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2012年 02月 23日 ( 3 )


2012年 02月 23日

この国の”行く末”/30年代のアナロジー

・昨日、引用だけして書きかけにしたままの続き
政党政治の腐敗
・【断腸亭日乗】昭和六年十一月十日に次のような一節、
銀座の飲屋で「数名の壮士有り卓を囲んで大声に時事を論ず、窃かに聞くに、頃日陸軍将校の一団首相若槻某を脅迫し、ナポレオンの顰に倣い
クーデタを断行せんとして果たさず、来春紀元節を期して再挙を謀るという、今秋満州事変起りて以来この如き不穏の風説至る所に盛也、真相の
如何は固より知り難し、然れどもつらつら思うに、今日我が国政党政治の腐敗を一掃し、社会の機運を新たにするものは蓋し武断政治を措きて他
に道なし、今の世において武断専制の政治は永続すべきものにあらず、されど旧弊を一掃し人心を覚醒せしむるには大いに効果あるべし」
云々
荷風は、決して政治的人間ではない。どちらかと言えば最も俗的なものに溺れながら、超俗的たらんとした高踏的な人間かな。
まあ、その辺の評価は適当だが、軍人嫌いで、高圧的強権政治を忌み嫌っていることは確かだ。その荷風にして”武断政治”への
微かな期待を滲ませているのだから、政党政治の腐敗の惨たるや思うべし!!
では、荷風がここで指摘する「政党政治の腐敗」、一掃すべき「旧弊」とは一体何だったのか??荷風のような非政治的人間の目
にも余るような歴然たる腐敗とはどんなものだったか?(通読した限りでは、これ以前に特別の言及はない。再読して見る必要)

・升味準之助【日本政党史論】第6巻から拾ってみると、国民の窮状をよそに「党利党略にのみ狂奔している政情」、あるいは政策・政綱を棚上げ
して政権にありつこうと離合集散を繰り返す政党分派・脚の引っ張り合い、果ては軍部・右翼の政党攻撃に便乗して与党を追及して自ら政党政治
の基盤を掘り崩す主張
に同調する浅ましさ等だろうか。
ちなみに、1930年4月25日衆議院で民政党浜口内閣のロンドン軍縮条約締結を、政府の「統帥権干犯」問題として攻撃し、
政府の軍事問題への「容喙」への手を縛り、逆に軍部が縦に政治・外交問題に容喙し、政府の鼻面を引っ掴んで引きずり回す
発端となった歴史的議会演説をやったのは鳩山一郎(つい最近、首相を辞任した鳩山のお祖父ちゃん)だ
12/02/24追記)。
・今日、日経ビジネスの記事(【首相ブレーン機関の起源と運命の近衛文麿】、12/02/20、参照)を読んでいたら、こんなことが書いてあった。
首相ブレーン機関は、明治国家における意思決定システムの漂流に起源を持つ。明治憲法によって分立的となっていた国家の諸機関を
統合する元老は、西園寺公望1人となった。次なる統合主体の政党は、意思決定システムに大衆を組み込むことに失敗して自滅した。かくて
1930年代は、矛盾が噴出し漂流の時代となった。

この記述自体、ちょっと解析しなければならないが、今日のところは引用だけに留めておく
・橋本新党や石原新党への期待の高まりは、ここに云う武断政治とは距離がある。しかし内閣にしても、国会にしても”意思決定ないし遂行機関”
としての機能を衰退させ、自ら掲げた政策を反故にする朝令暮改・次元の低い政争・揚げ足取り・党内の政争をも制御できない無規律&造反ぶり
に対する国民的な苛立ちを反映していることだけは確かだ。
・鈴木氏の指摘する《「維新」という看板の胡散臭さ》(22日「日誌」参照)の根底にあるのは、現在の膠着状態の影に隠れている政治的・社会的
問題点を明確にしないまま、「維新」という空文句を掲げて国民的苛立ちを吸収しようとする、その政治的姿勢ではないか。
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by agsanissi | 2012-02-23 18:17 | ミミズの寝言
2012年 02月 23日

