2008年 02月 03日

食料自給を考える/デフレ時代の農業・農村/19

続き、
▽グローバリゼーションをどう受け止める?
・我々が今直面しているデフレ時代は、戦時期に起源を持つ国民国家単位の行政主導体制が
80年代からのグローバリゼーションによって崩れて来た結果である。それはまた、基軸産業が
重厚長大な重化学工業から軽薄短小なIT産業に移行した結果でもある。国家が主導権を握っ
てインフラを整備する中央集権的な重化学工業の時代が終わり、社会を構成する個々人の欲
求の多様化に合わせて、国境や部門を越えた市場競争が展開されるダイナミックな社会変動
の時代の到来
である。
それはかつての国家的な安定していた総中流社会に比べると、リスクを伴う浮き沈みの激しい
時代になることは間違いない。その一方で、情報化を始めとする技術革新によって、距離と空
間における尺度が変化し、自然環境志向をはじめとする価値観の変化・多様化を通じて、都市
と農村との関係も大きく変わる
ことが予想される。
その意味でも、グローバリゼーションをただ農村にとっての脅威としてのみ捉え、過去の制度や
体制を守る姿勢に終始することは、却って地域を危機におとしめることになりかねない。39.p
◆この問題は、当然のことだけれど、簡単にあれこれと結論が出せる問題ではないし、仮に
「結論」を出したところでどうなるもんでもない。そもそもグローバリゼーションとは何か、という点
に限ってみても、単なる現象(或いは傾向)と捉えるか、何らかの新たな体制と捉えるか、必ず
しも明確ではない。まあ、脚注で簡単に言及して終わりに出来る問題でないことだけは明瞭。
日本語版【ウィキペディア】では、定義は示さず、「グローバリゼーションの徴候」として経済、
文化、政治、社会の多様な側面の地球規模化の「徴候」を指摘している。
12/16の「稲作農業」で触れたことのある「認識革命るいNETWORK」/「新しい農のかたち」の
記事「食糧自給率問題を考える」(参照)は、「池田信夫blog」の食料自給率なんてナンセンス
という主張に対して、幾つかのコメントを取り上げて、
・グローバリストの提灯記事のようで気分が悪くなりますが...
・WTOはアグリビジネスのロビイストによって牛耳られているので、市場主義者の急先鋒である
ことはミエミエです!

と、まあ悪罵を投げるだけで、生産的な議論はしていない。何ものをも飲み込み・踏み潰す勢い
の多国籍企業の席捲ぶりやアメリカの一国覇権主義(急速に翳りが見えてきたが)に、頭にくる
のは分かるが、それだけがグローバリズムの全体ではない。
評論家や学者は、グローバリゼーションで「農業恐慌」の危険が忍び寄るだとか、21世紀の
農政課題は主権国民国家の「食料自治権」を認め合うことだとか(【食料主権】/田代洋一/
1998)、空文句を唱えていればメシが食えるが、百姓は生き抜いていかなければ仕方ない。
容赦なく深化するグローバリゼーションに対応して、どう生き抜くかが課題だ。

▽インフレ時代に、規模拡大が進まなかったのは何故か?
高度成長に伴う地価高騰に求める見解が有力だが、イエ制度の足枷がストックとしての土地の
処分を躊躇わせたと、次のように分析する。
・(1955-85年の5年毎に第二種兼業農家の動態を、近畿、東北、北海道の三つの典型的
地域で比較すると)北海道では第二種農家自体が急速に減少していくのに対して、近畿・東北
でタイムラグを示しながら「恒常的勤務」の着実な増加である。つまり都府県の総兼業化の内実
は恒常的勤務の支配的増加に支えられたもの
である。20.p
・北海道だけは、挙家離村によって構造改革が進み専業農家率が維持され、第二種兼業農家
は減少した。(中略)これに対して都府県では、第二種兼業農家だけが増加して七割近くに達
し、農地は兼業農家に保持されたまま流動化が進まなかった。(このような北海道と都府県の
違いは)農地を先祖伝来の家産でありイエ存続の担保として維持しようとする農家のイエ意識
考えなければならない。
徳川時代から「農間余業」として支配的に見られた兼業化は、イエとしてムラに存続するための
対応形態であった。北海道では挙家離村が一般的であったのは、北海道農業が近世のムラ
社会を持たない植民地であるがゆえに、ムラの中でイエを維持存続させようとするイエ意識が
都府県の農家に対して希薄であった点に求められよう。126.p

