2008年 03月 07日

農業政策の薮にらみ

山は、まだ真っ白で農作業も始まらないのに、いろいろ野暮用で頭の交通整理に忙しい。
尤も、実際に農作業が始まると、ある種の作業を除けば、ひたすら単純作業の繰り返しで、
そのほうが却って「脳」作業には好都合だという面もある。

何度も書くけれど、僕は農業問題とか農業政策は「天気」と一緒だと見なしている。
東北北部沿岸地帯は春から夏にかけて、常習的な海霧(ヤマセと云う)に襲われる地域で
(尤も、僕が入植してからの十数年間にも、海霧が陸地にまで入ってくる回数は、近年はやや
減ったようだ)、特異的に気象条件の厳しいところだ。その沿岸部の中でも、普代という地域は、
北緯40度線上という地球的規模の特異性と地形的な特異性とが、各々どの程度まで係って
いるのか分からないが、沿岸部の他の地域とは違った特異的傾向を示す場合が少なくない。
こんな気象条件と新開発農地(地力が乏しい)の厳しさとが相俟って農環境としては、決して
望ましい環境とは云いがたい。
そんなこともあって「天気」の観察には、相当な関心を払っている。とはいえ「天気」を変えよう
などと阿呆なことは考えたこともない。「一緒」とは、そういう意味だ。
ひたすら観察し、その中で生き延びていくことが出来ればそれで良しと考えている。人為的所作
という意味では違いはあるが、与件としか見なさないという心の距離を保ちたいというのが本音
だ。「生き延びる」という表現は、やや厳しいようにも見えるが、そのための必死の努力そのもの
が"生きてある証"と心得ている。
別段、これは僕の人生観を書いているのではなく、農業問題とか農業政策に対する僕の立場
距離の置き方を書いているに過ぎない。以上は余談...

さて、今日は信州地湧仙人が夙に指摘する「農村の多様性」に係る農業政策の整合性に焦点
を当てた重要な論文を紹介しておく。
Rieti経済産業研究所のサイトに掲載された山下一仁氏の「農村振興政策の指導原理」
参照、05/07/25)が、それだ。本文を読んで考えて頂くのが良いが、要点だけ摘記しておく。
まず「経済政策の基本中の基本原則は、1つの問題にはそれに直接ターゲットを絞りそれを
直接解決する政策を採るということである
」と指摘した後、フランスの農業経済学者の言葉を
引用する。
全ての経済政策の基本原則の1つは、目標と手段との間の整合性という原則である。この
原則の意味することは、いかなる政策についても、最良の手段とは最も直接的に目標を達成
するような手段であるということである


判りきった当たり前の話のようにも見えるが、実際にはそうではないから、改めて指摘する必要
がある。政策の基本方針においては「目標と手段」は整合性を持っているが、現場の実施段階で「目標と手段」において整合性が失われる可能性はしばしばある。「目標」というのは、観念的
なもので頭の中にある。「手段」は現実に適用されなければならない。これは戦略と戦術におき
代えても起こりうるし、我々の日常生活でもおきる。

しかし「基本方針」において最初から整合性がないとすれば話にならない。
山下氏は、まず、60年代から30年以上にわたって続けられた米政策に不整合性があったこと
を指摘する。(以下引用は▽、◆は僕)
過去の農政の誤りはこの経済政策の基本を忘れた、あるいは知らなかったことである。
農家所得の向上を図る(原文は「回る」とある)のであれば、直接所得に効果を与える政策を
採るべきであった。しかし、生産者米価の引上げ、生産調整による価格維持カルテル等価格
支持という間接的な政策により農家所得を向上させようとしたために、米の消費の減少、供給
の拡大、これによる食料自給率低下、構造改革の立遅れによる国際競争力の低下等大きな
副作用を生じてしまった

◆この批判には、ある程度、後知恵という側面があることは否めない。数十年前に、このような
批判を展開できたかどうか、仮に出来たとして受け入れられたかどうか、それはまた別問題だ。

しかし、未だにこの批判は受け入れられていないし、この誤りは引き継がれている。
「食料・農業・農村基本法」(99年制定、03年最終改正)で「目標と手段」において、政策的な
股裂き状態に陥っているというのが、この論文の趣旨だ。
食料・農業・農村基本法の総則中にある第5条をみると、「農業の有する食料その他の農産
物の供給の機能及び多面的機能が適切かつ充分に発揮されるよう、農業の生産条件の整備
及び生活環境の整備…により、農村の振興が図られなければならない」とあり、あくまで主体は
農業の振興であるように思われる

◆この法律の名前は、食料と農業と農村を有機的なつながりのある一体のものとして捉え、
農業・農村の振興を図ることが食料の安定供給の土台になるという考え方を表明したものだ
ろう。この場合、二つの問題点がある。一つは、農業を営む場としての農村の一体性は既に
失われており、農業の振興と農村の振興とは必ずしも一体のものではない。
二つ目は、その結果でもあるが目標を「総合的」に捉えていると云えば体裁は良いが、実際に
は土台において一体性が失われているために、政策目標を曖昧にし、かつ政策目標と手段と
が整合性を欠く結果に陥らざるを得ない。

1950年代前半まではこのような混乱は起こらなかった。農村は農業が営まれる場で
あった。農業の振興は農村の振興と同義だった。.....
しかし、混住化が進み、農家経済自体も兼業化の進展により農業に依存しなくなると、比重が
低下した農業の振興は農村の振興と同じではなくなった。農家経済を向上させ農村を活性化
させようとすると、農地はむしろ転用して企業を誘致した方がよい。農業は振興ではなく縮小が
望ましくなる。過疎化を避けようとすると、少数の担い手に農地を集積させて規模拡大を図り
農業のコストダウン・振興を行なうよりも、農業の効率が悪くても兼業農家が多数いてくれた
方が望ましい。兼業化の進展等により、今では中山間地域でも農家所得は勤労者世帯を上
回っている。こうして農家経済が向上し、農村が豊かになる一方で、農業は衰退した

◆非常に、大雑把な総括をすると、農業政策はその対象となる農業の営まれる場としての農村
の基本的変化を政策的視野に入れていないし、そもそも「農業の営まれる場としての農村」と
いう捉え方が、現実にマッチしているのか、していけるのかという認識を欠いているということに
なる。そもそも都市と農村という二分的・対立的な捉え方に留まっていて良いのか?
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by agsanissi | 2008-03-07 06:11 | 参考記事


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