日々雑纂

・明け方から雨、前線を伴った低気圧の中心は今夜三陸沖40度線付近迄北上の見込み、日中いっぱいは雨か
・前線は、予想より東寄りに進んだのか、昼過ぎには晴れ間も現れる。
・新たに逆立ちと竹踏みを入れる。逆立ちは、何年ぶりか。昔は、時々やっていたが、いつしかやらなくなった。数日前、眠気がして横になる
代わりに、ふと思い立って逆立ちをやってみた。ちょっとスッキリ。起きがけのヨガポーズに取り入れることに。今はユックリ百数えるまで。
・今は日々雑纂に何でも突っ込んでいる。「雑纂」だからそれで良い。ちょっと困ることもある。最近は、自分が前に書いたことも忘れてしまう
ことがある。一々検索して確認するのも煩わしい。「雑纂」とカテゴリー分けの両方に書いておけば良い。昔々、所謂「京大カード」なんぞを
使っていたときは、分類に困ったときはすサブカードを作ってメインカードを参照できるようにしておいた。その方式だ。今ならコピペで簡単に
何枚でもカードを作れるようなもんだ。
・雨で、散歩はなし。いろいろ思案し、思案しながら書く(というより書きながら思案する)時間が、雨で誘われる。
◆以下は、そんな事で書き始めた。
・当面、農作業関係、糖尿病・心臓病(もう少し広く医学関連かな)、これが二大テーマだな。新たに政治的問題・これは「ミミズの寝言」の
中に一括して入れるつもりだが、ちょっと真面目にというか真剣に考えてみようかと思案している。所詮は「ミミズの寝言」だけれどな。
・語学;今年は漢文・漢詩を本格的にやることにした。中国語とも考えたが、中国語より漢文のほうが、当面の僕にとっては実用的。漢詩は
まるでやったことがない。唐詩選、杜甫くらいは通読したことがあるけれど、それくらい。片言隻句は頭に浮かぶが、この歳になって初めて
漢詩がしみじみと分かるようになったかな。加えて【史記】、特に列伝を読み込む。これは武田泰淳の【司馬遷伝】を改めて読み返してみて
司馬遷が心血を注いだ”歴史”ないし記録から、何を汲み取れるか、一度は真剣に対してみる必要があるかなと思った次第。尤も、そういう
意味では、歴史に残る傑作は多かれ少なかれ、その一面がある。
・この歳になると、残る生涯に読んでおくべき本は何かが一番の問題。「速読」なんぞは以ての外!そんなものに使っている時間はない!
・歴史は、ギボンとモムゼンのローマ史、史記、それにブローデルとウォーラーステイン、少なくとも今年一杯、これと真剣に格闘する。
・マルクスのいわゆる「発展段階論」=スターリンの云うところの史的唯物論は、四十年近く前に”卒業”した。卒業した後、それに代わる
何らかの史観を持ったかというと、史観よりも諦観のほうが先にたってしまって、人間に向きあうより自然と向き合う道を選んでしまった。
今になって、それを些かも悔いてはいないけれど、改めて考えることは自然観を根底に持たない歴史観なり・人間観なりは危うい、という
こと。その意味では、この歳になって【華厳経】は初めて読んだけれど、これは凄い!!
・いままで僕は、経典なんぞ読んだことはなかったけれど、三國連太郎の【白い道】をキッカケに歎異抄、教行信条、華厳経と正法眼蔵の
所々を拾い読みしたけれど、余計な夾雑物を取り去ってみれば、これはライプニッツ、ヘーゲル、カント、ロックなどの西洋哲学に匹敵する
世界観だと認識した。そんなことから歴史を、乃至歴史を通して自然と人間を見直し、自分なりの世界観を改めて見直す気になった。
・「世界観」という言葉を、僕が初めて聞いたのは、今でもはっきり覚えているが十歳の時だ。トルストイの【人生論】を読んでいたら、六歳
上の兄貴が「人生観なんて狭い了見じゃ駄目だ。世界観をもって生きなきゃ駄目だ」と決め付けるように言い放った、それが最初だ。
・以来、いつもこの言葉が頭のどこかにあって、折に触れて考えてきた。「世界観をもって生きる」とはどういうことか、ほんとうの意味で
腑に落ちたのが何歳の時かは覚えてないけれど、12歳から30歳頃までの約20年間は明確な世界観を以て生きていたことだけは確かだ。
その「世界観」がガラガラと音を立てて崩れてしまって(その時は、何かの啓示を受けたような夢を見た。残念ながら、それに代わる世界観
の啓示は受けなかった)、諦観だけがあとに残った。
・諦観を諦観のままに放置し、安易に自然と向き合うことで済ましてきたところが、凡の凡たる由縁だろうな。
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2011年2月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-02-23 06:23 | 日々雑纂
2012年 02月 23日