20頁には、近畿・東北・北海道の1955-85年の5年毎の第二種兼業農家の増減表が載って
いるが、ここでは簡単に1960年と90年との比較を都府県・北海道別に載せておく。

                 都府県      北海道
農家数(千戸)     5823  2884  234  87
平均経営面積(ha)  0.77  1.15  3.54  11.9
専業(%)         33.7  15.0  50.4  47.0
第一種兼業        34.1  17.0  22.2  35.9
第二種兼業       32.2   68.0   27.4   17.1 (世界農林業センサスから)

▽日本農業の基本矛盾と兼業化の論理
・「農地に対して扶養人口が過大という基本矛盾」
イギリスのように海外進出と植民という道を閉ざされていた日本の小農家族にとって最大の
課題は、限られた農地で扶養人口の多い直系的家族をいかに扶養するかという基本問題で
あった。ここに、我が国のきわめて労働集約的な土地生産力中心の農業技術発展の方向も
軌道付けられた。しかも、たとえ小作農に転落したとしても、ムラの中でイエとして存続すること
が、水利・入会などの資源利用にとって不可欠である限り、イエの存続が小農家族にとって
最大の価値規範
であり、それがまた零細耕作を強固に維持する役割を果たしたのである。
そして、このような基本矛盾への小農家族の対応形態の一つが副業、兼業、出稼ぎなどの
「農間余業」であった。124.p
・兼業化という小農家族の対応形態を戦後の際立った現象と見る傾向があった。・・しかし
1938年のセンサス調査で・・・農業のみを営む専業農家はすでに五割を割って45.7%でしか
なかった。県別で見ても、福井の26.8%を最低として、岩手、石川、兵庫、和歌山、岐阜、
愛媛、広島、奈良、大阪、高知、徳島、、長崎、秋田などが40%以下である。125.p

◆ここで指摘していることは、ある時期まではその通りと思うし、今でも部分的には当て嵌まる
点もあるのではないかと思う。しかし、ある時期以降(60年代中頃かな?)、
一昨日言及した【日本の食と農】で神門氏が指摘している内容、
・営農規模の零細性や分散錯圃が農産物の生産コストを高めているとしばしば指摘されるが、
大多数を占める伝統的零細農家の関心は農業ではない。転用期待こそが農地を保有する本
当の理由である。
・分散錯圃を日本農村の歴史的遺産とみなし、農地流動化の遅れを歴史的に宿命づけられた
ものであるかに論じられることがあるが、それは欺瞞である。いくら歴史的なものでも経済的
インセンティブがなければ、人々はそれを簡単に捨て去ってしまう

零細農家の多くは非農業所得への依存度が大きく、農業の収益のいかんには余り関心が
ない
。それよりも、票田としての農村集落を維持したほうが、転用許可や公共事業の誘導には
有利である。
・農水省も、このような政治家と零細農家のもたれ合いに便乗する。
・零細農家-政治家-農水省にとっての最高のシナリオは、農水省の予算で農地の改良投資
を行い優良農地にして、その後、転用して農家の懐を暖めることである。農水省の農地改良
投資によって、農業生産性が上がる以上に転用価値が上がることは農家の常識である。....
さらにこれに便乗するのが土建会社である。

のほうが、事実に即しているのではないか(ここで云う零細農家と兼業農家は、かなりの程度
までダブっていると見てよいのかな)。
最近では、デフレ経済の中で、この経済的インセンティブも相当後退した可能性がある。いずれ
にせよ、兼業農家が根強く残っている要因は、高米価政策や農政の失敗などに矮小化できる
ほど単純な問題ではないことは明らか。日本の社会システム、高度経済成長の下での村社会
の変容、土地制度、農地をめぐる”ドロドロ”の政治力学など広範な問題を考慮しなければなら
ない。「食料自給を考える」範囲を遥かに逸脱しているし、僕には、そんな能力は今はない。
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by agsanissi | 2008-02-03 11:50 | 考える&学ぶ


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