2012年 01月 29日 ( 1 )


2012年 01月 29日

日々雑纂

・大雪の目安とされる上空5千㍍△36度の寒気に仙台付近まですっぽり覆われる。久しぶりに普代の気温変化を見るに、14日に真冬日
の後、26日以降連続して真冬日を記録。但し降雪量は岩手県全般で少なく、過去一ヶ月間の降雪量は平年の30-40%にとどまっている
模様。沿岸部の積雪は何れもほぼゼロ。
二年ぶりに兄を訪問;10時過ぎにスタート、何故か16号バイパスはガラガラと云っても良いほどの空きよう。浦和付近からやや混雑し
始め埼大付近の合流点及び所沢航空公園付近の二車線が一車線に合流する付近は相変わらずの混雑だが、概ね順調と言うべし。
兄弟とはいえ、僕とは20歳年長の86歳で、今年初めて両親の年齢を越え、兄弟姉妹7人の中では今のところ唯一両親の年齢を越えて
健在だ。生き残っているのは長男と僕だけになってしまった。僕と同じく糖尿病、43歳で糖尿病と診断されたそうだから(当時の血糖値は
600を超えたとのこと)既に半生以上を糖尿病患者として過ごしているわけだ。当初は、内科医にかかり、単に血糖降下剤を処方される
のみで、当然のごとく加齢と共に薬の効果は次第に衰え、血糖値は徐々に上昇、血糖降下剤を増量する他、為す所なく、やがて糖尿病
網膜症を発症し、今でも目は見えてはいるものの、三回のレーザー光凝固手術を受けたとのこと。これを機会に糖尿病専門医に初めて
診てもらい、当の専門医は内科医の「お決まりの(というより無能な)治療」に呆れ返ったとのこと。
・以来(それから何年経つかは聞き忘れた)糖尿病専門医に月一度通い、食事及び運動療法・栄養指導を受けると共に、血糖降下剤を
インスリン投与に切り替え、今日に至っているとのこと。(僕の見る所、一応、糖尿病専門医としての平均的基準は満たしているが、いま
一歩踏み込んだ「治療」を追究しようとする熱意は待っていないようだ)
・現状は、ヘモグロビンA1cは6.5%で、血糖管理の状態は一般的に「良」と「可」の中間。食事内容と血糖値の測定記録を見せてもらった
が(かなり几帳面に記録しており、これだけでも一般的にはかなり優良な「患者」とは言えそうだ)、空腹時及び食後の血糖値の変動幅が
大きく、かつ朝食前の空腹時血糖値が150~180を度々超えており、食事内容のより正確な掌握(僕の推測では、主な食事は記録して
いるが、間食の類・調味料的なもの・いわゆる健康食品の類に含まれる炭水化物・単糖類が省略されている)と血糖管理の必要を感じる
けれど、現在の年齢と健康度(下脚部の慢性的な痺れがあるだけで、多少の神経障害があるか、他には特に心臓にも血圧にも異常はない
とのこと)を考慮して、ほどほどにということであれば、こんなもので仕方ないのか(妥協するしかないかな)とも感じる。



クラウドサービスの可能性、富士通は「携帯電話による糖尿病患者様向け支援サービスを拡充」と公表(12/01/26,参照)。
 「からだライフ 糖尿病サポート」では、昨年より、富士通製携帯電話と血糖測定器を連携させ自動で血糖値を記録し、データ管理などを
行う、クラウドサービスを有料で提供してまいりました。今回、対応機種を大幅に拡大し、お手持ちの各種携帯電話やスマートフォンで、
患者様がWebアプリケーションを活用して「食事」「運動」「血糖値」などを管理し、糖尿病の療養に欠かせない食事節制や運動の習慣化を
支援する機能を無料でご利用いただけるクラウドサービスを提供します。
」と云うもの。尤も、管理機能がいくら充実しても、実際に管理する
のは本人だからな。機能の客観的充実は主体的能力の向上に、どの程度資するのか??
・「池田信夫Blog」で初めて知って(1/12/31、参照)、ふと読んでみたくなった【啓蒙の思想】を昨日、図書館から借りてきた。【白い道】と
併せて借りてきた【野蛮と希望の世紀を読む】(【啓蒙の弁証法】と、ほぼ同様のテーマを扱った本の書評集のようだ)ばかり読んで、まだ
【啓蒙の...】のほうは読んでないけれど、1942年に書かれた序文に、次のような一節がある。
「近代科学の営みのうちでは、偉大な発明は、理論的教養のいや増す崩壊という代価を払って購われる、ということに何年も前から気づいて
はいた」「市民的文明の崩壊という)現代の状況においては」、ただ単に学問に従事することばかりではなく、学問そのものの意義が、疑わし
いものになってしまっている
」云々
・携帯電話の機能充実と、これがどういう関係があるかと思うかも知れないけれど、本質的問題提起という点では同じ事だ、と僕は思う。
・科学的・技術的進歩と人間的能力(倫理的能力を含めて、あるいは「とりわけ倫理的能力」といっても良い)は、並行しては進まない。この
点をはっきり見極めておくことが肝要だ。
・例えば、「科学技術の進歩」ということは、ある程度、安心して言えるけれど、「倫理観の歴史的進歩」とか「思想的進歩」とかは、極めて
狭い限定的な意味では云えないこともないけれど、それでさえ「科学技術」のような普遍性はあり得ない。

・多少、違った面があるけれど、池田氏は次のように書いている(【啓蒙の弁証法】の延長上の思想かどうかはまだ分からない)。
啓蒙は世界を「脱神話化」することによってその意味を剥奪し、爆発的な富の増大を実現したが、それはかえって人々の意味への渇望を
生み出し、啓蒙を清算して科学を否定しようとする大衆運動を生み出す。いま起こっている反原発運動がファシズムと共通するのは、科学的
データを「御用学者」と否定して「正義か悪か」を判断基準にしようとする呪術的思考である。
(下線は引用者)
・ある程度の「保留」をつければ、基本的に僕はこの考えに同意する。核分裂反応は、基本的に制御可能な技術かどうかという点は、
「制御」の意味合いによる。いかなる人間的行為にも、偶然的要素を排除した絶対的「制御」可能性はありえない(自然界ではどうかは、
取り敢えず考えない)。その限りで、核分裂反応を爆弾にも電力にも、そのエネルギーを抽出し、利用可能にしたという点では明らかに「制御」
可能な技術である。「原子力は人間のコントロールできない凶悪なエネルギーだ」などという議論は、技術そのものを罪悪視するお伽噺だ。
・ところが、実際に核分裂反応を武器や電力発電に利用するかどうかの政治的・経営的判断には、その基礎になる「科学的データ」を含めて
無数の恣意的要素が入り込んでくる。すべての恣意的要素を排除したにしても、「科学的認識」そのものの相対的限界は免れない。
・さて、どうしたら良いのか。どんなに画期的な・革命的思想も、それが思想信条として絶対化されると共に、やがてその最も醜悪な側面を
さらけ出し、人間にとっての災厄以外の何ものでもないものへと転化してしまう事実を見据えるとき、何らかの思想ではなく、「思想」そのもの
への懐疑と諦観は始まる。

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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-29 05:39 | 日々雑纂