2012年 01月 15日 ( 1 )


2012年 01月 15日

日々雑纂

・2時半頃目覚める、乾布摩擦&ヨガ、腰にちょっとした凝り感;岩手の自分の部屋の机と椅子を撤去して、大幅に簡素化しようと(その一環で)
止まり木のような椅子を古道具屋で入手。この椅子と机の高さのバランスが悪く、多分、それが原因。机・椅子・ディスプレーの位置関係を調整。

【ツヴァイク全集】17(「権力と戦う良心」)を開始、20年前か30年前か、最初に読んだのがいつか忘れてしまった。内容もまたカルヴァンの評伝
だったという以外はスッカリ忘れてしまった、ただカルヴァンに対する見方をスッカリ改めた、というよりも宗教改革がルネサンスと共に人間解放へ
の近代的燭光の第一歩であるかに漠然と考えていた”思い込み”をスッカリ改めるキッカケになったことだけは覚えている。
・「エラスムス...」の出版直後に執筆開始、36年に出版されているからほぼ同時期。「権力と戦う良心」とは、もち論、カルヴァンのことではない。
副題に「カルヴァンと戦うカステリオン」とあるようにカステリオンのことだが、事実上、カルヴァンの評伝でもある。
・ツヴァイク自身が「序章」で書いているように「今日になってもなおあらゆる教科書に、ヨーロッパで寛容の精神を説いた最初の人間はヒュームと
ロックであるなどと誤って書かれている」ように、カステリオンを最初に再評価したのはツヴァイクかも知れない。(下線は引用者)
・エラスムスと同様人文学者だが、違ったタイプ、ある意味では対極的とも言えるだろうか。エラスムスはすべての争いを避けたけれど、カステリ
オンは自らを「象と戦う虻」と評しているように戦いを避けなかった。前者があくまでも思索的・理知的な人とすれば、後者は行動的・実践的な人
と言えるか。ツヴァイクが、この二人を相次いで取り上げて評伝を書いた意図は何だろうか
・最初の数十頁を読んだ所で、埼玉に来てはじめて「寒さ」を感じて、じっと座って本を読んでいられなくなり、新聞を広げたり、筋トレをしたり、PC
を立ち上げて「作業日誌」の更新をしたりと(というわけで、ここまで書いた).....
・多分、この本を読んだ時期は35年以上前には遡らないと思うが、仮に45-50年前に読んでいたとすれば、僕の世界観および人生観はどんな
風に変わっていただろうか、とフト思った。(後半部を読み進むに連れ、改めて考えなおした。)カルヴァンのような個性からは、ある一点を除いて
いかなる影響も受ける可能性はない。この狂信的で、自己の信仰に対して首尾一貫した・絶対的な確信を持ち、己の信仰する教義のためなら、
どんなに非道徳的・非人間的な酷薄で苛烈な手段であろうとも、一瞬の迷いもなくやってのけられるような悪魔的個性から、一体何を学べようか。
カルヴァンは、己の個性という刻印を押すことで、全てのものを反対物に転化させてしまった。何よりもまず「魂と宗教の自由運動」として始まった
宗教改革を、カルヴァンの教義への絶対的帰依以外にいかなる「自由」も許さず、こうしてすべての精神的自由を奪いさってしまった。キリスト教の
隣人愛の精神は、カルヴァンの神権政治の確立されたジュネーヴ市では隣人同士の猜疑心・スパイ行為・密告が蔓延する恐怖政治へと変容した。
・カルヴァンの個性の中で、ただ一点、感銘を受けたものは彼が座右の銘とした「絶望の淵から、新たな力をもって抜けだす」だけだ。確かに彼は、
この点は微塵の疑いもなく忠実だ。
・深甚な影響を受ける可能性があるとすれば、むしろエラスムスだが、その「思索的・理知的」に過ぎる立場を理解するにはある種の諦観を根底に
持たなければならぬかも知れぬ。

・陽射しはあるが、下層の薄雲に全天覆われ(明け方は、それでも上層のうろこ雲だった)まるで黄昏時のように影が薄い。

震災が生んだ異才
・14日の「日経」文化欄に「震災が生んだ異才」と題して、「考現学」の祖=今和次郎の「再評価」が進んでいるトノ記事が載っている。
・僕が今和次郎のことを知ったのは岩波文庫に収録された【日本の民家】、そこに載っていた多数の民家のスケッチ画が最初(そして最後かな)。
今は絶版になっているのか、Amazonの中古品で¥2830の値が付いている。
・記事に「震災が異才を花開かせた」と工学院大学藤森教授の話が載っている。「和次郎は焼け跡で、生きることの原型を目の当たりにした。
被災者が自らトタンで住まいを作り、拾ったものを売って暮らす。バラックは人間の原始的な力にあふれていた。彼は悲惨を悲惨として受け止め
ながらも,心底興奮していたのではないか
」(下線は引用者)
・僕がまだ小学校低学年の頃(戦後10年くらいだ)、東京中野区の学校の周囲にあったドブ川の上には溝に板を渡してトタン板やら何やらで覆い
をしたバラックが立ち並んでいた。その「家」から学校に通って来る(と云って、一歩出ればそこが学校だった)同級生もいた。空襲や戦火で家を
失った人らが急造で住まっていたものだ。中野では、間もなくバラックは消えていったが、埼玉県大宮市の氷川神社参道周囲には戦後20年後に
なっても、このバラック跡の名残が改造改造を重ねながら残っていた。
・戦争直後の写真集で、東京駅の真ん前の焼け跡で畑を耕して大根を育てている風景を見たことがある。
・これこそ「生きることの原型」と云って良いかも知れない(と言っても、まだ現代風だけれど)。その現代化された「生きることの原型」すら、今は
失われているのではないかと僕は感じている。計画停電やガソリン不足、スーパーに品物が消えたなどといって大騒ぎする姿は、ただ笑うほか
ない。もともと人間は社会的動物だから社会的に依存するのは当然、というか社会を前提としているけれど、過度に「社会」に依存する生き方は
逆に自立した人間として生きていく力を喪失させる。「生きる尊厳」などと安易に語るが、その根底には「自立した人間として生きる力」が前提とし
てなければ話にならんと(他人には強要しなけれど)、僕は考えている。
・百年単位で続いてきた「大きな政府」への意識的・無意識的志向も、この「自立した人間として生きていく力」の喪失と裏腹の関係あるのでは
ないか。とすれば、「大きな政府」から「小さな政府」へのパラダイム転換は、僕達自身の生き方のパラダイム転換でもなければならない。

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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-15 06:15 | 日々雑纂