この国の”行く末”/その1

◆まとめて「ミミズの寝言」⇒以下何回かに分けて、収載しておく(もっぱら自分の参照用のため)。
・去年の暮れから書き残した中で「この国の行く末」に関係のありそうな記述を、ここにまとめて拾っておく(その前のものも「日々雑纂」の中に
混在しているかも知れないが、今は無視する)。あと何年観察できるか、30年は無理かもしれないが、20年は、充分に観察出来るだろう。
・僕は、明治維新以降の歴史を、特に政治的・社会的変容を概ね「40年周期」の波動として捉えている。あるいは登りと降りをまとめて80年
を一周期とすれば、現在は1985年頃を転換期とする第ニ周期の下り坂の後半期と見ている。その意味では民主党政権の誕生を、戦後の
日本の政治体制の画期的転換期とは見なしていない。むしろ、いわゆる「55年体制」の崩壊に伴う政治的転換の過渡期、あるいは自民党の
長期安定政権の崩壊に伴う混迷期と見なしている。仮に次の転換期が2025年頃とすれば、その帰趨が見えてくるまで十数年はかかるから
自分の観察が10年後、20年後に顧みてどうなのか、今から書きためておけば、息子や孫への遺産にはならぬまでも、冥途への土産話の
タネくらいにはなるだろうと、ちょっと真面目に考えてみようかと思案した。(*)
・前々から云うように、僕にとって”政治”は天気と一緒で、如何に観察しようとどうなるもんでもないが(だから所詮は「ミミズの寝言」だ!!)、
これまた天気と一緒で、だからと言って「観察」を止めるわけにはいかないし、その行く末も見据えておきたい。
・12歳から30歳頃までの約20年間、政治は実践的にも理論的にも、僕の第一の関心事だった。というより第一があって、第二、第三以下の
ない関心事だった。次の十数年は、次第に諦観を深めながらも、依然としてそれまでの残滓を曳きずりながら、自分の前半生を反省し超克
するのに必要な(と今から思えば)時間だった。
・自分自身の信条として政治に真正面から向き合うとすれば、それが如何に危険で、詮無いことと知りつつも、理想主義的にしか向き合え
ないだろうと予想するがゆえに、現実の政治を忌避し軽蔑しているにもかかわらず、完全に無視し切ることのできない”政治的人間”の業か。
(*)ついでに書いておけば、世界史的変容の影響は免れ難く、「55年体制」や日米安保体制は、米ソの二大覇権国家の対立を
中軸に据えた副次的余波のようなもんで、いわゆる冷戦体制の中の小規模構造(下部構造あるいは二次的構造)に過ぎない。
冷戦体制の崩壊後、米国の独り勝ち、いわゆる一極化が盛んに喧伝されたけれど、現実には多極化が進んでおり、その帰趨も
(多極化の本質上)見えてこない。

《12/01/02》
人口減少社会
・昨日の日経の記事に《人口自然減、過去最大の20万人超》とある。10月までの速報値を使った年間推計値で出生数は105.7万人
(前年比1.4万人)と戦後最低、また婚姻件数も67万組みと戦後最少。一方、死亡数は126.1万人(前年比+6.4万人、内東日本
大震災の死者1.6万人、他に行方不明者有り)。
・歴史的スパンで見れば、人口の停滞ないし減少時代は三回ある(「三回しかない」といったほうが良いか)。縄文時代末期、平安時代、
江戸時代中期・後期。世界人口は70億人を超えたが、今後も増え続けるかどうかは分からないし、過去には停滞ないし減少時代が
あった。超長期的推移の波動の中で見れば、ナチスやスターリン時代の数千万に登る大量殺戮も、ほんのエピソード・さざなみ程度の
ゆらぎに過ぎないとも見える。この停滞ないし減少の原因は、社会現象と自然現象の複合的要因と考えるのが適当だろうか。
・歴史人口学が専門の鬼頭宏教授は「文明システムの転換期に人口は停滞・減少する」と指摘する。「縄文時代の後半の場合は、
「狩猟採集経済」の文明システムから、「水稲農耕かシステム」に移行する時期にあたる。平安期は、律令国家が水田を管理する
システムから荘園などによって私有化が進行した時期にあたる。江戸時代後半は、鎖国をしていたために完全に自給自足であり、
当時の農業生産技術で支えられる限界の3500万人に接近したことが人口停滞の原因だったと考えられる
」(参照
・日本は、これから長期にわたって人口減少期に入ると予測されているが、グローバルな世界的な開放システムの下で、一国的な
「文明システムの転換期」ということがありうるだろうか?それとも一国的な文明的衰退の予兆?ともあれ、若年人口と婚姻数の絶対
的減少・少子化傾向及び人口構成の老齢化が社会の活力を失わせることだけは間違いない。
・日本の人口減少が始まったのは2005年のことだが、その年1月1日の日経は「古代ローマ帝国でも豊かになると少子化に懸念が
持たれた。初代皇帝アウグストゥスは、未婚の女性に『独身税』を課すなどの手を打ち、少子化の抑止力として相当な効果をあげた

