農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2008年 02月 23日

現状で書けることは...

昨日は、多少、お門違いな脳内のことにまで話を飛躍させてしまってちょっと興醒めな
ことを書いてしまったかなと反省している。今日は気持ちを取り直して、信州仙人のコメント
の感想(というより、読みながら頭に去来した事共)を書いておく。仙人のコメントは青、僕の
コメントは◆を付す。

Commented by 信州地湧仙人 at 2008-02-22 00:24 x
火縄に点火したのは食糧自給シリーズに端を発するところの、石油エネルギー依存の社会
システムが背景や、”自給率低下”というモノサシより”依存率拡大”のモノサシで考えるとどう
なのか、人間の幸福度というモノサシならどうか、と舞台の袖でものを言うあたりだろう。ここで
私の腹蔵の罪を告白するなれば、本編舞台上の精緻なる文体に貫徹している"モノサシ"を
換えたら文脈が変わるのじゃないかと、コペルニクス的展開を期待したこと(私の稚拙な投げ
文では叶わず)

◆「依存率拡大」という言葉を見たとき、ハッとした。虚をつかれた感じですね。誰にも死角は
ある。特に、何事かに集中しているときは、この死角が広がる。例えば、車を運転するときは
視点を何かに集中させず、茫漠と前方を見なさいを注意される。視点を集中させると、死角が
広がり、事故率が高くなる。そんな感じですね。
「依存率拡大」の一言が、最初のコメントにあれば、多分、もっと別の反応があったでしょうね。
とはいえ、そうは簡単にコペルニクス的展開が叶うものではない、時間が必要だ。

矢継ぎ早に更新される内容は、私からすると体感速度が早いので話題となるテーマを追って
いくのにまごつくこと多々。数日間の記事を追えないまま《「効率最優先」の農政が問題なの
か?》を目にし、"日本の○○"という記述に反応した。十把一絡げに農業を右に左にとの展開
にやや違和感を感じたので、もっと個々の農家の生活を含めた、周辺の環境や文化の上に
成り立つ農家の暮らし方のありよう
を考えるべきだと言いたかった。『「効率最優先」の農政』に
絡む前段において、土台となる農家の目線がどこを向いているかが捨て置かれているように
感じたからである

◆僕の感性には「十把一絡げ」という捉え方はない。実際に、「個々の農家の生活を含めた」
云々の部分を具体的に展開できるかどうかは、僕の経験、勉強、認識に依存している。
08/02/11「宮本常一の目」で「半分は都会人の目で農業を観察しているかもしれない」と
書いたのは、日本の農村についての認識が決定的に不足していると感じたからだ。
その認識不足のせいで、「十把一絡げ」に陥ることはあっても、感性としてそれで良しとする
ことはあり得ない。これこれの部分は「十把一絡げ」の捉え方だという批判なら、直ちに反応
するけれど、「日本の.○○」の言葉にこだわるから、認識論や方法論、モデル論の話にまで
不必要に問題を広げてしまうのだ。これはこれで、何かの足しになったから、無駄だとは全く
思っていないが...。実は、僕も道草のほうが好きでね。

Commented by 信州地湧仙人 at 2008-02-22 00:25 x
農の営みは、拠って立つ土地特有の条件と地域の暮らしやコミュニティの関係性を共有し、
独自の地域全体の農村システムとして成り立ってきた。各々のローカルシステムは千差万別
であることは言わずもがな、水路道路の維持、田の水配りの当番などの他、生活行事と一体
の文化的な共同、密接な相互補完しあっての営農が基底にある。いわば村落運営全体複合
システムが存立していてこそ各農家は成り立ってきた。ここで、農村の持続性を担保してきた
ローカルシステムを揺るがしてきた負の文明スパイラル
をどう見るか。底流に潜む汲むべき
視点を見逃しては、皮相の現象を揶揄していても実りがないと感じたわけである。畢竟、言い
たいことは次の二点。

1.自給自立できていたシステムが崩壊していく過程を良く見ろ。
2.自然風土の中で生きる農の生々しい風景をもっと浮き彫りにしろ。

◆この点は、まさに指摘の通り。08/02/07「食料自給を考える/一応はまとめ/21」に
「よってたかってそのような扱いを押し付けてきたからそうなった」という一言を入れたのは、
そのような認識が前提にあったからだけれど、如何せん、現状では僕にはこれ以上のこと
を書けるだけの経験も知識も不足している。

Commented by 信州地湧仙人 at 2008-02-22 00:26 x
これらの伏線上で、考える土台や共通共有できる話題で展開が進むと勝手に期待し、《農の
ある暮らし》の源泉から本流に至る道を考えてみたかった。が、実際は山人さんが仰るとおり、
私の書き方が下手で、そう甘くはなかったということですな。私の場合、抽象的な概念を理解
するのも説明するのも一苦労。数学の話まで出た際は立ち眩みの態。日はとっぷり暮れて
道遠しだ。人それぞれに言葉から具体的イメージを連想し、問題意識と連結して考えが方々
にリンクしていく。人にもよるだろうが、一貫した体系を組み立てながら沈着に思考を躍らせて
いくより、発想の赴くまま進むほうが断然面白い
。だがついつい埒もない言葉の綾に絡まって
しまった。『重要な問題があるという思考の盲点を指摘』する以前でつまずいている失態。
『具体的に指摘することで、議論は初めて生産的になりうる』は順当な見解。私のやぶ睨みで
お門違いな袖の戯れのために徒に労を費やさしてしまった段、深くお詫び申し上げる。こういう
時は一歩退いて褌の締め直しするに限る。感謝

◆僕には、「一貫した体系を組み立て」ている意識は全くない。というより正反対の意識で、
いつでも書いている。思いつくまま、気のむくまま、脱線寄り道が本筋だからとさえ書いている。
これは謙遜でもなんでもない(一般に、僕は謙遜をしたことがない。逆に、他人の謙遜さえ、真
に受けることがある)、本心だ。
お互い自然体で臨めば、問題なし。最後の一句には、自然には無駄なものは何もない、という
ところですね。
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by agsanissi | 2008-02-23 06:16 | 考える&学ぶ


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