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2008年 02月 07日

食料自給を考える/一応はまとめ/21

食料自給率の問題を考える際にポイントとなる点は、
1.現在の社会システムおよび産業システムの中で、農業をどのように位置づけるか
2.自然環境または風土的環境の中で、農業をどのように位置づけるか
3.国民の栄養および健康を確保するために、「食の供給」をどのように位置づけるか
取り敢えず、僕の頭に浮かぶのはこんなものだろうか?

必ずしも厳密ではないけれど、食料自給と食料自給率とは分けて考えており、僕が
扱っているのは「自給問題」だ。国民国家を単位とした「自給率問題」と食料を自給
する問題は自ずから違うという意識があるからだ。簡単に云えば、日本の自給率が
どうであろうと僕自身の自給率はきわめて高い。百姓だから当然と思うかもしれない
が、生涯を通して食堂に入った回数や出来合いの加工食品・インスタント食品、缶
ジュースの類を利用した回数を数えられるくらい少ない。
逆に今どき、百姓だって、自分の作物は単なる「商品」で自給率は都会人並みという
のだって珍しくない。

一方、自給率問題となると、政策なり国家戦略なりが対象になる。
昔、中江兆民が「日本人には哲学がない」と喝破したことがあるけれど(空海とか、
道元、安藤昌益のような例外はいるが)、似たような意味で、戦術思想には長けてい
るけれど、戦略思想は希薄だ。軍事力だって、他人に委ねて経済成長に特化しようと
考える国だもの、食料くらい、米国であれ中国であれ他人に委ねる位、屁の河童だ。

昔、農は国の礎だった。事実としてそうであれば、言い換えれば、単なる思想として
ではなく日常生活の中に息づいている時代には、先に挙げた三点(これで全部かどう
か、取敢えず僕の頭に浮かぶことだ)は考えるにも及ばない。こんなことを、考える
こと自体、農業が「選択」対象になったということだ。
となれば「農のあり方」は、戦略思想と不可分であり、仮に産業としての農業が日本
の国土から消え去ったにしても、一億程度の国民が生きていくには、全く支障がない
と豪語する功利的計算に長けた経済人さえ輩出する始末だ。

事実、国内総生産額503兆円に対して農業総生産額は4.8兆円と1%に満たない。様々
な農業補助金を除けば実質生産額はゼロだという指摘さえ受けている(参照)。
一方、労働人口から見ると、総就業人口6400万に対して312万と約5%を占めている。
また耕地面積は465万ha、従って、極めて大雑把な計算をすると農業労働一人当たり
1.5haの耕地を利用して、年間154万円の農業生産を行っているが、そこから直接・
間接の農業補助金を除くと実質生産額は50-100万円程度、或いはそれ以下といって
良いだろうか(農地売却を考慮すると、実質、ゼロまたはマイナスの可能性もある
が、これをマクロ的に分析したものを僕は知らない)。しかも農業労働人口は高齢化
する一方で、若返りの兆候はない。会社四季報をパラパラとめくって見れば分かるが、
成長産業は就労者の平均年齢は若返り、斜陽産業は高齢化する。農業は斜陽産業
どころか、「産業」としては既に死に体だと宣告されている。安楽死なり尊厳死を要求する
有識者も少なくない。
これに対して、「単なる」産業ではないという屁の様な反論もあるが、如何にも頼りない。

仮に「農政」に注目して、農林水産予算と農業の国内総生産額とを比較すると農林水産
予算は1960年度の1319億円から75年度には2兆円台に乗り、80年代以降3兆円台
を確保している。しかし、農業の国内総生産は60年度の1.5兆円(経済全体の9%)から
80年度6兆円(同2.4%)02年度には5兆3000億円(同1%)に低下した。60年度の農業
予算は11倍の国内総生産を生んだのに、今日では1.8倍の国内総生産しか生まなくなって
いる。「高い水準の農業予算を維持しても農業は衰退した」(参照)という指摘を受けている。
ちなみに平成17年度のそれは1.6倍に過ぎない。
何のため、誰のための農業予算だ??

しかし、このような結果は、よってたかってそのような扱いを押し付けてきたからそうなった
だけで、日本における産業発展の宿命的結果というわけでもあるまい。
いままで僕が書いてきたことは、要するに、「よってたかって」の諸要素をいろいろ思いつく
ままに取り上げたということか。
研究者によって、何が決定的要因だとか、主要な要因だとか書いているけれど、
まあ、それは自分の研究題目や立場とかその他諸々の要因で書いていることで、何か一つ
の決定的要因だけで歴史的・社会的傾向が決まってしまうことは有り得ないと云うのが僕の
考えだ。
敢えて(まさに敢えて)云えば、豊かな自然に恵まれた狭隘な国土に多数の人口を抱えた
ということか。
・米に偏重した高米価政策によって零細兼業農家が癌のように蔓延っていることが
農業の低生産性を温存し、農業の衰退を招いたという意見がある。歴史の一断面を
切り取ってくれば、その意見も尤もに見える。しかしある時代には、食糧増産と農家
救済のために、それが不可欠な時代があった。条件が変わっても、それを続ける農政
も変だが、生産コストとの関係では「高米価」とは云えない条件を無視して「温存」を
唱える研究者も阿呆だ。
・食料自給論やら水田農地の社会的機能を声高に論じながら、足元から優良農地が
消えていく事態(自然消滅しているわけではないぞ)に、形式的規制だけをかけて、
裏では一体になって農地資産を食い潰して個人的・社会的に富を築いてきた連中の
「政治的力学」に目と口をつぶっている欺瞞と卑しさは計り知れない(こんなことを書い
ている僕だって、農地を持っており、金に困れば売り払っているかもしれないという危う
さが人間にはある)。
・グローバリズムの軍門に下り、国内農業市場を明け渡してきた農政の従属的姿勢を
批判し、「食料主権」を確立することこそ21世紀の農政課題だと論じて見たところで、
足元の農地と農業者が消えてしまっては話にならない。
・自分の胃袋さえ、機械的工業生産の一工程にまで貶めておきながら、「食の安全・
安心」を声高に要求する人々の無責任のおぞましさは、呆れて見詰めるほかはない。

こんなことを繰り返しても仕方ない。夫々の時代の社会的諸要因に応じた政策と対応
が凝縮して、何らかの比率で作用・反作用を及ぼしあって、現在我々が見る姿を現出
した。「よってたかってそのような扱いを押し付けてきた」とは、そういう意味だ。

どうすれば良い?
そんなことは分からない。国民の何割かが実際に飢える体験でもしなければ分から
ないのじゃないか、と思っている。まあ、僕としては何度も書くけれど
人生の後半生に入って、あえて百姓という生き方を選んだのは、戦後社会を支えて
きた、こういう考え方に対するアンチテーゼだ。もう、そんな生き方は行き詰った
という、僕自身の生き方を賭けたささやかな狼煙だ。
参照
というしかない。誰も、そんな狼煙に気付かなくても、それは仕方ない。

中途半端や尻切れトンボもあるけれど、取敢えず「食料自給を考える」は、これで
お仕舞いにする。また何かに触発されれば書き始めるかも知れない。
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by agsanissi | 2008-02-07 08:26 | 考える&学ぶ


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