での一流国、二流国という
捉え方は、もう実態に即してはいないとの指摘だ。
このような考え方が、何の違和感もなしに語られる背景は、云うまでもなくグローバリゼーション
の進展の結果だ。そして、グローバリゼーションの席捲によって、日本の農業はすっかり呑み
込まれて壊滅するかに叫ぶ人等がいるが、僕はそうは考えない。
グローバリズムに身を委ねれば、「食料自給率」などは、形骸化した分母に囚われた非合理的
妄念に過ぎないと見えるし、グローバリズムの負の側面に注目すれば、形骸化した「国民国家」
に代わる新たな分母の発見に努めざるをえない
、と「食料自給を考える」の第八回で指摘したが、
これからは地方の活性化のためにも、何らかのスケールの地域共同体を「新たな分母」として
育てていく必要があるし、そこにこそ農業の生きるべき道があると考えている。
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by agsanissi | 2008-01-28 22:41 | 参考記事


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