との塩野七生さんの話を載せている(参照)。

《12/01/01》
増税問題
・同じく十一月六日の条に「増税問題起こりてより人心恟々、前途暗澹として方針定めがたしと云う。余窃かに思うに、今回の増税は
天保改革の時幕府が蔵宿及び用達の富商に上納金を命じ、また江戸近郊にありし幕府旗本の采地を返上せしめんとしたる政策に似たり。
天保の改革はその半ばにして挫折したり。今回(*)、軍部の為すところ果たして能く成功すべきや否や。
」とある。
・奇しくも今朝の日経に《首相、迫る勝負の時、消費増税へ退路断つ》との記事が載っている。中に「消費増税に挑んだ歴代首相」の一覧表
がある。すなわち79年大平、87年中曽根、88年竹下、94年細川、94年村山、97年橋本と、32年間に6人、このうち能く増税を成し得たの
は盤石の党内基盤を固めた竹下内閣と変則的挙国一致内閣に近い村山内閣のみ。現在の財政状況から見て「何れは増税やむなし」との
国民的合意を得られる一般的可能性はないではないが、その前に「やるべきことに粉骨砕身の努力を重ねた」との身を切る覚悟が見えぬ。
*「この間約九字抹消、また行間補」の注有り。
アーネスト・サトウ
・昭和十年六月十六日の条に「英国外交官アーネスト・サトウの維新外交史は幕末維新のことを知らむとするもの必ず一読せざるべからざる
良書なり。日本人の著述には見ること能わざる秘事多きのみならず、その観察あくまで公平にしてその記事極めて率直なれば、読み行く中
に時代の変遷するさま、さながら大河の騎士に立ちて流れいく水を見るが如き思いをなさしむ.....維新の変革を記述したる邦人の著書には
必ず悲憤慷慨の文字多く挿入せられ、薩長志士の行動を無理無体に称揚し
....云々」(下線は引用者)
⇒「傍観者」としての面目躍如たるもの有り。傍観者とは、すなわち透徹した観察者の意也。我また、傍観者を自認するの所以也。
・岩手を出るときに、たまたま書棚から引っ張り出してきたメレジュコフスキー【神々の復活】の一節に、ダ・ヴィンチの言葉として
もし芸術家になりたいなら、芸術以外一切の悲しみや、煩いを捨てておしまいなさい。芸術家の心はちょうど鏡のように、自分自身はじっと
不動を守って、明らかに輝きながら、一切の事物、一切の運動、一切の色を映さなければならぬ
」。⇒相通じるものを感じる。

