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2008年 02月 11日

宮本常一の目

宮本常一の【忘れられた日本人】を始めて読んだのは、もう半世紀位前になるだろうか。
人、というか巷に生きる名もなき人、要するに庶民を見る目の温かさが妙に印象に残っている。
同じ民俗学といっても柳田国男と宮本常一との間には、僕の僻目の可能性もあるが(自分で
云うのも何だが、僕は何事にも先入観は皆無というほどに持たないが)、この眼差しの温かさ
という点で落差がある。
以来、深い関心を持ってはいるが、実際には雑誌【旅と民俗】の文とか新聞記事のほかは、
単行本としては塩の道日本文化の形成を読んだくらいなものだ。

信州地湧仙人さんのコメント(08/02/08)に触発されて、改めて著作集12巻所収の「村の
崩壊」を読んでみた。幾つかの新聞記事をまとめたもので、「村の崩壊」というテーマの論文
というわけではない。すべて40年程前のものだ。
ちょっと面白いなと思った片言隻語をランダムに拾ってみると
・私は政治は哲学であり、政治家は哲人でなければならないと思っている。しかし日本には哲人
政治家は生まれにくい。その吐く言葉が、人の心にとまり民衆の眼を開かせるような人が大臣と
して戦後何人でたであろうか。
・仮に平野地方で少数の大農・中農経営者が現れる日が来たとしても、耕地の大半は山地に
あって、そこに根本的な対策が立てられない限りは、農村過疎化の問題は解決せられるもの
ではないのであるから、過疎はいよいよ進んでゆくであろう。そしてそこが良い票田でなくなると
政治屋はいよいよ振り向かなくなる。農業人口の減少傾向を悪いというのではない。そのことに
よって起こってくる人間疎外が恐ろしいのである。
・農家の蓄積もどうやらかなり増大しつつあるようであるが、企業農業のための資本化は
進んでいない。その大半が脱農のために投下されている。それが都市の膨張を促している。
・ついに米の作付け制限が問題化されるにいたった。来るものが来たという感じがする。そのこ
とによって日本の隅々まで人を住まわせ、そこが必ずしも生活最適の地でなくとも人はそこに
住み、住めば都と云わしめるまでの土にしてきたのであった。
・人を土から引き離すことが、人間自体にとってしあわせになるものであるか否かは、まだ
はっきり云いきることは出来ないであろうが、自然が人間をはぐくんで来る中に、人は本当の
人間性を保持できるのではなかろうか。

この12巻を読んでの思いだが、僕の農村を見る眼は歪んではいないだろうか。百姓を始めて
丸13年になるけれど、住んでいるところは農村とはいえない。村の産業の八割は漁業に依存
し、残りの二割以下が農業だ。センサス統計では農家数は二百数十戸ということになっている
が、販売農家は数十戸、農業で生活しているいわゆる専業農家は数戸ではないか。居住地と
畑が全く別の場所にあり、いわゆる農村共同体(または集落)のようなものは、僕のところには
ない。
だから、半分は都会人の目で農業を観察しているかもしれないなという感想を、この本を読み
ながら抱いた。それが必ずしも悪いというわけではない。より客観的に見れるかも知れない。
しかし農村というものを、戦前からその変化を見続けてきた目から見た眼と、90年代以降外部
から突然やってきて、十数町歩の畑作経営をやっているものの眼とでは、自ずから違いがある
のではないか。
もう今年は、宮本常一著作集全22巻を改めて読んでいる余裕はなくなったけれど、ぼちぼち
読みながら、日本に農業はいらないか土を考える食料自給を考える、などで書いてきたこと
を、宮本さんの目を借りて熟考してみたくなった。
追記:調べ直したら、これが50巻ほどあるんだな!新刊はないし、古本はべらぼうに高いし、
来年までお預けだ)
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by agsanissi | 2008-02-11 12:31 | 考える&学ぶ


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