1930年代
・G.Hosking【The First Socialist Society】の第七章「Stalin's Terror」を読む。この本はゴルバチョフが書記長に選出された85年に
初版が出された。次いでソ連が解体された翌年、新たに公開された史料をも踏まえて92年拡大改訂版が出された。第七章「Stalin's Terror」
は、いわば周知の事実の要約に過ぎぬ。とはいえ階級支配の廃絶のみならず、支配そのものの揚棄を目指した革命が、かくも醜悪な対極物に
転化してしまった歴史的現実は、いかなる分析を以てしても解き得ぬ「人間性の謎」が中核部分に残るようなもどかしさが僕には感じられる。
・「30年代」というキーワードは、スターリンと並ぶ世界史的怪物ヒトラーを生み出した点で、彼らが活躍する歴史的環境を理解する助けになる
かも知れぬ。この二人に比べれば同じく全体主義の旗手とはいえ、ムッソリーニにはどこかラテン的な陽気さが垣間見える。
・まして日本の30年代となると、確かに日本近代史上稀に見る粗暴な暴力的振る舞いが横行したものの、その多くは荷風の云う”悲憤慷慨”に
類するどこか大人気ない幼稚さを漂わせており、ソ連やドイツの周到・緻密にして組織的な、水も漏らさぬ暴力的支配に比較すべくもない。
・荷風の日記、1931年正月から35年12月まで読了する(1963年版全集第21巻)。「乱世の状況」「思想上の鎖国」「満州戦争起こりてより世
の有様一変し」など、戦争と共に次第に窮屈になる世情を反映する記述や軍部に対する批判的言辞の削除の跡は見られるものの、かかる日記
が公然出版された事実を忘れるべきではない。

《11/12/31》
荷風の日記、【断腸亭日乗】
・荷風の個人的生活はもちろん、作品にも全く関心はないけれど、【断腸亭日乗】だけは、以前、岩波文庫の摘録で読んで面白かった。
何が面白いのか?【日記に見る近代日本】の紹介に「荷風は、世間と隔絶していても時代や社会に対し全く無関心なのではなく、社会と
一定距離を保つ傍観者であった
」(第四巻134.p)とある。この距離の置き方に僕と共通する所があって、日記の中に時折、垣間見せる
時代や社会の観察が興味深いのだと気づいた。尤も、僕は都会人から百姓に転身したというと云うと、時折、自給自足の生活に憧れて
百姓の道を選んだかに誤解されるが、世間とやや隔絶した環境にいるものの世間と隔絶しているわけではない。一方、荷風は都心の
ど真ん中で、毎夜のごとく銀座辺を徘徊しながら、しかも世間と隔絶していた。これは多分、心の置き所と有り様の違いに拠るか。
・昨日落手して、早速、第21巻「昭和六年正月」から読み始める。日記は大正時代から始まっているが、一番関心があるのは、いわゆる、
「十五年戦争」の時代と総括されている1931~45年を同時代人の荷風がどのように見ていたかという点。この日記は、【日記に見る】に
荷風個人の日常記録という叙述形式を採りながら、作品であることを意識し、遠くない将来に不特定多数の読者を獲得する商品となる
ことを想定して書かれていた
」と指摘されている点を割引しなければならないが、それでも世間をはばかって書かれないことはあっても世間
に媚びるような態度は見当たらない。
・昭和八年十月十八日に「震災後二三年間は世の中の景気も随分よかりし故、私窩子の値段も一夜二三十円なりしが追々下落して唯今
は十五円位がまづ高い方にて、並は六七円より十円なり。但しこれはお客様の払う金高にて女の手に入るはその半額なり
」とある。
震災とは、関東大震災のことだろうが、直後の景気はむしろ良くて、次第に下り坂に入ったとの記述に、やや意外の感を受ける。遊興窟
の特殊事例なのか、復興景気の波及効果の減退のせいなのか?いずれにせよ、通常の歴史書にはこういう記述は到底見られない。


内閣支持率
・今朝の日経に《「蜜月百日」ジンクス続く 世論調査うらおもて》の記事が載っている。「内閣支持率が10ポイント以上落ちた例」として
古い方から、安倍(07/05)支持率41、下落幅12;福田(07/12)以下同じく43、12;麻生(08/11)31、17;麻生(08/12)21、10;鳩山
(09/12)50、18;鳩山(10/04)2、12;菅(10/06)50、18;菅(10/10)40、31;野田(11/12)36、15、この数字はこれだけで特筆に
値する。55年体制と云われた自民党の一党支配の時代が終わって、それに代わる新たな政治支配体制の「模索」の時代、要するに過渡
期暫定政権の時代と総括される。個々の政治家の右往左往は、次の総選挙を意識した単なる自己の就職活動に過ぎない場合もあれば、
政治理念をめぐる駆け引きの場合もあろうが、政党間の離合集散や小政党の乱立は、今後も続く「過渡期暫定」時代の象徴だ。やがて機が
熟する時季を待つほかはない。
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by agsanissi | 2012-02-23 04:31 | ミミズの寝言